No.81 | 東濃編 ←No80北上編・No82道北編→ | |||||||
旅行期間 | 1993年7月8日〜1993年7月11日 | 旅行日数:5日間 | ||||||
旅行日数 | 5日間 | |||||||
総走行距離 | 139km | |||||||
走破市町村 | 13 | |||||||
同行者 | G藤 | 使用自転車:GT | ||||||
総費用 | 29,345円 | 当時の年齢:29歳 | ||||||
初日 | 1993年7月8日 | |||||||
移動区間 | 自宅〜松本市G藤邸 | |||||||
2日目 | 1993年7月9日 | |||||||
輪行区間 | 松本市G藤邸→恵那峡、JR瑞浪駅前→美濃加茂市駅前ホテル | |||||||
走行区間 | 恵那峡〜JR瑞浪駅前 | |||||||
走行距離 | 64km | |||||||
走破市町村 | 7(蛙川,岩村,山岡,明智,旭,串原,小原) | |||||||
累計数 | 2,531 | |||||||
7月8日に私の車で松本に着き、G籐さんを乗せて中ノ湯温泉まで行き、カメラを忘れて焼岳の登山をしてから彼女の家に泊まり、翌日から岐阜県東部の未走破自治体の走行と道北編にそなえた足造りを行うための走行を行う。 早朝に彼女の軽四へ自転車や着替えを積み替えて出発し、中央道を中津川ICで下りて恵那峡の赤岩に至り、そこで自転車を降ろす。降ろした時点で蛙川村の走破になってしまうのでこのまま少し走って車に積めばルール違反と成るが、ここから連続して走るから問題はないという解釈である。 恵那峡から恵那市に出て257号線から363号線を乗り継いで明智町に入る。ここで待ち合わせたG藤さんと昼食を取り、日本大正村の古い街並みを歩き回って一時の休憩を行う。 明智から愛知県旭町に入り小原村を通過して瑞浪駅前まで走ったところで今日の走行は終わり。車に自転車を収納し、妻籠を見て灰沢温泉に入って岐阜県に戻り、美濃太田駅前のシティホテルに泊まる。 |
||||||||
3日目 | 1993年7月10日 | |||||||
輪行区間 | 美濃加茂市駅前ホテル→中川辺駅前、坂下駅前→松本市G藤邸 | |||||||
走行区間 | JR中川辺駅前〜JR坂下駅前 | |||||||
走行距離 | 75km | |||||||
走破市町村 | 6(七宗,東白川,加子母,付知,福岡,川上) | |||||||
累計数 | 2,537 | |||||||
4日目 | 1993年7月11日 | |||||||
移動区間 | 松本市G藤邸〜自宅 | |||||||
美濃太田から近い中川辺駅前まで車で走り、そこから自転車で走り始める。まずは41号線で飛水峡を抜けて白川町から白川街道で加子母村に至り、256号線で付知町を越える。ここまで前になり、後になり軽四で伴走してくれていたG藤さんはここで買い物のために中津川市へ向かう。 福岡町可田瀬から人口995人(1985年国勢調査)の川上村に入るため県道で丘越えをする。そして今日の走行終了地点である中央線の坂下駅まで走り、G藤さんを待つと、冷えたスイカを購入してきてくれたので木曽川の河原に出て仲良く食べた。桟温泉に入り松本に帰り、アルプスワインを購入して彼女の手料理を食べた。 7月11日は私の車で高ボッチ山に行ったがあいにくの曇りで何も先が見通せない天候だった。足元に咲く綺麗なキスゲの花だけを覚えている。そして彼女を自宅に送り、木更津まで帰っていった。(次は道北編) |
||||||||