No.85 西海編      日本を走る ←No84山陰編No86隠岐編→
旅行期間 1995年4月26日〜1995年5月6日 旅行日数:11日間
総走行距離 1,002km
走破市町村 66
同行者 部分的にF島 使用自転車:GT
総費用 172,338円 当時の年齢:31歳
初日 1995年4月26日
輪行区間 自宅→JR巌根駅→JR浜松駅、近鉄津駅→近鉄上本町駅
走行区間 浜松駅〜津駅、上本町駅〜大阪南港:マリンエクスプレス
走行距離 180km
走破市町村 12(一宮,尾西,羽島,輪之内,平田,祖父江,八開,立田,海津,多度,南濃,楠)
累計数 2,708
 山陰編で鎖骨を骨折してから1年間も自転車の旅を中断していた。しかしGWが近付くと旅に出たくなる。またこの年は仕事のピークが3月末で終了して4月は開店休業状態になった。そこで4月23日投票の市議会選挙を手伝ったあとで、世間が連休に入る前の出発になる。
 この年の1月に阪神大震災が発生しており、その周辺に行くことも考えたが、まだ復興第二段階のため、飛び越えて九州に行くことにした。F島との電話打合せの結果、待合せは28日の鹿児島と決めた。それまで時間があるので九州入りは比較的安価な大阪からの船として往路に東海地区の走破を付け加えることにした。
 25日の夜9時半にJR木更津駅から快速に乗り東京で大垣夜行に乗り換え、混雑する車内で仮眠を取る。
 愛知県の未走破自治体の一つである三河の一宮町を走破するためなら豊橋下車の方が近いのだが、木曽編の軌跡が太平洋側に繋がっていない事も合わせて解消しようと思っての26日午前4時浜松下車する。暗い中で自転車を組み立て257号線を北上。県境の峠を暗いうちに越え、長篠を経てから一宮町に到着し夜明けの砥鹿神社や豊川稲荷に参拝し、名鉄豊川稲荷駅から尾張一宮まで輪行する。
 筑肥編でも降りた一宮駅で自転車を組み立て、今度は西に向かう。木曽川や長良川を3回も渡り、両側の自治体を一筆書きで走破を続ける。そして立田村に入ったところで愛知県走破完了。木曽三川公園で休んでから南下。鈴鹿川デルタに位置する楠町に入ったところで三重県走破完了。さらに四国編九州編の軌跡を繋ぐために海岸沿いを走り、近鉄の津駅に到着。上本町駅までの特急券を購入し、3度目の輪行をして車内で爆眠する。
 上本町駅からは神戸時代に親しんだ難波の街を抜け、秋のAPECに先立ち開業したWTCの有る南港の景観を楽しみ、フェリーターミナルに到着。19:50出航の宮崎行きマリネクスプレスに乗り込みゆっくりと熟睡するのであった。
2日目 1995年4月27日
走行区間 マリンエクスプレス〜吉田町上山温泉苑谷荘
走行距離 183km
走破市町村 16(高岡,野尻,高崎,高原,小林,菱刈,大口,薩摩,鶴田,宮之城,東郷,樋脇,入来,祀答院,蒲生,吉田)
累計数 2,724
 朝8時過ぎに宮崎港に到着。268号線を西に向かう。野尻を抜けたところで県道で高崎に出て221号線に入り、えびの市に向かう。えびの市役所は薩摩編で車から自転車を降ろした場所で何処とも軌跡が繋がっていないのでそれを解消する。
 えびのから薩摩編と同じルートを走り、栗野から川内川に沿って西に進む。湯之尾滝の鯉のぼりや東洋のナイヤガラと言うらしい曽木の滝など関東に住んでいては知ることの少ない名勝を抜けて東郷町南瀬に出る。県道で樋脇に出て、蘭牟田温泉の脇を抜け千貫岳の麓を越えて蒲生に着いた頃に日没を迎える。翌日のF島との集合が朝7時と早いため、この日は吉田経由で鹿児島市内まで出ようと考えていたが根性が尽き、県道脇の温泉に惹かれるように泊まってしまった。
3日目 1995年4月28日
走行区間 吉田町上山温泉苑谷荘〜屋久町宮乃浦荘
走行距離 102km
走破市町村 2(上屋久,屋久)
累計数 2,726
 宿を午前6時に出発し九州道沿いに南下。待合せの西鹿児島駅に到着。大阪から新幹線と夜行つばめを乗り継いで到着していたF島と合流後コンビニで買い物をすませて鹿児島8:45発の折田汽船で12:30に屋久島に渡る。
 予約していた民宿宮乃浦荘に荷物を降ろして軽装になり、可能で有れば午後からだけで島の1周をしたかったのであるが西側の林道が大変と聞き断念し、島の反対側にある平内海岸温泉に向けて走る。ツツジの咲く快適な道を温泉に到着してみればワイルドな湯船が無人で存在している。2人で早速入浴。そのうち団体客が来たのには参ったが良い温泉だった。後は宿まで走り明日に備える。
4月29日と30日は登山
4日目 1995年4月29日
走行区間 無走行(屋久町宮乃浦荘〜屋久町山小屋)
5日目 1995年4月30日
走行区間 無走行(屋久町山小屋〜屋久町宮乃浦荘)
6日目 1995年5月1日
走行区間 屋久町宮乃浦荘〜鹿児島市BHあさひ
走行距離 85km
走破市町村 3(南種子,中種子,西之表)
累計数 2,729
 民宿に自転車を置き、1泊2日で宮之浦岳登山を行い。6日目となる5月1日から走行を再会した。
 宅急便で登山靴やザックを自宅に郵送後、宮之浦港8:30発の船で9:50に種子島島間港到着。南端の門倉崎を回って種子島宇宙センターに到着し展示館を見学。その後は58号線で西之表市に向かい。種子島開発総合センター(鉄砲館)を見学して船に乗る。フェリーは最終便が13:30に出てしまっているので16:40の高速船に乗り鹿児島に向かう。途中で嵐を横切るが鹿児島市内の雨は上がっていた。ビジネスホテルに宿泊して天文館通りで前半戦の打上げを行った。
7日目 1995年5月2日
走行区間 鹿児島市BHあさひ→JR阿久根駅〜長崎市長崎県立YH
走行距離 116km
走破市町村 6(東,長島,牛深,河浦,天草,苓北)
累計数 2,735
 始めての南九州だから鹿児島市内や熊本に行きたいというF島の希望を却下して4日間別行動を取ることにした。帰りも安価な瀬戸内海航路とするため集合は新門司港で船の出航2時間前の18時として、そこまでは各自自由行動である。そんな訳で西鹿児島駅前で一緒に朝食を取ってから単独行である。
 各駅電車でJR串木野駅まで輪行し、そこより走行開始。黒瀬戸大橋を渡り蔵之元港11:00出航の国道フェリーで建設中の牛深ハイヤ大橋を見ながら11:30に牛深港に着く。水は驚くほど透き通っている。266号線で北上し、河浦から389号線で天草下島の西海岸に入り、崎津天主堂を見て首越峠を越えて大江天主堂も見学する。教会建築の力強さと気高さに天草の人たちが信仰の自由を得たときの開放感が伝わってくる。
 海を見ながら島の西側を北上して富岡港に至り17:20のフェリーで18:30に長崎茂木港に到着する。九州編で泊まった県立YHに素泊まり予約をし、夜の稲佐山に登って夜景を眺め、中華街の会楽園で麦酒を飲みながら夕食を取った。、
8日目 1995年5月3日
走行区間 長崎市長崎県立YH〜三井楽町三井楽YH
走行距離 88km
走破市町村 6(香焼,三和,野母崎,福江,岐宿,三井楽)
累計数 2,741
 長崎12:40発のフェリーで福江島に渡る切符を購入後、荷物をロッカーに預け、午前中で長崎市の南西に突き出た野母崎を1周してくる。水仙園から端島(通称軍艦島)も見えるが空気の透明度は低く、曇りであまり海の色も冴えない。
 11時前に長崎に戻ったので時間のゆとりが有ることと、福江島に着くのは17:10と遅い事から、中華街の会楽園で昨日と同じ場所に座り昼間から麦酒を飲みながら食事を取った。店の人が2日続きを覚えていてくれて1品のサービスを受ける。
 この年はJCで委員長をしていたが半月以上活動を休止していたので長崎市内から委員メンバーにお詫びを込めてカステラの土産を送る。その金額だけで学生時代の主要な旅の支出を越えることに複雑な気分になる。
 出島観光などしてからロッカーの荷物を出し、船に乗れば麦酒の酔いも手伝ってよく眠れる。
 福江島に到着し城下町を見学。日はまだまだ長い。宿は三井楽YHを予約してあるのでこれから25km走らねばならない。夕焼けの水浦天主堂を見学して宿に到着したのは午後7時少し前だった。
 GWだが宿泊客は全て一人旅が4名と少ない。少ないだけに盛り上がるし、この辺りまで来ている旅行者はなかなか奥が深い。2名が「長崎の教会」と言う本を持っている。沖縄の「離島情報」のような物か・・。
9日目 1995年5月4日
走行区間 三井楽町三井楽YH〜上五島町民宿西海荘
走行距離 105km
走破市町村 6(玉之浦,富江,奈留,奈良尾,若松,上五島)
累計数 2,747
 本を持っていた2人は奈留島に渡り教会を見に行くという。私も奈留町に行くために奈留島に渡らねばならないので同じ船に乗ることになる。では一緒に行きましょうと良いながら私は船が出る8:15までに玉之浦町荒川を経由し島の中央を横切りながら二本楠から富江町の境界まで走るなど30km弱を戦わねばならない。
 早めに食事を切り上げ6:40に出発し全力疾走を続ける。タイムトライアルは8:00に終了し、息も切れ切れに切符を買って奈留港まで移動。奈留島に9:20から12:50までの3時間半滞在できるのでのんびり観光できる。
 2人は若松島に渡るので江上天主堂で別れ、港に戻る。13:50に奈良尾港に到着したところ港に温泉の看板。今日はこの中通島に泊まるつもりだから余裕も多いので一風呂浴びる。その後、教会巡りをしている彼女らの本を見せてもらって建築様式が気になっていた福見天主堂と大曽天主堂を見て回り、電話帳予約した上五島の西海荘に泊まる。
 翌日は09:50の九州商船のフェリーで佐世保に渡るつもりで居たが宿の壁に有川と佐世保を結ぶ不定期高速船があるという情報が載っている。そこに電話してみると明日朝8時出航の船があり、自転車を載せても構わないと言う話。九州で走るゆとりが出来たことを喜び予約をする。これで明日もタイムトライアルだ。
10日目 1995年5月5日
走行区間 上五島町民宿西海荘〜名門太洋フェリー
走行距離 142km
走破市町村 15(新魚目,有川,北野,田主丸,大刀洗,嘉穂,碓井,稲築,山田,川崎,添田,大任,赤,犀川,苅田)
累計数 2,762
 朝食を取り有川港まで30分間の全力疾走。幸い道に迷うこともなく無事に船へ乗る事が出来た。佐世保には9時半に到着し、JR有田駅まで自走して九州編筑肥編の軌跡を繋いでから特急みどりに乗車。鳥栖で乗り換え筑肥編で使用した久留米駅で下車し、昼に2回目となる大砲ラーメンを食べてから筑後平野に取り残している自治体を走り始める。
 甘木から秋月に登り城跡を見学。八丁越を過ぎて322号線で川崎に至り、犀川経由で行橋に出る。10号線を下曽根まで走り、新門司港に到着したのは集合の約束より40分近く遅れた出航1時間少し前であった。
11日目 1995年5月6日
走行区間 名門太洋フェリー〜自宅
走行距離 1km
走破市町村 0
累計数 2,696
 船が大阪南港に着いたら自転車を組み、僅かに大阪市営地下鉄の南港口駅まで自走して再度輪行に入る。京阪の枚方市駅で降りたらF島の車で彼の赴任先の町の状況を見てから岐阜県へドライブ。F島のサポートカーを付けて岐阜県下の未走破地区を走ろうと考えたが雨のため中止。岐阜羽島駅で降ろしてもらい新幹線と在来線を乗り追いで帰宅した。(次は隠岐編