燧 岳 2,356m 福島県檜枝岐村
1992年9月26日登山

 監督を請け負っていた建物も竣工して引渡も終えて、後は書類整理だけとなったので時間が取れるようになったから気合いを入れて尾瀬を目指すことにした。他の大勢の観光客と登山者の違いを見せるためではないが、女夫淵から鬼怒沼を越えて尾瀬に入り至仏山から水上の湯ノ小屋温泉に降りるという壮大な計画を建てた。
 
 9月22日の夜に柏のK藤家にF島と3人で集まり企画会議をしながら飲む。本来はF島も加わる予定だったが3連休の前の木曜と金曜を休んで5連休とする事が出来ずに今回は川治温泉までの運転だけという残念な参加である。
 
 23日に酒の残る頭で起床し、F島の車で川治温泉まで走り、露天風呂に入り昼食を取って解散する。F島に見送られながらK藤と私はバスで女夫淵に向かい、日光沢温泉まで登って温泉を楽しんで泊まる。
 
 24日は早朝から急坂を登り鬼怒沼に到着する。爽快な天気で展望も開け燧岳も良く見えている。これ以降の行程の成功を祝われているのかと思ったが、実はここが最高の状況だった。縦走路はずっと林の中で黒岩山[2163m]を回る頃には膨大な食料と水で重いザックに体力を奪われる。ザックを降ろして休むと立ち上がるのが困難という経験を初めて味わいながら小渕沢田代を抜けて長蔵小屋に着き泊まる。
 
 25日は朝から雨で展望がない。この日に燧岳に登って山の鼻に泊まるつもりだったが、この悪い天気で登るつもりはしない。月曜は仕事なので停滞は出来ないのでどちらかの山を諦めることとなり、標高の高い方を優先する計画に変更する。そうすると下山口は福島県に変更になるが鬼怒沼からの縦走で満足しているからそれでも良いと思った。この日は雨の中を竜宮小屋まで散歩して尾瀬ヶ原の草紅葉を楽しみ、三条の滝を見てから温泉小屋に泊まるのだった。
 
 そして行動開始4日目となる26日も曇りだが連続して停滞する気にもなれず温泉小屋から燧岳に登り始める。急坂にあえぎながら森林限界を越えると雲が切れて湿原を見渡すことが出来る。直ぐにカメラを出して写真を撮るとK藤が「山頂で撮れば良いだろう」という。それが出来れば無駄玉も惜しくはないと答える。
 悪い予想通り山頂は霧の中で全く視界がない。芝安岩の上で麦酒を飲んで尾瀬ヶ原を思い、俎岩からは尾瀬沼を見下ろせることを期待して休止を続けるが晴れる気配がない。仕方がないので高層湿原を眺めながら御池に降りて檜枝岐までバスで移動して公衆温泉に入浴する。食料も10食分以上残っているのでまだまだ重いが檜枝岐に出たのなら裁蕎麦を食べたくなるので一向に軽くならない。これらは全て次の山である槍ヶ岳に持っていくことになるのだった。
 水を全て処分して少しだけ軽くなった荷物を持ってバスと東武とJRを乗り継いで柏にあるK藤の家に辿り着きサイジェリアでドリアとワインを味わいながら長い旅を打ち上げた。
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槍山荘 3,095m 長野県安曇村
1992年10月6日登山

 この年は10年に一度の紅葉の当たり年と山と渓谷が煽る上に、松本のG藤さんからも10月4日行った涸沢が綺麗だったと電話が来る。これは紅葉を見て、ついでに雪が降る前の槍ヶ岳に登って来なければならない、と平日の火曜日であるが登山に出かけた。

 6日は朝から少し曇り気味であったが翌日の天気が良くなるという予報を信じて6時に上高地から槍沢を詰めていく。槍沢ロッジを過ぎてババ平あたりから雨が降り始める。標高2,200mを越えた辺りから小雨が小雪に変わりだし、殺生ヒュッテに着く頃には周囲はすっかり雪景色である。雪も弱まわってきたのでそのまま槍山荘まで登り、14時に小屋に入る。大多数が登頂を諦めたのか、その段階であの巨大な小屋に登山客は8人ぐらいしか居なかった。
 15時頃から雪が強く降り始める。軽アイゼンは持ってきているが心配になるような降り方である。私以降は誰も来ないと思っていた頃、暗くなりかけた小屋に2人組の青年が着く。北鎌尾根を登ったので穂先を越えて来るしか方法がなくザイルワークで何とかしたが非常に危険な状況だったという。ここまで登って穂先に立てないのか・・・・。
 19時直前のNHK天気予報は今日の北アルプスの初冠雪を伝え、明日は天気が良いという。21時に寝る前に便所に行くと外は晴れている。外に出てみると月明かりに白く照らされた槍の穂先が見えている。

 7日は朝食を取り、駄目元で槍に挑戦するが雪でホールドが解らず危険を感じ、1/3程度登ったところで諦めて小屋に戻る。天気予報は的中して北アルプスの山々の展望がとても良い。このまま往路を戻るのも悔しいので縦走路を中岳まで進むが、天狗原への降りが危険そうだと判断して再度槍山荘に戻り槍沢を降りることにする。
 紅葉は昨日の雪で痛められているがそれでも青空と雪山とのコントラストがとても気持ちよい。横尾山荘まで降りて宿泊を予約して外で食事を作り、荷物を軽くして涸沢カールまでの往復をしてくる。既に15時を回っていたので穂高の陰に日も沈み逆光で見る岩山の迫力に押されながら周辺の紅葉を楽しんで横尾に返る。

 8日は明神から徳本峠を越えて新島々駅までのクラッシクルートを辿る。昨日に比べると少し雲が出てきているが崩れる気配はない。峠まで登り振り返ると穂高が大きく見える。逆コースで来てこの風景に出会えば感動も強いだろうと思う。峠の小屋も北アルプスにしては小さく気持ちがよい。
 峠を降り長い川沿いの道に厭きる頃、岩魚留小屋に着き、まだまだ道が長いことを知る。黙々と歩き続けて二俣に出たら昼食を作る。そこから林道歩きに変わり、今度は日差しが暑く喉が渇く。夏は大変だろうと思いながら我慢して進み、国道を少し下って新島々の駅に着き松本電鉄で帰るのだった。
金峰山 2,599m 山梨県甲府市
1992年10月22日登山

 およそ1ヶ月間になる沖縄の旅に出る前にG藤さんを誘って秩父の山歩きに出かけた。
 中央線の塩山駅で彼女を拾い北奥千丈岳に登った時と同じ大弛峠まで林道を駆け登る。ここから山頂までの高低差は240mも無いのだが朝日岳や鉄山を越えていく縦走路が結構長い。しかし展望の良い縦走路から富士や八ヶ岳などを眺め続けられるので歩いていても厭きることがない。金峰山の山頂にある五丈岩に着いて昼食と山頂麦酒を味わう。眼下に瑞牆山が落葉松の紅葉をまとって綺麗に見える。来年の秋にでも登りに来ようね、と約束する。
 下山後に塩山温泉に入り、夕食を蕎麦屋で取って駅まで送り解散する。
両神山 1,723m 埼玉県両神村
1992年11月28日

 11月25日に沖縄から帰り、中2日で登山に出かけた。土曜日だが友人は皆仕事なので単独行である。
 早朝から高速で花園ICまで走り、今は地権者が通行を許さない白井差口に路駐する。9時を回っていた。
 往路は御手洗から一位ガタワを経由する鎖場のル−トである。展望も良い快晴の日であるが、登山開始が遅かったので私の他には2人しかいない静かな山頂でのんびりと遅めの昼食を取る。この時期はインスタントラーメンの温かさが有りがたい。
 下りは梵天尾根ル−トをとる。広葉樹林は全て葉を落とし、明るく快適な下山路であった。日没前に白井差に戻り、真っ直ぐ帰宅した。なお、この日に寒波が訪れたようで上越国境から雪の頼りが届き、登山から2日後になる11月30日に天神平スキー場に行って初滑りを楽しんだ。なお沖縄の竹富島で泳いだりカヌーを楽しんだ8日後のことでもあった。日本も広いものである。
No09 .1992/9-1992/12    ←No08No10→
日本を走る