No.75 | 金沢編 ←No74薩摩編・No76陸奥編→ | |||||||
旅行期間 | 1992年5月2日〜1992年5月5日 | 旅行日数:4日間 | ||||||
総走行距離 | 361km | |||||||
走破市町村 | 19 | |||||||
同行者 | F島 | 使用自転車:WR | ||||||
総費用 | 61,442円 | 当時の年齢:28歳 | ||||||
初日 | 1992年5月2日 | |||||||
走行区間 | 野洲町野洲駅〜腰越BS | |||||||
輪行区間 | 自宅→JR巌根駅→JR野洲駅、腰越BS→JR安曇川駅→JR今津駅→山中BS→三方町民宿はまゆう | |||||||
走行距離 | 48km | |||||||
走破市町村 | 2(中主,朽木) | |||||||
累計数 | 2,357 | |||||||
正月の薩摩編を行ったことで気が軽くなり、長距離走行を再会する。このGWは北陸編以来足を踏み入れていない石川県に行く為に滋賀県から走る企画とする。 大垣夜行から快速列車に乗り継いで野洲駅におりて出発する。琵琶湖大橋では天気が良かったが比良山の裏に回ると雨が降り始める。雨の中を走るより、天気が良いときに走りなおしに来た方が記憶に残るので輪行しようと言うことになり、バスと電車を乗り継いで山中BSまで行き、迎えに来ていただいた民宿の車で宿に着く。その間はずっと雨だったから選択は正しかったと考える。 |
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2日目 | 1992年5月3日 | |||||||
走行区間 | 三方町民宿はまゆう〜大野市民宿はやし | |||||||
走行距離 | 134km | |||||||
走破市町村 | 7(三方,美浜,今庄,南条,今立,池田,美山) | |||||||
累計数 | 2,364 | |||||||
昨日の雨で汚れが全て流されたような気持ちの良い天気である。水月湖の東岸に沿った若狭自然歩道サイクリングコースを爽快に走り美浜に出て27号線で敦賀に出る。そこから北陸本線の旧線跡を利用した道路で今庄に抜ける。鉄道跡を利用しているだけにトンネルも狭く暗いが勾配は緩くのんびり走るには快適な道である。途中で北陸道の杉津PAに従業員通路から入り売店の焼きそばを食べ休息する。そこで池田町に行かねばならぬ私と一乗谷の朝倉氏の遺跡を見たいF島と意見が分かれを、武生から別のコースを走ることを決める。 武生で昼食を取り、越飛編で気に入った大野市勝原の民宿林湊に電話をするが本日は満室と言うことで隣の民宿を確保してくれる。そして午後4時に越前大野駅で待ち合わせを決めて別行動を開始する。今立を抜け板垣峠を越えて池田町に入り476号線で大野市を目指す。気温がじりじりと上がり山道が続く割にはそれほど疲れずに走れ、午後3時に大野市に到着する。 大野の銘水井戸などの観光をしてから荒島岳の地図を買ってF島と待ち合わせた駅に着くとまだ時間が30分以上有る。体調も良いし宿も近いのでつい缶ビールを飲んでしまう。ほぼ予定時刻にF島が到着し、荒島岳の麓の民宿に向かう。わずか350ccを飲んだだけで酔った感覚はないが、上り坂で心臓の鼓動が早くなり力を入れられなくなる。前に栗駒編で同じ様な状況になったことを思い出し、反省のない自分を嘆く。そしてこれ以後は少しでも山道の走行があるときには飲むことを止める(自転車でも飲酒は禁止なので、そもそも飲んでは駄目なのである)。 宿に着いてから荒島岳情報を聞くが、明日登山してから金沢まで走るのは強行軍に成りそうだから山は無しでのんびり走ることにする。 |
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3日目 | 1992年5月4日 | |||||||
走行区間 | 大野市民宿はやし〜金沢市ビジネスホテル | |||||||
走行距離 | 101km | |||||||
走破市町村 | 6(白峰,尾口,吉野谷,鳥越,河内,鶴来) | |||||||
累計数 | 2,370 | |||||||
登山を止めたので時間的にはかなり余裕がある日になった。勝山から道路改修の進んでいる157号線を県境まで登り切れば後は下るだけである。この国道沿いで真っ白な白山が見える事を期待したが昨日の暑さのためか水蒸気が多く晴れてはいるが展望がない。おまけに鳥越村あたりまで下ると今日も暑くなる。時間もあるので手取川温泉に入浴してのんびりする。 風呂から上がり鶴来の白山神社を参拝してから海まで走り、徳光ハイウエイオアシスでくつろぎ、午後4時頃金沢に入る。今回は金沢を楽しむのが大きな目的なので自転車を駅前のホテルに置き、香林坊までバスで出て街歩きをする。水路が流れる落ち着いた街並みや金沢城(金沢大学)などを散策する。日が陰り始め、まだ飲み始めるには少し早いと思ったが早速落ち着くことにする。 最初はF島の嗅覚で安くて良さそうな店に入るが、お通しを食べただけで味が知れてしまうし、メニューも観光客相手という気配が濃厚に漂ってくるし日本酒は灘の大手銘柄しか置いていない。麦酒1杯と冷や奴を食べただけで店を出て2軒目は私が選び入る。大衆割烹という感じの店で、酒も「菊姫」「天狗舞」「手取川」はもちろん福井の「黒龍」や富山の「銀盤」「立山」という北陸3県の酒が10銘柄も揃っている。メニューを見ても金沢名物○○とか北陸仕立てなどという文言もなく質感がよい。嬉しくなり酒を横から1杯づつ飲み始める。板さんと話していると昔木更津でも勤めていた云う。色々意気投合し、酔いも回ってメニューに無い焼き越前ガニなどを頼む。後から来た観光客に美味しい品や酒を教えこの店は良い!等と盛り上がる。 酒だけで10杯飲んだからそれだけで1人5千円になる。多分2万円を大きく超えていると読んで、F島は1万で良い。それを超える部分は俺が全額出す、と言って清算すると合計18,000円に負けてくれている。とても気持ちよい気分で宿に帰る。 |
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4日目 | 1992年5月5日 | |||||||
走行区間 | 金沢市ビジネスホテル〜富山市富山駅 | |||||||
輪行区間 | JR富山駅→JR巌根駅→自宅 | |||||||
走行距離 | 78km | |||||||
走破市町村 | 4(小矢部,福岡,新湊,下) | |||||||
累計数 | 2,374 | |||||||
朝7時にF島が起床してこない。ドアをノックすると二日酔いで今日は動けないと情けないことを言う。もっとも考えて見れば昨日は1人1升酒だ。いくら良い酒を飲んでいても辛いのは当然だろうと思い、昼に富山駅で待ち合わせを決めて1人で走り始める。ちなみに私は頭痛等も無く、まだ少し酒が残ってるような陽気な気分だ。 天気も快適で、8号線を酒臭い汗を流しながら爽快に進む。倶利伽羅峠も順調に越え、高岡を抜けたら新湊に入る。日本海ミュージアム構想の看板が掲げられた伏木富山港に着くと看板がロシア文字併記であり、海の向こうは沿海州だと実感し、これからの環太平洋の動きがどうなるか楽しみになる。 富山に入り富山城を見学し、F島の乗った電車の到着を待つ。改札を出たF島に駅前でパッと飲み食いしようと誘うが食べれそうもないと言うことで自分の分だけモスバーガーを購入し、キオスクで麦酒を買って特急で静かに帰宅するのであった。(次は陸奥編) |
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