おまけNo.6 訓練編      日本を走る
その1.秋の東伊豆 訓練期間 2007年11月13日(日帰り)
 昨年三浦半島を一緒に回ったI村さんから、彼の学校のPTA仲間で鎌倉周辺を走るという案内を受けた。それには同行できなかったが自転車に長いこと乗っていない事や、運動不足で体重が増加気味であること、さらに天気予報を見ても13日の火曜日は冬型になり太平洋岸で晴が予想されることなどから、訓練の走行を行うことを決めた。
 12日の午前中に仕事を終えてから車で箱根に向かい、松田百名湯で入っていない箱根湯本、芦之湯に浸かってから湯河原町の温泉民宿(素泊4,000円)に泊まった。
 
 13日は予想通り朝から快晴。湯河原海浜公園の駐車場に移動し8:05に走行を開始する。先ずは北上し、未踏破であった真鶴半島を1周してくる。海越しに見る丹沢の山並みが美しい。魚つき保安林の森も見事で、景観条例により高層マンションの無い街並みも気持ちがよい。
 真鶴半島を回り終えたら南下し、駐車場の脇を走り抜けて川奈経由で城ヶ崎海岸の門脇崎を目指す。途中、川奈港辺りで振り返ると富士山の白い頂が伊豆の稜線の上に顔を出す。今日は山に登っても最高の日だったろうな、と思う。
 門脇崎の駐車場は平日なのに結構混雑しており人気の程が解る。海に架かる吊り橋は気持ちが良く、大島元町の建物がハッキリ見えているし海も透き通っている。風も穏やかでとても良い訓練だな、とこの辺までは思っていた。
 蓮着寺から伊豆高原駅に抜けようと、蜜柑園の親父に道を聞くと別荘地を抜けた方が良いというので言うがままに進む。それが結構なアップダウンがあり、おまけに分岐を間違え無駄足を踏み、急激に体力の消耗を覚えてくる。足が疲れる前に腹筋が痛くなったり肩が張ったり、快適な天候とは逆に体は不調になってくる。
 食欲もなくなり浸け麺を食べても楽にならず、大休止を身体が求めるので北川からトンネルを抜けた先で国道から別れ、県道を急降下した先の熱川温泉に13:30に到着し、高磯の湯に浸かり手足を伸ばす。快晴の空の下、大島・利島・新島・神津島・三宅島を水平線の上に見ながら入る湯は格別である。温泉の管理人によれば三宅島がこれほどハッキリ見える日は珍しいようだ。体も楽になった。
 岡を一つ越えて稲取に進み共同浴場の寿湯を探す。交番で聞くと裏のアパートの間を入った建物の1階で看板は出ていないと言われ、絶対自力で来れそうもない温泉に付く。連続入浴するのはにっぽんの温泉100選で入っていない東伊豆の温泉(北川・熱川・稲取)が近接しているので、それを連覇するためである。寿湯は高温の塩化物泉だったので入浴することでさらに疲れてしまう。15:25に風呂を出て最後の目的地を目指す。
 稲取から反転し北川温泉に付いたのは16:07だった。何故往復するような行程になったのかと言うと、黒根岩風呂が16時にならないと入浴できないからである。湯船から夕焼けに染まる島々を見て、日頃の運動不足を改めて反省していた。
 ここで日没を迎えるので伊豆急北川から湯河原まで輪行し、その後は車を運転して自宅に帰った。筋肉痛は残らなかったが疲れは翌日も消えなかった。たった90kmの走行なのに、自転車は登山より厳しいと認識した訓練になってしまった。
 
その2.春の南房総 訓練期間 2008年05月05日(日帰り)
 昨年の東伊豆で体力不足を実感しながら何も対策を取らずに冬を過ごした頃、内房レーシングクラブ(URC)から房総半島横断センチュリーラン、約160kmのお誘いメールが届いた。
 このGWは3〜4日でF島と新潟県柏崎市の米山と加茂市の栗ヶ岳の両低山を登る予定だったので連日は辛そうだが、URCにも不参加が続いているため5日に参加することを決めた。結果としては親族の不幸があり登山は中止に成ったが色々あって就寝が午前3時を回り、3時間睡眠での参加となった。
 
 5日は今ひとつハッキリしない天気の中、7時に茅木サイクルに集合する。続々とメンバーが集まり、この時点で30名近い人数となった。さらに途中参加も有るので総勢40名以上となりそうだ。この人数が一度に走ると交通の妨げになるし、そもそも実力に大きな差が有るので早い組と遅い組に分かれて走る。当然私は遅い組である。
 木更津から久留里に抜ける途中で遅い組の中からパンクが出たので久留里のコンビニで追いつくのを待つため小休止を入れる。そこで一人藤平酒店前の井戸水を飲みに行くと旧知の久留里の青年が歩いてくる。『HPで自転車に乗っているとは書いてあるのは読みましたが現物を見るのは初めてですね』等と言われながら目の前で開催している久留里現代アート展に誘われ、僅かな時間であるが観賞させて貰う(写真にカーソルを載せると見れます)。そして芸術を理解する眼力がないことも実感する。
 久留里から上総中野を経て小湊に抜ける。新緑の夷隅川を見ながら走る気持ちがよいコースであった。そして地元の生徒さんがペイントしたという通称トンネル水族館を抜けたり、海沿いの快適な走行を続ける。そう、この辺までは体調は良かったのである。
 天気がハッキリしないため当所計画の丸山経由とするか、鴨川から直帰するかの判断を行うため、鴨川のコンビニで全員集合としていた。その場所に到着してみると一面の自転車。推定総額2千万円という所であろうか。天気も持ちそうと判断し、ここから丸山のローズマリー公園まで集団で走行する。
 ローズマリー公園でのトイレ休憩を利用して、三芳の道の駅にあるバーガーショップBINGOに大量注文の電話を入れる。そこからまたクラス別に別れて走行して午後1時過ぎに到着し、昼食の休憩時間となる。噂のバーガーはURCの推奨品で、食べ応えも凄いものであった。何でも次回製作のURCジャージにはこの店の広告が入るという事である。
 午後になると体力が低下するという、前回の東伊豆と同じ状況を感じるが、帰路は三芳から平群・金束・関尻・秋元・根本・矢那と抜けていく起伏の多いコース設定である。さっそく平群〜金束間で一人遅れ始め、金束からの登坂で左脹ら脛がつりそうになる。汗はとめどなく流れ、関尻で500mmのジュースを飲んでもまだ乾きを覚える状況である。関尻から秋元にかけての大して厳しくもない登りでも中学1年生や女性陣に大きく遅れを取り、その現状に情けなさを感じていると三芳から追走を開始したサポートカーにピックアップしましょうかという甘い誘惑に負け、秋元郵便局前で個人的な走行を終了し、カメラマンに変わることにしてしまった。
 うむ。情けない。
 その夜は木更津市内のお好み焼き屋で食事会を行い懇親を深めたが、早いクラスは帰路に鹿野山を越えたこと等を聞くとレベルの差がいよいよ明らかになり、これは身体を鍛え、体重を落とさねばならないな、と思いながらビールを大量摂取していた。
 
その3.春の奥大井 訓練期間 2008年05月12日〜05月13日(1泊2日)
 先週の走行で体力も筋力も低下している現実を突きつけられ、時間のある内にトレーニングをしたいと思っていた。週の頭が休めると気付いたが台風2号が接近中で関東は雨天になりそうである。近隣の天気予報を調べると静岡中西部は悪く無さそうだ。新日本観光地百選で未踏派の寸又峡にも行きたいし、大井川鐵道にも乗ってみたい、と思い11日の午後に列車や宿の予約を入れ、月曜日の出発となる。
 
 早朝のアクアラインと東名高速を走れば金谷に予定の2時間前に到着する。時間調整に本で調べた川根温泉で朝風呂をするが、これが結構良い湯で感動する。新金谷駅に戻り1泊2日で1000円の駐車場に車を停め輪行袋を抱えて11:58発のSLに乗り込む。車内で汽車弁当を食べ、千頭から井川線に乗り換える。アプト式の勾配や車窓を楽しんで井川に15:06に到着する。畑薙ダム方面も楽しみたいところであるが、本日の宿泊を寸又峡温泉に決めているので直ぐに組み立てた自転車で南下を開始する。
 先ほど列車で通過した関の沢鉄橋や奥大井湖上駅を道路の視点で楽しみ、丘を越えて寸又峡に16:55に到着する。連休明けの月曜日なので休暇を取っている宿が多く、昨日は4軒に断られ、結局山湯館への宿泊となった。宿に着くと他に2組8名が宿泊していた。寸又峡の観光は翌朝に回し、宿の温泉と食事を充分に楽しんでから早めに床に付いた。
 
 13日は所々に青空も広がり、関東に台風2号が接近中というのに良い天気である。朝風呂の後、6:50から自転車を出し新緑の中で夢の吊り橋や飛龍橋などを見て回ってくる。宿に帰り朝食を取ったら8:20に走行を開始し、昨日の丘を越え直し、大井川に沿った南下を続ける。
 千頭の手前の両国駅に架かる釣り橋は自転車で渡れると昨日車掌から聞いていたのでそこを走り、千頭駅前で24年前の夏の木曽編と軌跡がつながる。あの頃はガンガン峠越えをしていたな、と二十歳の自分を懐かしく思い返す。
 さらに南下をすると道路沿いに茶畑が広がり始め、茶摘みの香りも楽しめるようになる頃、県道を離れ静岡県都市景観賞最優秀賞を受賞した田野口駅を見に行く。駅到着が10:00丁度なので大休止を取り、S井にメールを入れたり仕事の電話を掛けたりする。
 再度南下を進め、塩郷駅の近くに架かっている『鉄子の旅』で有名になった釣り橋である恋金橋を歩いて往復したり、川根町のお茶屋に立ち寄り土産を買いながら新茶を楽しんだりして、訓練とは言いながらも無理をしない緩慢な走行を続ける。
 建設中の第2東名の鋼連続箱桁を見上げ、島田市街に入ったら今回の最終目的地である蓬莱橋を目指す。台風の影響で向かい風がきつい。蓬莱橋は島田市のHPによると全長897.4mの木造歩道橋(自転車可)で、平成9年に「世界一の長さを誇る木造歩道橋」としてギネス認定されたものだ。昨年7月の台風4号で破壊されたものが復活したと愛読書である『日経コンストラクション』に載っていたので、上を自転車で走ってみたかったのである。
 そして12:05に目的地に到着。流石に長い。往復100円を支払い橋を往復する。洪水で流れてしまう橋も悪くないな、と流れる川を見ながら思っていた。
 新金谷駅には12:40に到着。結局初日1hr50minで約30km、翌日は4hr20minで約70kmの走行と、2日間合計で6hr10minで100kmと、上記の南房総より短い。その上、大井川鐵道で稼いだ標高差約630mを放出しての走行なので、それなりに起伏もあったが安易な訓練だったかも知れない。

 帰路は焼津黒潮温泉、稲子川温泉と公共の日帰り温泉施設を梯子して、ご当地フードの成功例として語られる富士宮焼きそばを食べて帰ってきた。携帯メールでS井から情報提供を貰って行ったが、讃岐うどんの感動には及ばなかった。