No.87 | 西岳編 ←No86隠岐編・No88南海編→ | |||||||
旅行期間 | 1995年12月27日〜1996年1月7日 | 旅行日数:12日間 | ||||||
総走行距離 | 296km | |||||||
走破市町村 | 23 | |||||||
同行者 | 登山と移動でF島 | 使用自転車:GT | ||||||
総費用 | 176,719円 | 当時の年齢:31歳 | ||||||
初日 | 1995年12月27日 | |||||||
移動区間 | 自宅→神戸市車中(輪行のみ) | |||||||
2日目 | 1995年12月28日 | |||||||
移動区間 | 神戸市車中→玉名市玉名温泉(輪行のみ) | |||||||
すっかり登山に染まってしまったF島と年末年始休暇を西日本の登山で過ごそうと話がまとまり、登山のついでに自転車で走るという旅を企画した。 初日の夜に大阪別府航路を予約していたが東海方面の大雪による渋滞に巻き込まれ乗船時間に間に合わず、2日間に渡る陸送を行い玉名温泉に到着する。 |
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3日目 | 1995年12月29日 | |||||||
走行区間 | 玉名市玉名温泉〜玉名市玉名温泉→熊本市水前寺YH | |||||||
走行距離 | 126km | |||||||
走破市町村 | 11(横島,天水,河内,合志,西合志,菊鹿,鹿央,菊水,三加和,南関,山川) | |||||||
累計数 | 2,796 | |||||||
F島とは明日の昼にJR鹿児島本線隼人駅で合流する計画なので、筑肥編で走り残した熊本県北部を走破する。当初計画は28日と29日の2日間に渡る物であったが船に乗り遅れたので仕方がない。昨夜に日帰りバージョンを練り上げた。 宿には夕方まで駐車することを了承してもらい出発。海岸線を走り5年近く前に熊本市に編入されている旧河内村を抜けて金峰山を回り込むように熊本城に到着。城見学の後387号線で菊地温泉に向かい200円で入浴。山側の菊鹿を走破してから鹿央を経て九州道に沿って北上し、県境を越えたら渡瀬に出て海岸沿いの県道で玉名温泉に帰る。熊本まで僅かに移動して宿泊した。 ちなみにF島はこの日に鹿児島入りして翌朝開聞岳を登ってからの参加になる。近くにいてもなかなか団体行動を取らないのはいつもの通りである。 |
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4日目 | 1995年12月30日 | |||||||
移動区間 | 熊本市水前寺YH→霧島町民宿登山口荘(輪行のみ) | |||||||
5日目 | 1995年12月31日 | |||||||
移動区間 | 霧島町民宿登山口荘→霧島町車中 | |||||||
朝から高速でえびのまで走り京町温泉で朝湯。半日の自由時間では自転車で走る気がしない。2人乗りにするためには荷物の整理が必要だからと国分で衣装箱を購入し、隼人駅で整理整頓しているとF島が合流。霧島温泉に入り民宿に泊まる。 翌日は霧島韓国岳に登り高千穂登山口で薩摩編に続く年越車中泊をする。 |
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6日目 | 1996年1月1日 | |||||||
移動区間 | 霧島町車中→竹田市民宿清流 | |||||||
7日目 | 1996年1月2日 | |||||||
移動区間 | 竹田市民宿清流→宇和町車中 | |||||||
元旦に高千穂峰と阿蘇高岳、翌日に祖母山と2日間で100名山を3峰登り、帰路に付く。佐賀関から三崎港に渡り八幡浜からJRに沿うように南下すると日も暮れる。車だから何処まででも行けるが剣山の登山を明日にするのは無理があるので明後日まで時間が有る。焼き肉屋で酒を飲み駐車場の片隅で荷物を出し、椅子を倒して平らにした後ろの荷台で寝袋で寝る。 | ||||||||
8日目 | 1996年1月3日 | |||||||
移動区間 | 宇和町車中→西祖谷山村民宿(輪行のみ) | |||||||
9日目 | 1996年1月4日 | |||||||
移動区間 | 西祖谷山村民宿→犬山市犬山国際YH | |||||||
朝湯に大正温泉に入り、須崎の浦ノ内で正月らしく海鮮料理を食べ、時間にゆとりが有るがこれより奥に営業している宿泊所が無いため西祖谷山村に泊まる。 4日は雪道を走り氷点下の剣山の登山を行う。下山後は淡路島経由で明石海峡国道フェリーなどを利用して犬山まで移動しYHに泊まる。 |
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10日目 | 1996年1月5日 | |||||||
走行区間 | 犬山市犬山国際YH〜犬山市犬山国際YH | |||||||
走行距離 | 170km | |||||||
走破市町村 | 12(富加,関,武儀,上之保,美並,美濃,洞戸,板取,美山,武芸川,高富,伊自良) | |||||||
累計数 | 2,808 | |||||||
西海編で走り残した岐阜県を少しでも走破するために帰路の1日を停滞し、冬の美濃路を走行することにした。F島は電車で高山観光をするという。そもそも自転車を持ってきてないから同行は不可能である。 犬山から上之保の谷間を走り、昭和から平成に変わったときに有名になった武儀町平成(へなり)地区に行ってみると元号橋という立派な記念施設が出来ている。あの頃はバブルだったな、と思いながら北上。 路肩の雪はだんだん路面を覆うように成ってくる。美並に抜ける山道に入るといよいよ凍結路。下り坂では危なくて走ることが出来ない。両足でヤジロベイのようにバランスを取り、何度か転倒しながら156号線まで降りれば雪もなくなる。湯洞温泉まで南下してから板取側に沿って板取村境界まで遡る。 板取到着後は来た道を折り返し左右に点在する自治体を走り抜け、日も暮れた岐阜市内でハンバーガーを食べてF島と車の待つ犬山YHに帰り着いた。 |
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11日目 | 1996年1月6日 | |||||||
移動区間 | 犬山市犬山国際YH→大泉町F島社宅(輪行のみ) | |||||||
12日目 | 1996年1月7日 | |||||||
移動区間 | 大泉町F島社宅→自宅(輪行のみ) | |||||||
帰路は中央道を松本まで走り三才山を越えて上田に到着。日本トップクラスと思う茜の盛り蕎麦を食べて大泉で旅の打上げを実施し社宅に寝させてもらう。 翌朝は東北道を利用して速攻で帰宅して旅は終了した。(次は南海編) |