No.76 陸奥編      日本を走る ←No75金沢編No77広島編→
旅行期間 1992年8月11日〜1992年8月17日 旅行日数:7日間
総走行距離 357km
走破市町村 22
同行者 K沢・W辺・G藤 使用自転車:WR
総費用 73,082円 当時の年齢::26歳
初日 1992年8月11日
移動区間 自宅〜夜行急行・八甲田
2日目 1992年8月12日
輪行区間 JR巌根駅→JR花巻駅、三沢駅前→下田村かわよグリーンYH
走行区間 花巻駅〜三沢駅
走行距離 201km
走破市町村 11(石鳥谷,柴波,矢巾,都南,西根,松尾,安代,浄法寺,軽米,南郷,三沢)
累計数 2,385
 現場の夏休みを利用し、木更津の港祭は休んで北の旅に出る。今回は去年の栗駒編を一緒に走ったK沢とW辺という組合せで、例により現地集合である。
 11日の仕事を終えて夜行八甲田に乗り込むと同じボックスに出稼ぎから帰る男達が乗ってくる。私が現場監督をしているというと話が盛り上がり、酒を勧められるままに飲んで寝た。

 12日の未明、一関を過ぎた所で目を覚まし、花巻で降りますと隣の男に挨拶するとジャケットの内側に手を入れ「金が無い。返せ」と言う意味のことを秋田弁で騒ぎ始める。騒ぎで周辺の人達がみんな目を覚ます。別の男に「鞄を探せ」と言われた隣の男は鞄の中から札束の入った袋を見つける。中身を数えてから「疑ってすまんかった」と1万円を押しつけてくる。昨日の酒だけで充分ですよと辞退するが頑として受け取ってくれと言われるので有り難くいただき花巻で下車する。
 駅前に出ると自転車を組み立てている3人組の女の子がいる。挨拶をして自分の自転車を5分で完成させ彼女たちの作業を見ながら話を聞くと女子大のサイクリング部の合宿で今夜は松川温泉泊という。一緒に行きたい気持ちを振り払い4号線を北上する。滝沢を過ぎると東北道に沿うように282号線に入る。期待していた岩手山の勇姿は雲で見えない。北緯40度のモニュメントを過ぎて安代に着き、県道で二戸に出たら金田一から猿越峠を越えて軽米に入り南郷を抜けて八戸に入る。八戸から三沢に向かっていく道で前を走る自転車に追いつくとK沢だった。
 K沢と併走して走りながら三沢駅に着き、W辺の迎えを待つ間でそれぞれ輪行体制にする。K沢もこの1年で輪行を重ねたという事で手際がよい。程なくW辺の車が着き三沢基地前を経由して牧場にあるYHに着く。W辺は常連だと言うことで私達も常連部屋に泊まることになる。食事も良く部屋も離れで室内酒を飲めるのは良かったが、東北本線が通るたびに「銀河鉄道」と言って暗くするのは頂けない。
3日目 1992年8月13日
移動区間 下田村かわよグリーンYH〜岩木町W辺車中
4日目 1992年8月14日
輪行区間 岩木町W辺車中→岩木山登山口:黒石IC→長井市今泉駅
走行区間 岩木山登山口〜黒石IC
走行距離 42km
走破市町村 6(岩木,西目屋,相馬,田舎館,尾上,黒石)
累計数 2,391
 13日は八甲田に登る予定の日であったが朝から雨である。仕方ないので蔦や酸ヶ湯などの温泉巡りをする。それでも昼間の小雨を狙ってロープウェイで登るが視界が全く聞かず田茂萢岳の湿原を見て回るだけで早々に下山し、今度は八甲田温泉に入り乾いた服装に着替える。青森の市場で買い出しをして岩木山に向かった。

 14日に岩木山に登り、登山口から黒石インターまでを自転車で走行する。岳から西目屋村の目屋に向かう途中のコーナーでK沢がタイヤを滑らせて転倒し腿と肘を擦りむく。幸い傷は深くないようなのでボトルの水で傷口を洗い、静かに走っていくと薬局が出てくる。オキシドールやカットバンを買って手当をする。
 怪我人連れで弘前に向かって走り、市街を通過したところで小雨になり始めるから雨宿りにファミレスに入って昼飯を取る。インターまで残り5kmを切った辺りでは有るが雨はだんだん強くなる。まだ携帯電話の普及前だからW辺に連絡を取ることも出来ず、K沢を置いて迎えに行こうとするが彼は気にするなと一緒に行くことを主張する。雨の中全力で走り高架橋の下で先に来ていたW辺と合流する。
 K沢はこれから奥入瀬を巡って帰るというので十和田湖畔に降ろし、W辺の車で南下を始める。日没後に乳頭温泉の鶴の湯に到着し温泉を楽しんでからさらに13号線の南下を続けコンビニで夜食を購入し、夜遅く私のリクエストである米坂線今泉駅に到着する。今回は寝袋を持ってきていないが夏だからホームの木製ベンチに横になれば風邪も引かずに朝になるだろうという判断である。
 W辺はこのまま福島まで走って高速で帰宅すると言うので交通費等の清算を行い自転車を降ろして解散する。ベンチはプラスチックの1人用になっていて横になれないのを知ったのはW辺と別れた後だった。
5日目 1992年8月15日
走行区間 長井市今泉駅〜粟島浦村民宿
走行距離 108km
走破市町村 5(飯豊,小国,関川,紫雲寺,粟島浦)
累計数 2,396
6日目 1992年8月16日
走行区間 粟島浦村民宿〜村上市岩船港
輪行区間 村上市岩船港〜長野市ステーションホテル
走行距離 6km 走破市町村:0
7日目 1992年8月17日
移動区間 長野市ステーションホテル〜自宅
 15日の深夜に今泉駅のコンクリート床の上に横になった仮眠がよく眠れない事が解り、午前1時頃に手ノ子駅まで走ると木製ベンチに出会えたので落ち着いて睡眠を取る。早朝に目覚めると山形県の走破のために113号線を走り早朝の赤芝峡を過ぎて新潟県に入る。坂町から南西に走り村松浜に出て紫雲寺町の境界まで走る。夏の日本海には石油の採掘ホームが浮かんでいる風景を見せている。紫雲寺町に入ったところから海岸線を北上して岩船に到着する。
 旅客船待合所で待ち合わせたG藤さんに新潟県北端までの運転は大変だったと言われながら昼のお弁当を頂く。それから待合所の公衆電話から民宿を予約して、彼女の車を港の駐車場に置いたまま混雑するフェリーで島へ渡る。
 日本海には北に飛島が有るが酒田市の管轄なので渡らないが粟島は単独自治体なので走破のためには行くしかないのである。98年のシマダスで人口を比較しても粟島474人に対して飛島434人とほぼ互角である。どちらも本土から30km以上離れている。自治体が独立していることの意味を考えるのには良い比較だと思う。
 自治体論はさておき、島に着いたら民宿に受付を済ませ、水着に着替えて内浦海水浴場に向かい日本海を楽しむ。土曜日だから島に人が多いようだ。

 16日は民宿の自転車を1台借りて、午前中に島を横断し西側の海に行って泳ぐ。午後の船で岩船に帰り、後部座席を平らにして自転車を積み込み、私が車を運転して長野県に向かう。途中で松之山温泉に入り松本の彼女の住まいまで向かおうかと考えたが目先を変えて長野駅前に泊まる。上田時代に行った記憶のある居酒屋で日本酒を飲んでお疲れさま会とする。

 17日の朝は懐かしき上田に入り草笛の盛り蕎麦を食べ、特急「あさま」で帰宅するのであった。(次は広島編