29.10月中旬の活動記録
11日はホテルの隣に建つ長岡市役所まで歩いて移動する。ここも
5年前
に会派で視察させていただいているが、隈研吾氏設計のアオーレ長岡は、やはり凄い空間である。今回も大きな液晶画面に視察歓迎の文字が踊っていた。職員に防災会議室に案内され、10時より視察を開始する。
3.
新潟県長岡市
市制施行 明治39年4月1日
人口 269,624人(令和元年8月1日現在)
面積 890.06km2
令和元年度一般会計予算額 1353億62百万円
財政力指数 0.61 (平成29年度)
視察項目
防災体制の強化について
長岡市は平成16年7月13日の豪雨、同年10月23の中越地震、平成19年7月16日の中越沖地震と大規模な災害が連続し、防災意識も極めて高い地域となっている。平成17年度には日本一災害に強い都市を目指し「長岡市防災体制検討委員会(長岡造形大学:平井教授が委員長)」を設置し、市民や職員・議員、NPOや他市職員の意見を集約した指針を作成する。自主防災組織も92%で設置されており、「我が家が避難所」という基本哲学の元で家の耐震化やバリアフリーを進める一方、指定避難所も236箇所を指定し、特に学校施設は斜路の整備やトイレの洋式化を含め過去の経験を元に細かな改修も積極的に進めている。災害備蓄については、発電機や投光器、仮設トイレなどは市で用意するものの、民間との応援協定や商業の集積を前提として食料品や水については市で備蓄をしていない事は逆転の発想だった。
市民向けパンフレットを作成し、緊急告知ラジオも民生委員や公的施設に配布している。平成18年度からは防災リーダーを育成するため「中越市民防災安全大学」を開校し、その卒業生が「中越市民防災安全士会」を結成し、平成30年6月時点で166名の会員で地域に根ざした活動を展開している。
行政も災害対策本部機能を強化している上に、平時では子育てと防災教育の拠点で、災害時にはボランティアの活動拠点に成ることを目指した「ながおか市民防災センター」を消防署の横に配置し、目前の防災公園とともに機能できるように計画されている。この広大な敷地はJRの操車場跡地に中越大地震の仮設住宅が457棟建っていた場所であり、その意味でも防災に対するモニュメントになっている。長岡市は県レベルで保有する起震車を所持しており、地震に対する心掛けが凄い。
市民防災センターには子育ての駅「ぐんぐん」という別名も付けられており、施設を見学させて貰ったが、雪国で室内の遊び場があることは好評だろうと思う。事業費については建築物で5.1億円、防災公園も含んだ事業費が37.6億円と聞くと木更津市として採用できる施設ではないと思われる。
台風19号の接近を目前に防災の研修は参考になるところが大きく、特に災害の後に意見を集約して総括し指針を出すことは必要だろう。帰路の新幹線も予定より早めて急いで帰宅し、議会事務局と簡単な調整を行った後に自宅に戻り、一層の台風対策を進めた。
12日はツールド・ちばが中止になったので未明に起床し、昨日までの行政視察の資料整理やHPの更新を行う。朝食後には窓ガラスの補強や飛散の可能性がある物の処理など台風対策を進める。夜までに何が出来るか勝負である。市原で竜巻被害が発生し、各地から大雨の被害が聞こえ始める頃に日が沈み、川崎港では貨物船の沈没やダムの緊急放流等の危機的な話がテレビから届く中で、台風の接近を迎える。避難所が混雑している情報も届く中で心配していたが、木更津では風雨ともに直撃した台風15号より弱く、充分に通り過ぎた深夜に仮眠する。
13日は午前4時に起床すると綺麗な月夜で星座も良く見えている。ほぼ無風の中、事務所の被害を見に行くと無傷であった。しかしNHKの放送では各地で河川が決壊して大規模な災害が予見される。
夜明けを待って地域を巡回する。台風一過で富士山も良く見える空気の中、街中の被害はブルーシートが飛ばされた程度に済んでいそうだったが、江川漁港では道路上に転倒していた料金所が港内に沈没していた。これから流木やオイルの漂着など、海岸部では心配なことが多いのである。
地域の被害も少なかったし、岩根西公民館に避難していた78人の方々も自宅に帰ったことを確認したので駅前庁舎に登庁して情報収集する。前回の台風の記憶が強いためか、各地の公民館に多くの避難者が集まり、収容できなくなって多くの小学校も開放した事を知る。そのうち、避難所運営の問題点も明らかになってこよう。
夕方になって埼玉県和光市に行き、義弟が翌日開店となる居酒屋に前日祝いに行く。台風の間は窓枠から雨が吹き込む等の苦労はしたようだが、無事にスタートを切れそうで安心し、妻の実家に泊まりラグビーの試合に喜び、台風被害報道に悲しんだ。
14日は妻の実家を昼食前に出発して帰路につき、朝から目が腫れている娘を眼科に連れていきながら木更津市のイベントに行くが台風に関係してか中止となっていた。買い物をして帰宅し、全国の台風被害状況を確認して、拡大する被害状況に心を痛めながら昔住んでいた街や旅でお世話になった街に思いを馳せた。
15日は娘を送ってから議長車で千葉に行き
第190回千葉県市議会議長会定例総会
に出席する。会場で会った館山や南房総の議長さんは自らの家屋が被害に遭いながら大変な議会運営だったことを聞く。
森田知事も来賓として出席する中で会議は始まり、千葉県市議会議長会として国に要望する@幼稚園類似施設の無償化(市川市提出)、A家庭支援総合拠点の一時保育権限付与(野田市)、B国保の均等割りから子どもの軽減支援(富津市提出)、等を議決し、来年の役員や今後の日程を確認して総会を終える。帰宅してHPを更新し、夜は木更津の復興を願い
バル
をハシゴした。
16日は娘を保育園に送ってから旧潮見庁舎の様子を見に行くと再び関電工の工事車両が集結していた。台風19号の停電対応と思うと頭が下がる。この日は横須賀市・岩倉市の行政視察受入の予定であったが、双方ともに中止となったので午前中に登庁して議会事務局と諸調整だけ終えて帰宅する。
市内で昼食を摂り、所用を済ませて回ってから娘を保育園に迎えに行き、残業で帰宅が遅くなった妻に娘を預けて翌日の出張準備をした。
17日は6時半に自宅を出て羽田空港に向かい、8:20のJAL155便で三沢空港に飛ぶ。空港に迎えに来た青森県三沢市のバスには「特定防衛施設周辺整備調整交付金」の文字が踊っている。基地を持つ他の議長達とバスまで買うなんて流石だね等と話しながらバスに乗り込んで会議会場の「きざん三沢」に行き受付を済ませる。
会議開始の前に10時半から青森県立三沢航空博物館を視察する。詳細は
最近思う事
に記載するが素晴らしい施設で、太平洋を無着陸横断したミス・ビートル号は41時間10分も飛んでいたことやライト兄弟の復元機をNASAは飛ばすことが出来ず、日本人が飛行に成功したことなど、多くの知識を得た。
会場に戻って昼食後に午後1時から
全国市議会議長会基地協議会正副会長・監事・相談役会議
が開催される。三沢市を含め34市町村が参加する中、@協議会の会計決算、A基地対策関係施策の充実強化に関する要望案、B負担金の見直し等について審議をする。会議終了後、15時半から航空自衛隊の視察を行った。
1.
航空自衛隊三沢基地
視察項目
航空自衛隊三沢基地について
三沢基地は2年前に基地対策特別委員会で視察させていただいているが、当時はF-2を主体とした戦闘機部隊であったが今後は現在世界最強といわれる下写真のF-35Aが配備される基地となる。今回は実機を見学させていただき、その能力等について解説を受けた。
個人的にはV-22よりF-35の方が他を圧倒する戦力なのに、何故一方だけがこれほど反対運動の象徴になってしまうのか理解しがたいがその事は今回は置いておく。市のバスで基地の中を一周し、米軍との共生を感じる売店等を見学してから市街に戻り、ホテルに荷物を置いて18時から意見交換会が開催される。米軍の関係者が三味線を披露したり、様々に市民と交流している事を披露していただきながら、多くの議長と基地政策に対する情報交換を行うなど、貴重な時間を過ごした。
18日は8時50分にホテルを出て、福生・昭島・武蔵村山・瑞穂の各議長さん達とともに三沢駅に隣接する旧古牧温泉である星野リゾート青森屋まで送っていただき庭園を見学させてもらう。施設も一部見させて貰い空間設計の旨さに感心して三沢駅に徒歩で移動する。
駅前広場の改修案内の看板には「防衛省再編交付金事業」の文字が踊っていた。基地から多くの事業を引き出していることに感心しながら青い杜鉄道で帰路につく。八戸から新幹線に乗り換え、品川からアクアラインで木更津に向かうが木更津を通り過ぎ、君津市がハミルトンホテル上総で開催する
地酒まつり
の会場に直行する。
これは「きみつの地酒で乾杯を推進する条例」の制定5周年イベントであり、木更津市からは田中副市長が来賓として出席しているが私は個人参加なので好きに飲みながら友人と友好を深め、情報交換を進めてきた。定員450人のイベントであるが前売り券が完売し当日券は無いと聞いた。
石井市長も台風災害で景気と元気が低迷している事を伝えていたが、これだけ多くの市民がイベント後に街中に出るならこの夜だけは賑やかになるだろうと想像した。なお、この日は袖ケ浦市において粕谷市長選挙候補予定者の決起集会が予定されていたが台風災害の影響で中止になったようである。私は次に行くこともなく自宅に帰り、旅の荷物を片づけながら疲れて早めに寝てしまった。
19日は土曜日であるが娘を保育園に預け、袖ケ浦市林にある
社会福祉法人柊の郷
上総で開催される
柊まつり
に出席する。袖ケ浦市に木更津の議長が招待される理由は、本年末頃に木更津市金田地区において同法人の新施設が建設される計画が進んでいるからである。会場には浜田代議士を始め阿津議長を始めとする多くの袖ケ浦市議や多くの来賓が揃う中で、10時半よりセレモニーは開始された。
会場を午前中に抜けて自宅に戻り、娘を保育園に迎えに行き、その足で證誠寺へ行って
狸まつり
を娘とともに鑑賞する。役員の方からは議長が来られたのだから上がってもらいましょうかと言われるが、勝手気ままな娘の保護者として来ているので辞退させていただいた。
午後4時にまつりが終わった後は娘と買い物をして帰宅し、妻が都内から帰って来てから私的な仕事を処理した。
20日は娘の通う社会館保育園の運動会なので、娘が出席する時間帯はカメラマンとして会場にいる。2歳児のクラスなのでプログラム番号の3番と5番で出番が終わりとなる。お兄さんお姉さんの演技を見るという妻子を保育園に置き去りにして会場を出る。
矢那へ移動して、来月2日にグランドオープンするというKurkku Fields(旧耕す農場)のOpen farm Dayを見学させていただく。農業・食・アートが融合した施設と聞いていたが、アート部門はこの日には解放されていなかった。それでも建物の空間配置が魅力的でもあり、今後の展開を期待したい。
再び保育園に戻って父親イベントに飛び入り参加等をして、昼休みになったところで妻子を連れて会場を出て、遅めの昼食を食べて帰宅する。昼寝に入る娘を妻に預けて市内で所用を済ましながらナチュバルの会場を見に行く。台風のため参加店舗も減っているようだ。
自宅に戻り雑件を片づけ、夕食後に麦酒を飲みながらテレビでラグビーの試合を見て、落胆しながら入浴した後にHPの更新を行った。
→
2019年10月下旬の記録