苗場山 2,145m 新潟県湯沢町
1992年5月31日登山

 K藤とF島と3人で秋山郷から苗場に登り赤湯温泉に泊まって湯沢に出るという計画を立てた。新緑の山と温泉小屋泊だから快適な旅になるつもりだった。
 夜行快速から飯山線の始発列車、バスと乗り継ぎ小赤沢で降り歩き始める。私達の他に単独行の青年を交えた4人でブナの若葉が気持ちよい道を登る。1時間も歩いた頃から急激に雪が増え夏山道が解らなくなる。同行していた青年は撤退を決断して引き返していく。3人で協議するが私の強硬論でもう少し頑張ってみることにする。
 標高1,700mで右に曲がる点を見落としたようで夏道を外れ、立っているだけで滑りそうなほどの急坂になる。しかし直登すれば登山道に飛び出るはず、と信じて木々に捕まりながら登り切れば平坦な場所に飛び出る。ほっと安心し、山頂に到着して乾杯する。
 つかの間の喜びも終わり、昌次新道の降り口に着くと、4m以上の雪庇を越えなければならないことが解り呆然と成る。そんな中で崩壊の恐れもなく降りられそうな場所を発見して降下する。3人とも無事に雪庇を越え、ほっと安心したのか私が笹で足を滑らせて100m以上滑落してしまう。F島はどうやって遺体を持ち帰るか考えたというが落ちながらも頭を守り上下を立て直して足ブレーキをかけて雪渓から離れて藪に突入し、胸と肘を打って停止した。
 自力で登山道に戻り2人の到着を待って、それ以降を慎重に下ると雪も無くなり赤湯に到着する。小屋の主人は今年最初の苗場越の客だと言う。温泉で身体を癒し無理を反省しながらひと眠りする。
 
 翌日は苗場までの長い道を痛む身体で歩きぬき、バスから新幹線線に乗り継いで何とか帰宅した。
美ケ原 2,034m 長野県松本市
1992年6月28日登山

 松本駅まで電車で行き、G藤さんの車に拾われて高原ドライブをしながら日本百名山の2峰を一度に登った。
 武石峠からの林道終点の駐車場に車を停めてハイキングを始める。梅雨の合間の晴天だが高原はやはり爽やかである。王ヶ頭で牛乳を飲んで美しの搭を見て高原美術館に到着する。上田時代に行きたかった美術館を時間をかけて見てまわり、高原歩きをして車に帰った。
 次の霧ヶ峰に向かうために一旦武石村に降りてから大門街道で白樺湖を目指す。途中の姫木平で久々の信州蕎麦を食べ懐かしい思いと幸せな気分に満たされる。
霧ケ峰 1,925m 長野県茅野市
1992年6月28日登山

 白樺湖からビーナスラインに入り、直ぐの車山高原スキー場に車を停めてスカイリフトを使用して登山する。リフト上端からは草原の中を僅かに登り霧ヶ峰最高所である車山の山頂に着いてしまう。
 これだけで霧ヶ峰を終わりにしては申し訳ないので再度車で八島ヶ原湿原に移動し、周辺の1周を行う。新田次郎の「霧の子孫たち」にビーナスラインへの反対運動が書かれていたことを思い出す。今回も車を使ってはいるがこの道路がなければ良い場所だろうと改めて思う。
 山から下りて上諏訪温泉の片倉館に行く。昭和初期の良い建築様式の施設で温泉に入れるのは素晴らしい。
赤城山 1,828m 群馬県富士見村
1992年7月19日

 赤城山中のバンガローを借りて7年前のメンバーで集まった。18日の夜は酒を飲み、私やA野を含め、数人は久々の麻雀を懐かしがった。午前3時を回って麻雀大会もお開きとなり、横になるが眠くない。前から寝ていたF島を起こして早朝の赤城山登山を行うことにした。
 大沼湖畔の登山口まで車で上がり、そこから軽装で黒檜山までの標高差530mを40分で駆け登る。本当に徹夜で酒飲んで麻雀してたのですか、とF島に言われるまでもなく妙に元気である。バンガローに午前6時頃帰り布団に入る。朝食時に話をするが、登山してきた事を信じてくれた者はごく少数であった。 
岩木山 1,625m 青森県弘前市
1992年8月14日

 前夜のうちに8合目まで上がり御来光登山をしようと考えていたが岩木山スカイラインが夜間通行止めでゲートが降りていた。仕方なくW辺の車中でK沢と3人で酒盛りをして眠り翌朝の開通を待っていた。
 朝9時に8合目駐車場まで登り、さらにリフトで鳥海噴火口まで登ってしまったので山頂までは一歩きである。ここからハングライダーでフライとしている人達がいる。冬は圧雪車で登って自由に滑り降りられるスキー場にもなると聞き、岩木山を信仰の対象としてだけでなく活用していることを知る。なお、そのスキーの醍醐味を知るのはこの登山から13年後のGWとなることをこの時は当然知る由もない。
 リフトで近くまで上がれるから乗鞍岳と同様にスカートやヒールの女性まで山頂に登ってくる。こちらもK沢は短パンに運動靴であり人のことは言えない。この山はアルピニストだけの世界ではないから仕方ないのだろう。降りは歩き、8合目からは自転車のダウンヒルになるがこれ以降は陸奥編を参照していただきたい。
No08 .1992/5-1992/8    ←No07No09→
日本を走る