36.12月下旬の活動記録
 21日は元気になった娘を保育園に送り、午前中は来客対応を済ませてから市内で所用を済ませつつ議会広報用の写真撮影を行う。
 数日前の快晴の日に撮影していたのだが、日影になっている水路部分が暗すぎて解りにくかったので薄曇りの日を狙って撮影に行ったのである。開発行為が進むエリアではこの様に両側が住宅地に成りながらも農業用水として地元管理を求めている状況があり、農家人口が減少する中で見直しが求められる。
 午後からはかずさ水道広域連合企業団に行き、副議長として佐藤議長の辞職等の決済を行う。来月の事業運営懇談会及び2月の定例議会は私の名において招集をかけることになる。事業運営懇談会の項目については照査したいので早急に取りまとめるよう指示して退出した。帰宅してから雑務を処理し、HPを更新してから娘を迎えに行った。
 
 22日は娘を送ってから夕方まで私的な用事や雑務を処理する。夕方から渡邊芳邦後援会青年部が3年ぶりに開催する忘年会に出席する。
 感染対策のためか例年よりゆったりとした間隔で座席が配置されているなかで始まった会の冒頭に、後援会長が池田さんから加藤さんへ、青年部長が阿津さんから保泉さんへ変更になったことが報告された。池田さんには7年間にわたる後援会長に敬意が捧げられた。
 私も会の最後に締めの挨拶を頼まれたが、喉の調子が悪く、一年の締めくくりにガラガラ声を聞かせてしまい申し訳ない思いで帰宅した。
 
 23日は娘を送ってから駅前庁舎に行って雑件を処理し、昼前に病院に行って喉の様子を確認して貰い、午後からは袖ケ浦市役所で榎本議長を始め4名の議員と多くの職員が立ち会う中で新議場の見学を行う。
 私と鶴岡議員は9月2日に見学させて貰っているが、前回見なかった会派室や議員用ロッカー室、会議室などを見ることが出来て、机などについては納入前に議会の意見が出せる仕組みを考えた方が良いというアドバイスも役に立つ物であった。またこの日は良く晴れていたので展望も楽しませていただいた。
 帰宅して雑務を処理し、夕食を食べてから夜中にHPを更新した。この日に発表された一週間の新規感染者数は1,336人となり先週より206人の増加であった。人口10万人当たり一週間感染者数も986人となり、いよいよ第7波に肩を並べる状況に近づき、なおかつ拡大中である。
 
 重症化リスクが下がり政府や自治体も忘年会の自粛を求めない中で、今年は3年ぶりに開催される会合も増えていることだろう。感染が拡大するのは仕方がないと考える共生の時代に入っている中で、中国のように薬不足や医療の逼迫が発生していないのは経験の差であろう。今年も残り一週間であるが、どの様な形で年を越すのか気懸かりである。
 
 24日はクリスマスイブの土曜日で妻は都内で所用があり子守りの日である。風が強いが良く晴れているので観光地には多くの人が集まっていると推察されるので遠出をすることなく昼間は近くのレストランで食事を楽しみ、午後からは娘と自転車で江川運動公園へ行くなど静かに過ごした。関東以外では災害級の大雪でクリスマスどころでは無さそうだ。寒波の流れ込む偏西風の蛇行は続くようで厳しい年越しになりそうだ。
 
 25日は正月の準備の買い物などをしながら、天気が良いので娘へのクリスマスプレゼントとして久しぶりに「きさらぴあ」の観覧車に乗る。
 
 アクアラインを眼下に富士山を眺められる展望はなかなか素晴らしい。園内の遊具も少し楽しんでから帰宅して遅めの昼食をいただく。午後からは部屋の片付けの手伝いや各所の補修作業などを行い、軽めの夕食を取って早めに就寝した。
 
 26日は日帰り人間ドックの日なので朝食も取らずアカデミアクリニックへ行きバリウムを飲んで胃の検査も行った。喉が完治していないので炎症の値が出たが、それより肥満に伴う肝臓の値が高めに成っていることは注意が必要である。血圧と尿酸値は今回も奇跡的に問題なかった。
 帰り道に万石区の方から高速道路下に不法投棄が多い件を聞いていたので確認に行く。高架下ではあるが河川の上空占用で管理者は千葉県だろうと判断し環境部に連絡を入れて千葉県で撤去するように指導する旨を伝える。対岸には開発の進む金田東地区が見えるが当該箇所は猪の跋扈する土地である。
 川沿いに進出した猪ではなく無責任な飼い主が逃がしてしまったものが繁殖していると想像される猪は小櫃川の竹林を住みかにして金田と岩根の両側で農作物を荒らしているので、万石区はフェンスを設置した。
 岩根側に入れなくなると今度は金田西地区のごみ集積所を荒らすなどして住民とのトラブルが発生するのではないかと心配な状況である。地域には今まで猪など生息していなかったので駆除する猟師も居ない。猪対策が私の仕事の一つになる日が来るとは数年前には想像できないことである。
 夕方は娘を保育園に迎えに行って、子守りをして眠りについた。
 
 27日は娘を保育園に送ってから事務所に戻って大掃除の準備である。日頃は手を着けない保管書類に目を通して必要なくなったものを処分に回し、積んでいた読みかけの本を整理するなど黙々と作業を続ける。市内に買い物に出るついでに江川運動場などで写真を撮り、帰宅後に最近思う事として簡単にまとめる。夕方に娘を迎えに行き市内で所用を済ませてからの帰り道に陸橋の上から富士山が大きく見えた。
 
 
 28日は友人と年末の足慣らし登山の予定であったが、夕方に用事が入ったことや友人の膝の調子が悪くて急坂が厳しいことなどより、検討の結果、鎌倉ハイキングとなった。それでも天園は関東百名山である。
 房総の山を歩いている感覚であるが、横浜市側は直ぐ周辺まで開発が進み、保全に力を入れている鎌倉市との違いが顕著である。食事や観光の時間も含み約6時間、2万2千歩のハイキングを終えて木更津に戻り、夜は中学の同級生が集まり深夜まで懇親を深めた。
 
 29日は妻の従妹が遊びに来て、今月に開業したばかりのETOWA木更津に一緒に泊まる計画である。チェックインが遅いので従妹の到着も午後になり、私は午前中に事務所の大掃除に気合いを入れた。
 娘は年齢が近い姉妹と縄跳びやかくれんぼをして遊び、日没を待ってから富岡小学校へ移動する。18時のチェックイン、夕食の肉が提供されるのは19時だと説明を聞いたが待ちきれずに野菜やソーセージを食べて、飲み放題の麦酒に良い気持ちとなり、父親2人は日付が変わるまで話し込んでいた。
 
 30日はゆっくりとチェックアウトと成るので子どもたちは鉄棒やブランコ、ハンモックで遊び回っている。宿泊者も私達以外に2組だけなので焦ることもなく校庭ではしゃぎ回りながらのんびりと過ごすことが出来た。
 食事も美味しく、売店の商品を自由に選べるのは楽しいものの、前日の明るいうちに入って校庭で遊びたい、夜の飲物は麦酒だけでなく温かいワインや日本酒も欲しい、夜中に校舎のトイレまで行くのは遠いので近くにトイレも欲しい、等の要望が従妹から寄せられた。段々と良くなっていくのだろう。
 昼前に道の駅うまくたの里へ連れていき、混雑する店内でお土産を購入して解散する。私は妻子と下郡でラーメンを食べてから帰路に着き、夜は2日続けて寝不足の身体をゆっくりと休ませた。
 
 31日はお節料理の手伝いに厭きた娘を事務所で遊ばせながら私は部屋の片付けとHPの更新作業を行う。日射しが少なく寒い大晦日であるが北陸や東北のことを考えれば文句も言えない。小さな悪いことは色々と有ったが家族全員が無事に年末を迎えることが出来たことに感謝をしながら2022年の活動記録納めとしよう。
 
 
 
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2023年1月上旬の記録