No.68 南信編      日本を走る ←No67八丈編No69山梨編→
旅行期間 1989年10月8日〜1989年10月10日 旅行日数:3日間
総走行距離 384km
走破市町村 20
同行者 無し 使用自転車:WR
総費用 21,101円 当時の年齢:25歳
初日 1989年10月8日
走行区間 上田市公団上田寮〜大鹿村鹿塩温泉塩湯荘
走行距離 142km
走破市町村 3(高遠,長谷,大鹿)
累計数 2,233
 上田に住んでいられるのは来年の3月末までと決めていたので、地元に帰る前に長野県の走破完了を目指し体育の日の連休を利用して旅に出かけた。
 朝7時に寮を出発し平井寺トンネル経由で新和田トンネルを抜ける。4年前の木曽編では前橋から出発して脱水症状気味になりながら越えた峠も、今回は上田発の上に気温が低いので比較的楽に越える。岡谷で早めの昼食を取り辰野を過ぎたところでパンクする。修理しようと思ってふと空気入れが無いことに気づく。幸い自転車屋さんが500m位の所に有ったから良かったが山の中だったら大変な事になるところだった。その自転車屋ではフレームポンプが無かったので伊那のショップを教えてもらい、そちらで購入して高遠に向かう。
 晴れてはいるが南や中央アルプスが霞んで見えない状況で高遠城跡に到着し見学して回る。そこから大地溝帯に沿って南下を開始して分抗峠に着く。頂で一休みをしていると南側から登ってくる自転車が来る。連休で信州の林道を走っているという彼がバーナーで珈琲を湧かしてくれる。寒かったこともあり有り難く頂く。飲んだ後は南北に別れ、予約してあった宿に到着しダウンヒルで冷えた身体を温泉でゆっくりと暖めた。食事後は友人達に心境を伝えたくハガキをしたためるのだった。
2日目 1989年10月9日
走行区間 大鹿村鹿塩温泉塩湯荘〜設楽町添沢温泉YH
走行距離 123km
走破市町村 9(上,南信濃,天龍,富山,水窪,阿南,売木,津具,設楽)
累計数 2,242
 10月上旬というのに寒い。昨日は東北方面で初雪が降り北アルプスでは遭難が相次いだことをニュースで知る。朝風呂から出て大地溝帯の南下を続ける。
 地蔵峠を越えるとダートの上り坂が続く。何が「峠」なんだと思っているうちに下りになり始め舗装路になる目前にパンクをする。昨日のパンクがなければここで空気入れがないことに気づいていたのか、と思うと運の良さを感じる。
 上村以南は三遠南信連絡道路の工事現場が連続で現れ、南信の新しい時代を感じる(しかし17年経っても夜明け前に変わりはなかった)。地溝帯から天竜川に出て県境を越えると人口最小に村である富山村に着く。村人2人を見れば村の総人口の1%以上を見たのだと変な感動を覚えながらダム湖にかかる橋を渡り大嵐駅に着けば静岡県水窪町の走破となる。
 天竜川沿いに道を引き返し、早木戸から西に進み新野峠を越え、さらに峠を越えて津具村の油戸に行き、県道で添沢温泉まで走り、幻と言われている添沢温泉YHに到着する。他にライダーが2名とバスで来た青年の4人で離れを宛われる。皆ここがどの辺りだか解らないという状況で泊まっている。オフロードライダーに代表で買い出しを頼み、夜遅くまで男4人で飲んでしまった。
3日目 1989年10月10日
走行区間 設楽町添沢温泉YH〜飯田駅:西上田駅〜上田市公団上田寮
輪行区間 JR飯田駅→JR西上田駅
走行距離 119km
走破市町村 7(稲武,上矢作,根羽,平谷,浪谷,下条,秦阜)
累計数 2,249
 添沢温泉から257号線で北上を開始する。昨日の疲れが残っておりかなり怠い。418号線の分岐で台風災害の通行止めを示す看板がある。作業員用通路が有れば行けると無視して進み現場に着くと道が完全に無くなっている。引き返して迂回するのも大変なので強行方法を考えると、河原の石を渡っていけば何とか付けそうだ。自転車を担ぎ川を歩いて向こう側に着くと道は5m近い崖の上。垂れ下がっているトラロープを使い自転車を引き上げるなどの戦いで1時間近くを費やしてしまう。
 その先も登りが続き、かなり精神的に参っていたが治部坂峠を越えると豪快な下りが待っており楽になった。阿智から県道で飯田線の唐傘駅まで走れば秦阜村に入り長野県走破完了となる。飯田の街中まで走り、長野県完了を1人祝い、輪行で上田に帰り着いたのは夜10時だった。(次は山梨編