58.8月上旬の活動記録
 1日は久しぶりに危険な日射しのない朝である。晴れていると日影に逃げ込んでラジオ体操をする人が多いので、この日は輪になって体操をしている写真が撮影できそうだと思いながら江川会場に行き右の写真を撮る。朝食後に娘を学童に連れていった後で、後援会役員の方々などに挨拶周りを行う。
 10時半に議会事務局に行き、前日作成の報告書を若干修正してから全議員に対して報告してもらうことを事務局に託して帰宅し挨拶周りを続けていると午後になって雷が鳴り響き雨が降り始めた。千葉や長生では大雨洪水警報が出され久留里線も運行を停止したようだが、我が家の周辺は打ち水程度の雨量で済んで安堵する。後で他の方々に聞いたら金田や木更津の街中でも降っていたようで、運が良かったようだ。夕方からは天気が良くなると言う予報で、安堵しながら娘を学童に迎えに行き、家に置き去りにして航空自衛隊まで歩いて向かったが、雨が強かった地域の議員は開催を心配して自衛隊に問い合わせていたようだ。
 航空自衛隊の盆踊り会場に早めに到着して近隣の区長さんや旧知の友人と話している内に18時の開催時間を迎え、開会セレモニーの後に岩根西まちづくり協議会の一員として櫓の周りで「やっさいもっさい」を踊る。炭坑節など馴染みのない時間には多くの方と意見交換を行い、充実した時間を過ごした。
 同じ日に青年会議所の納涼例会が重なっていたが、既にOB会長を終えた3年目なので、先日の君津のイベントの際に欠席を理事長に伝えておいたが若干の申し訳なさを感じつつ、迎えに来た妻の車で帰宅した。
 
 2日は岩根小学校会場でラジオ体操を行い、9時過ぎに駅前庁舎に登庁して打合せを行い、10時から市庁舎整備特別委員会の理事会に出席する。この日の議題は駅前庁舎の整備に関する市場調査結果の報告と委員会の運営方法についてであり、市場調査は先月18日から24日まで4社と対話して建設に向けた提案を受けたが、それぞれ方法も様式も多様であり、16日までに方針を取りまとめ17日に理事会を行い24日に全議員が集まる協議会を開催することとなった。協議会は会派と個人の双方から質問を受け付けることとして質問時間は原則として15分、全体の質問が終わったら関連質疑を行えることとなったので前期の委員会より活発な議論が進むものと思われる。理事会が終わり食事を摂り、明日からの旅行用に娘が観るDVDを借り、帰宅してHPを更新してから給油に出かけ、帰宅後は早めの入浴と早めの就寝に心がけた。
 
 3日は午前1時半に起床して車に荷物と妻子を積み込み、アクアラインから常磐道を経由して三陸道に入って北を目指して走り続ける。
 陸前高田で三陸道を降りて妻子に奇跡の一本松を見せながら震災から4ヶ月後に現場で観た津波の被害と恐ろしさを伝え、娘にも一人で逃げる勇気を伝えようとする。三陸道が全通するなど変わり行く被災地であるが、多くの人が観光に訪れて賑わいを取り戻せる日が来ることを願うばかりである。
 再び三陸道に乗って宮古まで移動し、浄土ヶ浜で海水浴を楽しみ、ご当地グルメを味わってから更に北上を続け、八戸に予約しているホテルに午後4時前に到着する。荷物を部屋に入れたら近くの祭り会場に移動して八戸三社祭を見学する。
 八戸三社祭は東北の主要な祭(青森ねぶた・盛岡さんさ踊り・秋田竿灯・山形花笠・仙台七夕・福島わらじまつり)から漏れているが、3回も視察に行った時に新幹線の駅で見た山車の見事さに気になっていたもので実際に現物を見ると多くの氏子が参加して営まれている状況に感動させていただいた。
 祭を鑑賞中に幾つかの仕事の電話が入り対応するが受話器越しに笛や太鼓の音も聞こえていたかも知れない。日没前に疲れている娘が帰りたいと言うので祭が終わる前に早めの夕食を摂り私もほぼ徹夜の身体だったので風呂に入って部屋に戻るとグッスリと眠らせていただいた。
 
 4日は朝8時まで寝過ごし、朝市の近くにある食堂で朝から海鮮を満喫し、八甲田をドライブして酸ヶ湯温泉に入り、三内丸山遺跡を見学する。
 私が前に訪れた25年前とは様相が変わり立派な資料館も出来ていた。世界遺産に認定される前から保全と理解を進めるだけでなく発掘した土器等の修繕や分類活動をどの様に行っているか公開している姿勢は素晴らしいと思うし、金のすずでも参考にしたい形式である。
 ねぶた祭用の臨時駐車場に車を停め、歩いて青森市役所まで移動すればマルシェのイベントが開催されていたので食事を摂りながら一休みをして、午後6時過ぎに少し遅れて場所取りをしてねぶた祭を鑑賞する。4年間待ちわびていた人も多かったようで、観客も踊り手も多く、渋滞が心配で早めに切り上げた。
 この日も八戸に連泊なので、祭り会場から2時間近いドライブが待っている。寝静まる妻子を脇目に正面から登るお月様を見ながらETCが使えない有料道路を通り、23時になる少し前にホテルに帰り着いた。
 
 5日は朝6時に起床して朝風呂に浸かり、ホテルの朝食を食べてから八食センターに移動して9時の開店を待ち、妻の買い物に付き合って1時間ほど過ごす。東北道で南下を始めるが、前から気になっていた坂上田村麻呂が1200年前に建立した志波城を見るために盛岡ICで降りる。
 遠く岩手山も望める環境であるがともかく暑く、他に観光客も居ない中で家族でのんびりと見て回る。高速道路に戻る前に昼食を摂り、次は福島西ICで降りてJAの直売所で妻の実家へのお土産に桃を購入して先を急ぎ夜8時過ぎに妻の実家が営む店に到着した。
 この日は朝霞で花火大会の予定であったようだが風が強いために中止となり、実施された板橋の花火大会で河川敷の草が燃えたのを知ったのは翌日になってからである。
 
 6日は用事のある妻と、義弟の子どもたちの子守に行く娘と離れ、妻の実家で午後まで読書を楽しむ。午後4時に帰路に着き、雨が降る木更津に戻って荷物を片づけ、流石に旅の疲れが出て早く寝てしまった。
 
 7日は万石会場に行って久々のラジオ体操を行い、荷物の整理を行ってから駅前庁舎に行き10時開催の議会改革特別委員会を傍聴する。この日の委員会では審査力向上のために予算決算特別委員会の委員数を12人にすることが決められ、政務活動費の領収書公開に向けた諸条件の整理を行うことが決められ、掘り下げた議論が行われた。会議終了後に議会運営委員会が決める申し合わせ事項の変更について議会事務局と調整した後で会派室に残り、質問通告に向けて質問を整理する。
 気が着いたら午後1時近くなり、遅めの昼食を今月から始まった「房総いいねスタンプラリー」通称「房スタ」加盟店で食べてから会派室に戻り質問原稿の初稿と通告書を作成し17時に帰宅する。
 所管課に質問に関する情報を提供してから夕食を摂り、その後は事務所に戻り溜まっていたHPの更新を日付が変わる間際まで作業した。
 
 8日は娘が休むというので自転車で岩根西中会場に移動してラジオ体操を行い、朝食後は学童に連れて行き、午前中は自宅で雑用の処理を済ませてから君津まで買い物に出かけ、午後から工事の挨拶に出かける。午後から市内で所用を済ませて回り、夕方は岩根中学校の同窓会幹事会を行うため街中に出かけた。
 
 9日は娘を連れ出すことに失敗して私までラジオ体操を休憩してしまい、それでも学童に連れて行き、午前中は自宅で雑用の処理を済ませてから翌日の通告前に質問原稿を手直しし、午後から市内で所用を済ませて回り、夕方は娘を学童に迎えに行き世話をしながら速めに寝てしまった。
 
 10日は妻子と供に岩小会場でラジオ体操を行い、朝食後はデータをUSBに入れて会派室に向かう。地域からの相談を処理してから10時過ぎに議会事務局で9月定例会の質問通告を行った。
個人質問通告書(令和5年9月定例会)
令和 5年 8月10日
木更津市議会議長   鶴岡 大治 様
質問議員氏名(21番) 近藤 忍
下記のとおり発言したいので、会議規則第62条第2項の規定により通告します。
大綱・要旨項目
質問事項1 大綱(大項目) 産業の活性化について
要旨(中項目) 要旨(小項目) 関係部等
(1)現在の状況 @企業進出の状況
A地区計画の活用
経済部
 〃
(2)今後の方針 @産業立地の奨励
A産業用地の確保
経済部
  〃
質問事項2 大綱(大項目) 土地の利活用について
要旨(中項目) 要旨(小項目) 関係部等
(1)現在の状況 @公社健全化計画
A未利用の建築物
企画部
資産管理部
(2)今後の方針 @公共用地の売却
A公有財産の活用
資産管理部
 〃
 前回の質問に比べ大綱は1つ、中項目では4つ、小項目では12ほど少ない通告であるが、前回は時間的に再質問を行えなかった項目も多かったので少し絞った結果である。通告後は会派室でデータを整理してから昼食を摂り、朝日庁舎で打合せをして帰宅する。20分ほど自宅で休憩してから江川運動場に移動し午後3時開催の江川サッカー場の内覧会に出席する。防衛省が基本的な整備を行った土地に防衛補助を貰いながら市が約3億2千万円の予算を投じて完成させた施設で、野球場に比べて半額以下の予算のため観客席や電光掲示板などが無く、人工芝の立派なグランドに比べ周辺施設の寂しさが目立つ。
 
 オープニングイベントは20日の9時20分から行われるので感想などはその時に改めて書きたい。およそ30分間の内覧会を終えて自宅に戻ると質問通告者が代表質問の4人と個人質問の14人となり、合計18人は議員定数が24人になってからでは平成30年(2018年)6月定例会と並ぶ最多記録であり、久々の早出残業議会が行われそうである。因みに私の質問は31日(木)の午前10時になる可能性が高い様子だ。ともあれこの日は通告しただけで調整は行わず、午後5時半から地元のサッカー関係者と意見交換を行うのであった。
 
 
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2023年08月中旬の記録