No.88 南海編      日本を走る ←No87西岳編No89道南編→
旅行期間 1996年4月28日〜1996年5月4日 旅行日数:7日間
総走行距離 646km
走破市町村 34
同行者 2日目からサポートとしてF島 使用自転車:GT
総費用 136,573円 当時の年齢:32歳
初日 1996年4月28日
輪行区間 自宅→JR木更津駅→南海和歌山市港駅→小松島港
走行区間 小松島港〜小松島市小松島YH
走行距離 4km
走破市町村 0
累計数 2,808
 午前中は木更津で会議と法事があって、出発は昼からになった。新幹線と特急を乗り継ぎJR和歌山市駅に到着。南海に乗り換えて和歌山港駅に着くと船の乗り場も目の前で順調に乗り継ぎ小松島港へ木更津から6時間弱で到着する。
2日目 1996年4月29日
走行区間 小松島市小松島YH〜御免駅
輪行区間 JR御免駅前→高知市三番坊BH(F島の車)
走行距離 168km
走破市町村 8(勝浦,鷲敷,相生,上那賀,木沢,木頭,物部,香北)
累計数 2,816
 徳島県南部と高知県東部の未走破地帯を繋ぐと那賀川を遡り物部川を下るというルートが出来る。途中には大した観光地も無いが、村を上げてダム反対運動を行い国道の整備などの公共事業を止められている木頭村が楽しみである。
 前回の西岳編と同様、F島は山に登り俺は走るという組合せで四国の旅を計画する。現地集合の場所としては、本日のコースが四国編の軌跡と合流する場所に御免(ゴメン)駅が有るので助手席で酒飲んでゴメンという趣旨で待ち合わせ場所に指定する。
 小松島YHから勝浦川に沿って沼江に入り、岡を越えて羽ノ浦大野に南下して、那賀川沿いに西進する。しばらく行くと幅広い河原をいっぱいに使った鯉のぼりの乱舞場。左右の高低差もありスケールに圧倒される。加茂谷鯉まつりと言うらしいが全く知識が無かったのでそれだけ嬉しい。
 太龍寺入口を過ぎると195号線に出る。この辺りはまだ復員が8mぐらい有る普通の国道である。西に進むと川口ダム、長安口ダム、小見野々ダムと次々にコンクリートの巨大な壁が現れる。水は淀み綺麗ではない。所が木頭村に入ると道路は細くなるが水は清く透き通り空気まで変わったようだ。木頭村の国に対する姿勢は誉めたい。ただ世論はダムはムダという流れで発電や治水を軽視され過ぎているのではと建設業界に居る私にとっては複雑な思いになる。合併で村が無くなりどうなったか心配である。
 県境を越えれば道も良くなり快適にダウンヒルを楽しむ。F島との待ち合わせ時間までゆとりがあるので物部川温泉に入浴してから後免に向かった。
 夜は遍路宿に泊まり高知市内で太平洋の肴と日本酒を楽しんで来た。
3日目 1996年4月30日
移動区間 高知市三番坊BH→東津野村天狗荘(輪行のみ)
4日目 1996年5月1日
走行区間 東津野村天狗荘〜宇和島市宇和島YH
走行距離 151km
走破市町村 8(東津野,梼原大正,十和,西土佐,松野,広見,三間)
累計数 2,824
 30日は朝から雨。高知市の北側にある鏡や土佐山を走ろうとしていたことを取りやめドライブの日だ。雨でも楽しめるのは鍾乳洞、と龍河洞見学をしてからこれを登ったら大変だなという山道を進み予約をしてある天狗荘に着く。ガスが濃くて四国カルストの景観はあまり見えない。
 翌日も朝から視界は効かない。しかし降水確率は悪くないので走る。F島は足摺岬などに行きたいと言い別行動になる。確かに私の計画では面白い場所を通らないことを良く解っている。行かねばならないから走るだけだ。
 梼原で龍馬の土佐脱藩の資料を見てから川に沿うように下っていく。天気は予報通り晴れ始める。十和村で走りながら川を見るとカヌーがほぼ同じ速度で下っている。さすがは四万十川だなと感心し手を振るとカヌーからも合図が来る。楽しい気分でしばらく併走。ただ川の流れが緩くなるとカヌーの足が遅くなり離れていく。
 江川崎で四万十川と別れる。時間も有るので滑床渓谷でも見てこようかと思ったが暑さで嫌になり宇和島で一休みしたくて素通りする。宇和島は国道で行くのが近いが三間町を走るために予土線に沿って多少の回り道をする。
 日の高い内に宇和島に到着し、缶ビールを購入して城でのんびりした。
5日目 1996年5月2日
走行区間 宇和島市宇和島YH〜松山市BHモンブラン
走行距離 148km
走破市町村 7(日吉,城川,野村,肱川,河辺,小田,広田)
累計数 2,831
 宇和島から320号線で内陸に進む。日吉から197号に入り肱川まで行ったところでそのさらに奥にある河辺村に行くために県道を登っていく。村の中央を過ぎると結構な峠道になる。交通量が少ないのは良いが道はどんどん細くなり、村道との分岐でも間違えないか心配になる。800mの峠を越え小田町に降りる。
 小田町から379号線で北上し広田村に入ると神の森大橋という木製のアーチ橋が目に付く。耐久性に疑問があり燃焼の恐れがある木材を橋に使用が認められて間もない頃で、木橋文化の愛媛ならではの光景である。そして七尾峠を越えて松山市に向かって駆け下る。
 F島との集合は例によって道後温泉の湯船の中である。今回は渋滞や駐車場で戸惑ったようでF島が若干遅れ、危うく湯あたりに成るところであった。
 合流後は駅前の安いビジネスホテルを予約して居酒屋に繰り出し、瀬戸内の肴と日本酒を楽しむといういつもの展開である。
6日目 1996年5月3日
輪行区間 松山市BHモンブラン→東赤石山登山口(F島の車)
走行区間 東赤石山登山口〜高松市屋島山荘YH
走行距離 163km
走破市町村 10(別子山,新宮,琴南,香南,塩江,香川,三木,長尾,寒川,大川)
累計数 2,841
 F島が東赤石山に登るという。私も別子山を走破するため方向が一緒なので同乗していく。新居浜で自転車を降ろすつもりが聳える山に恐れをなし登山口まで車で乗っていってしまう。だからこの軌跡は途切れる形状になってしまった。
 谷間の細い国道で新宮村に入ったら川之江側に抜け四国編と逆に曼陀峠を越え豊稔池に行く。この池は私の指導教授であるT教授が貴重な石積マルチプルアーチダムとして土木学会誌に寄稿したのでいつか行かねばと思っていたものだ。
 ダムの余韻を残したまま、特に立ち寄るところも無く走破を続ける。高松に行くのに津田町まで出てから折り返すのも我ながらどうかと思う。そのうえ香川県だからとうどんを食べれば不味い。うまいうどんを知るのはS井から「讃岐うどんMAP」を貰い「おか泉」を知る6年後の中四編になる。高松の屋島山荘に到着して大人しく寝た。
7日目 1996年5月4日
走行区間 高松市屋島山荘YH〜庵治町役場
輪行区間 庵治町役場→自宅(F島の車)
走行距離 12km
走破市町村 1(庵治)
累計数 2,842
 宿を出発し、最終日に残して置いた庵治町に入り香川県走破完了。関西以遠で最初の達成である。役場で自転車を積み城山温泉に入り瀬戸大橋を渡って一気に木更津まで帰る。赤ちょうちん西口店で打上げを行い、F島は私の家に泊まって翌朝群馬に帰っていった。(次は道南編