三嶺 1,893m 徳島県三好市
2010年04月26日登山:単独

 
 宇和島に行く途中で前から登りたかった三嶺に登ろうと計画していたが予定の27日の降水確率が70%もある。当初は全て移動日に充てるはずだった26日の内に登ってしまおうと考えたのは自宅を出て3時間以上たった深夜の新名神高速道路上だった。
 そんなわけで、25日の21時に出発し3時間の仮眠を経て自宅から910km離れた名頃登山口駐車場には26日の10::52に到着した。トイレを済ませ着替えをし、11:03より登山を開始する。
 
 往復5時間半と本には書いてあるが、ともかく寝不足なので体力に不安を覚えながら林道歩きを続ける。しかし45分を擁するはずの林道登山口には11:35に到着し、案外ハイペースで登っていることを実感する。ダケモミの丘には12:20に到着し、これは楽だなと思っているとヒュッテ手前で急坂が訪れ息が切れる。剣の展望も開け周辺の笹原も気持ちがよいのでペースを落として登り、山頂には13:20に到着する。F島が良いと言っていたが、西に広がるミヤマクマザサで覆われた稜線の展望は感動的である。
 誰もいない頂で三脚を使って記念写真を撮り、パンを食べ、友人にメールを送ったりして13:40に下山を開始する。快適に下りながら14:30に水場まで戻り、そこで休憩しながら来月の会議の日程調整の電話をする。こんな山奥なのに電話が通じると言うことは素晴らしいが先方は私がこんな所に居るとは想像もしていないだろう。
 体力を残したまま車に帰り着いたのは15:17であった。寝不足なのに往復4時間少々で標高差983mの山を登山した自分に感心しながら、一風呂浴びるべく祖谷温泉へと向かっていった。なお、この山に向かうまで、及び今後のドライブの行程については「四国遠征ドライブ」を参照していただきたい。
恐羅漢山 1,346m 広島県安芸太田市
2010年05月01日登山:単独

 
 四国の帰りに天気がよいことも解っていたので広島県最高峰に登り三段峡の渓谷美を見ようと思い立ち、夜の内に登山口である牛小屋高原に入り車中泊をした。
 
 1日は山開きの行事が入っていることを登山口で知ったが、行事開始時間が11時なので、その前に下山してしまうだろうと思いながら6:56から歩き始める。往路は水仙園を経由し夏焼峠を回るルートで進む。道の整備も良く地図無しでも迷うことは無さそうであった。のんびり歩いて標高差386mの山頂に8:04に到着する。誰もいない頂で少々休み直行する立山ルートで下山を始める。
 最初は林間の急勾配であったが直ぐにスキー場に出て、開けた展望の中を降りていく気分はとても良い。8:45に下山を終え、車で三段峡温泉まで移動した。
 
 三段峡では9:18から歩き始め黒淵まで往復して1025に温泉に戻ってきた。途中ですれ違ったパトロールのバイクから『ずいぶん急いでいますね』と言われるほどのペースで歩いたからうっすらと汗をかいており、渓谷を見ながら浸かる温泉はとても気持ちが良かった。なお、行程の前後については「四国遠征ドライブ」を参照していただきたい。
太刀岡山 1,295m 山梨県甲斐市
2010年05月15日登山:A津さんと2人

 
 天気予報を見て日曜日に乗鞍岳に登ることを決めたが前日の移動日も天気予報が良いので、足慣らしに軽い登山を行おうと言うことを決めたまま当日を迎えてしまった。車に沿線の「山と高原地図」3冊を積んで出発すると助手席のA津さんが目を通しながら、本で読んだ記憶があるという事で太刀岡山が選ばれた。
 
 芦沢の登山口に着くと既に多くの車が停まっており、岩登りの装備をした若者が目に付く。ここはそういう山かと思いながら、害獣除けの扉を抜け普通の登山道で山頂を目指す。急登の途中に有る大岩では10人ほど岩の訓練を行っていた。駐車場から25分ほど行ったところに有る鋏岩に立ち寄り高度感を味わい、さらに30分も登れば山頂に到着する。南アルプスや富士山の眺望が素晴らしい。想定より早く登ってしまったので北峰から越道峠を回る周遊コースで帰ることにした。縦走路は新緑が眩しくツツジも咲いている気持ちの良いコースだった。峠から未舗装の林道を黒富士牧場まで歩き、馬が飼われている牧場の中を通り抜けて車に帰り着いたのは11:08であり出発からちょうど2時間のコースであった。思いつきで選んだ割には気持ちの良い山だった。この後は甲斐大泉温泉で汗を流し、快晴の天気が続く中で、乗鞍高原を目指して車を飛ばしていった。
乗鞍岳(2回目) 3,026m 長野県松本市
2010年05月16日登山:A津さんと2人

 
 食事も露天風呂も満足した民宿唐松荘を7:35に出て観光センターのバスターミナルに向かい、8:05の春山バスに乗る。1日3便しかダイヤは無いが、三本滝からは4台のバスがほぼ満席で連なり位ヶ原山荘まで行く。山荘前で登山計画に記帳して9:10より登山を始める。少し車道を歩くと雪の壁に着けられた登り口が有り、そこを登ったところでスキーを装着する。バス4台分、約140人が一斉に登山を開始するので斜面は大賑わいである。天気は快晴ではないが展望が利くし、却って日焼けしなくて良いと思いながら、2年ぶりのシール歩行を楽しむ。
 高度を稼いでくると後ろに穂高の山並みが見え始め、雲も減り、紺色の空が広がる。肩の小屋に向けて白い斜面を登っていくとコロナ観測所の中腹から滑り降りてくる一団が見える。今日から乗鞍スカイラインも運行開始になるので、畳平から来た人たちであろうと想像される。
 ますます増えるスキーヤーがそれぞれのコースで朝日岳への急斜面を登っている。A津さんとは別行動になっているので自分も斜面を分析しつつ斜めに上昇していくと少し上で滑り落ちてくる人が居る。幸い40m程度で止まったが、それを目にしてしまうとより安全な角度を求めて慎重に登ることにした。
 朝日岳に登って剣が峰を見ると、山頂直下まで雪が残っている。岩場になっているという覚悟がうれしい誤算で直前まで板で登り、スキーをデポして22年ぶりの山頂に着いたのは11:27であった。風も弱く、笠・槍・穂高・御嶽等の北アルプスはもちろん、中央や南アルプスもよく見える中で、昼食とビールを味わう至福の時を迎える。
 帰りのバスは12時40頃と14時50頃の2本だった事を思い出し、後ろ髪が引かれる山頂を12:05に出発する。標高差670mの滑走のため服を重ね、シールをはがし踵を固定する。蚕玉岳への少しの登り返しが面倒なので、剣が峰直下の急斜面を一気に降りる。A津さんが長く使っていたブーツのベルトが切れたと言うので若干心配になるが取り敢えず問題無さそうである。しばらく心配で後ろを滑っていたが肩の小屋口を回り込む所で勢いで先に出てしまった。少し先で立ち止まり振り返ると斜面の途中で立ち止まっている。後で聞けばザックが開いていたので閉じていたと解ったがブーツに問題が生じたかと不安に成る。滑り始めたのでこちらも安心して滑り始めるが追いついてくる気配がない。長く待っていたがバスの時間も近いので滑り降りてみると迂回コースで先に滑り降りていたA津さんが待っていた。その上、バスの正しい時間は12:36だったので出た直後になり山荘で2時間以上も次のバスを待つことに成った。自分の状況判断の悪さを反省したがのんびりする時間も悪くない。14:56のバスまで散歩を楽しみ、麓に降りては昨日の唐松荘で風呂を借り、山形村唐沢で蕎麦を食べ満足して帰宅した。
蒲生岳 828m 福島県只見町
2010年05月29日登山:F島と2人

 
 土曜日の降水確率が10%なので初夏の会津を楽しもうとF島と打合せを行い、七ヶ岳に行くことにした。金曜日の仕事を早めに上げ、太田市でF島を拾い、夜は湯西川の道の駅で軽く酒を飲み眠りについた。
 
 5時に目覚めると低く垂れ込める雲が重い。展望が売りの七ヶ岳[]1,636m]や荒海山はこんな天気に登りたくはなく、標高が低い志津倉山[1,234m]なら雲の下かと思って登山口まで行くが、やはり稜線は雲の中だった。こうなると奥会津の蒲生岳しかないだろう、と消去法で選ばれた蒲生岳登山口に着いたのは9時になろうとする時間であった。関東ナンバーの車が6台停まっていた。
 便所を済ませ準備を終え9:08より登山を開始する。さすがは「会津のマッターホルン」で、山に取り付くと直ぐさま急坂が始まり、高度を上げるほど勾配が急に成る。ツツジの花と展望が綺麗なことが救いであるが汗が吹き出るように流れ始める。岩場で息が切れる頃、岩壁コースと鼻毛通しコースの分岐が訪れる。楽と言われる鼻毛通しに迂回するが、これも岩場のトラバースなど、結構神経も使うし腕力も使う。
 標高差460mに過ぎない山頂には10:18に到着する。何故か猫がうろうろしていた。我々は高低差の割には疲労が目立つので、雲のかかった浅草岳などの写真を撮りながら早めの昼食を取り、ゆっくり休む。後続の団体が到着した10:50に山頂を後にし、コースの冒頭に危険個所が有るという小蒲生登山口に向け下り始める。
 少し進むと足がすくむような高度感の有る場所に急降下する鎖が附けられている。F島は『今なら引き返せますよ』と言うが、慎重に進めば何とかなると勇気を奮って前進する。写真を撮る余裕もないまま危険個所を過ぎれば、後は快適な下り道で、ブナの若葉やカタクリの花などが楽しめる快適なコースとなる。山道を抜けて農道に出ると道が残雪で塞がっている。農道から下に降りて迂回をすれば残りは僅かな距離で登山口に戻る。上原清水でボトルを満タンにし、満開のヤマナシを写真に収めて車には11:58に帰り着いた。
 
 下山後は温泉に入るため只見保養センターまで向かったが、施設に着いたところでF島が『浅草岳から降りて入ったことを思い出しましたがつまらない湯でしたよ』と言うので先に進むと家屋もなくなり、そのまま六十里越えを抜けて新潟県に入ってしまった。寿和温泉とへぎ蕎麦を楽しみ前日には予想もしなかった関越道小出ICから帰路に就いた。
No61 .2010/04-2010/05    ←No60No62→
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