No.67 八丈編      日本を走る ←No66御岳編No68南信編→
旅行期間 1989年6月2日〜1989年6月5日 旅行日数:6日間
総走行距離 41km
走破市町村 2
同行者 S井・K藤・W辺 使用自転車:RT
総費用 74,488円 当時の年齢:25歳





















初日 1989年9月13日
移動区間 上田市公団上田寮〜町田市小林家
2日目 1989年9月14日
移動区間 町田市小林家〜東海汽船・すとれちあ
3日目 1989年9月15日
走行区間 八丈町民宿むらさき荘起点日帰り
走行距離 18km
走破市町村 1(八丈)
累計数 2,229
4日目 1989年9月16日
移動区間 八丈町民宿むらさき荘連泊
 貴重な夏期休暇は中学の同級生2人が青森のねぶたを見たいと言うので、S井と合計4人で3泊4日のドライブを行ったのだが、波長が合わない者との旅は結構大変だと今更にして知ってしまった。それに比べると団体行動が苦手な私の友人達はなんて気楽な関係なんだろうと改めて思ってしまったわけである。そんなわけで「失われた夏を求めて」をサブテーマに男ばかりの南の島を目指した。そう言えば皆の最近の愛読書は椎名誠の「わしらは怪しい探検隊」シリーズである。

 9月13日に上手い具合に東京出張が入り、旅行荷物を持ったまま仕事に来てしまう。今回は自転車を輪行して行かないので比較的軽装である。新宿で長野オリンピックに高速道路を間に合わせるための諸課題の会議を終えて街に出てS海と飲んで姉の家に泊まり、義兄や姉に今年度末でサラリーマンを終えて実家に帰り地元で仕事をする事を伝える。心配しながらも励ましてくれる親族は有り難い。

 14日は昼過ぎまで甥っ子の面倒を見た後、集合地点である竹芝桟橋に向かう。9月に成ったというのに島を目指す旅行者が沢山居る。乗る前から嫌な予感がしていたがまたも大島編と同じような難民船だった。今回は階段の踊り場も確保できず、酔っぱらった勢いで階段に寝るという荒行を行うことになった。

 15日は当然のように寝不足のままで八丈島に到着する。船から一歩外へ出ると日差しは真夏の強さである。八丈の民宿の予約はK藤の担当であり、無難に港に近い民宿を予約して有るのでレンタサイクルの手配等が便利である。直ぐさま荷物を置いて藍ヶ江港まで自転車で泳ぎに行く。南国の風景の中を4台のママチャリで走り回るのも楽しく、逢坂橋を登って振り返る八丈小島も絶景である。今回は私の8mmVTRカメラも持ってきているので映像を作るのも楽しい。
 港に到着し、泳いだり昼寝をしたりする。気が付くと若い娘さんが2人で港に来ている。今となっては誰がどの様に声をかけたか覚えていないがどちらも椎名誠の愛読者と言うことで急に仲良くなり、明日は八丈富士に登りに行き午後は泳ごうと言うことで話がまとまる。自転車で宿に帰り焼酎を飲んでこの日は終わる。

 16日は民宿の朝食を取ったらレンタカーを借りて彼女たちを迎えに行く。彼女たちが泊まっている宿の親父さんには我々が島で娘を軟派する軽薄な男達に見られたようだ(でも間違ってはいない気もする)。その足で八丈富士に登りに行く。詳細は登山記録を参照。下山して八丈島の海岸を反時計回りに走り、藍ヶ江港に着く。彼女たちが泊まっている宿は椎名誠がひいきにしているところらしく、彼女の着替えの間に親父さんと色々話をして軟派野郎の誤解も解けて仲良くなり、港のカヌーで遊んでも良いと言われる。
 海に着き泳ぎはじめる。気が付くとW辺は1人の女の子を囲い込んでいる。それが将来、彼の奥さんに成るとは誰も思っていない。K藤はもう1人の女の子と話していたかと思ったが気が付くと昼寝をしている。私とS井はカヌーで遊んでいたところ、地元の小学生が10人ぐらい泳ぎに来て「乗せて」と頼むので船に引き上がる。すると餓鬼ども小学生達は「転覆させちゃえ」と船を揺らし抵抗むなしく沈没する。船が沈むと子供は一斉に引き上げていく。水没したカヌーをS井と陸に引き上げるように努力している間もW辺はなかなか囲い込みを緩める様子がないが、いよいよ完全に港で沈しているのを見て大変だと思い、沈んだカヌーの引上げをしてくれた。
 そんな内容の海の遊びも終わり、八丈温泉でさっぱりして、かき氷を食べ宿の離れた彼女たちとは藍ヶ江で解散する。帰りにレンタカーに入れたガソリン価格の高さには驚かされたが、とても楽しい1日であった。
5日目 1989年9月17日
移動区間 八丈町民宿むらさき荘〜三宅町阿古YH
走行区間 三宅町阿古YH起点日帰り
走行距離 23km
走破市町村 1(三宅)
累計数 2,230
6日目 1989年9月18日
移動区間 三宅町阿古YH〜上田市公団上田寮
 9月17日は10:10の船で八丈島から出発する。彼女たちも同じ船ではあるがこのまま東京に出て今夜の列車で大阪に帰るという。残り少ない時間の交流を深めたら4時間後に彼女たちと別れ三宅島錆ヶ浜港に到着する。夕食までの間に島を1周しようと考えるがS井がママチャリでの1周を拒み原チャリを借りたいという。結局2台の自転車と2台の原チャリの混成団で島を回ることにする。半時計回りに走りはじめ大路池やひょうたん山、伊豆岬などを走り火山が作り出した自然の造形に感動を覚える。阿古まで帰り6年前(1983年)の噴火で埋まってしまった阿古中学校などを見て火山の力に戦慄を覚える。しかし、この後も三宅島は何度と無く火山に苦しめられ行くことになる所まで思いは至らなかった。YHに帰り、すぐ近くにある温泉浴場に入浴し、酒にも厭きて早めに寝た。

 18日は朝から海に泳ぎに行こうとしていたら本日の寄港地が三池港との放送が入り荷物を持ってバスに乗り三池まで行く。そこの三池浜で泳ぐと上空を三宅島空港に到着するYS-11が降りてくる。横風でフラフラしており、あんな飛行機に乗っていたら肝を冷やしそうだと思う。
 海から上がりラーメンを食べ、14:10の船で三宅島を出航し20:30に竹芝に到着する。八重洲でW辺推薦の立ち食い寿司を食べ東京駅で解散する。私はK藤に見送られ急行「能登」で上田に帰っていった。(次は南信編