蓼科山 2,530m 長野県立科町 1988年10月16日登山:単独 北アルプスから発冠雪の頼りが届くようになり信州の山登りシーズンも後僅かだと思い、単独で蓼科山に登りに出かけた。出かけると言っても当時住んでいた公団上田寮から登山口まで車で1時間も掛からない。本当によい環境に居た物である。 車で白樺湖畔から姿を眺めた後、スズラン峠口から登山開始。時々緩いところも混じるが基本的に急坂の連続である。特に標高2,200mを越えてからの岩場の急登は本当に辛かった。遠くから見てスマートな山がこんなに岩山だと思わなかった。山頂に到着すると広く平たい火口部に出る。三角点は航空測量用の櫓を組んである。秋晴れの中八ヶ岳が美しく、風景を肴に担ぎ上げた麦酒を飲んで山頂でのんびり過ごす。 下山すれば帰り道で別所温泉に汗を流し、なじみの飲み屋に出かけて今シーズンの山が無事故で終わりを告げた事を祝うのであった。 |
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石鎚山 1,982m 愛媛県面河町 1989年5月2日登山:F島と2人 面河渓にある関門YHの朝食を早く出して貰い6:40登山開始。F島と、YHで同宿だったライダーの青年と3人で登り始める。登山口にある売店で山頂用の麦酒の値段を聞くと350ccは350円に消費税と言われる。定価をつり上げた上、本来内税である麦酒に外税を乗せるとは完全な便乗値上げである。気分が悪いが店はそこしかないから買う。 川沿いの道も直ぐに急坂になり、展望がどんどん開けて行き面河山のピークに着く。サルスベリの群落の綺麗さに感心してもう一登りして10:20に山頂に到着する。 下山は土小屋からバスでスカイラインを下りYHに戻るのであった。(周辺の旅行は石鎚編を参考) |
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御在所岳 1,212m 三重県菰野町 1989年5月5日登山:S井とW辺と3人 この山は日本200名山に数えられているが山頂を踏むのは極めて容易である。ロープウェイの山頂駅から僅かに散歩すると一等三角点に到達する。深田久弥も遊園地化した山と形容した通りの完全に日常の世界が浸透している山である。 しかしロープウェイからの山の景観や、山頂のYHに泊まって夜景を眺めたりするときにはやはり鈴鹿の名峰と気づく事も有る。私も山小屋のようなYHがあると言う話を聞きつけて来た山なので、仮にYHが無ければ登頂の機会はずっと後に回っていたであろう。(周辺の旅行は石鎚編を参考) |
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御 嶽 3,067m 長野県王滝村 1989年8月12日登山:W辺とF島と3人 昨年の夏にS井と乗鞍に行ったので今年は御嶽に行こうという話がF島、W辺との間から出てきた。集合場所は私が住む上田である。夕食を取り少しの仮眠を取り登山口までF島の車で移動する。三笠山駐車場に着くと懐中電灯の明かりが列を作っている。私たちも午前3時半から登山開始である。 明けていく空の色の変化を楽しみ、山頂で御来光を眺める。それにしても息が切れる。軽い高山病かも知れない。その上寒い。日が高くなるまで山頂神社で休み体調を復活させる。その後飛騨頂上まで往復する。残雪も残り、賽の河原や火口湖の景観が変化に富んでおり、とても楽しい縦走路であった。 山をゆっくり歩き、昼食は山小屋で取り、登山口に帰ったのは午後2時過ぎであった。(周辺の旅行は御岳編を参考) |
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四阿山 2,354m 長野県真田町 1989年8月20日:W貫とN田と3人 御嶽は良かったよと飲む度に私が言うもので、急激に職場登山が流行し始めてしまった。元々W貫課長は山好きなので、渡りに船と若手職員を引き連れ登山企画を出す。その最初がこの四阿山である。同行はN田と三名である。 菅平牧場に車を停め、花々の咲く緩い斜面で根子岳[2,207m]まで登り、鞍部を経て岩ばかりの山頂に到着する。 下山は直接牧場に降りるルートを利用する。御牧の湯で汗を流して帰り、夜は例によって打ち上げである。 |
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