20年前を振り返る
2021/09/12記
 昨日はアメリカ同時多発テロから20年となる日でニューヨークでは記念式典が開催されたようだ。アメリカ本土が始めて襲撃された日とか、真珠湾以来の奇襲攻撃とか騒がれていた20年前を私も思いだしていた。
 
 今から20年前、37歳の私は社団法人かずさ青年会議所の副理事長を務めており、11日は火曜日であった。君津市のハミルトンホテル上総で開催された理事会の後の懇親会に出席している時に、一足先に帰宅したメンバーが「テレビを見ろ」と電話してきたので居酒屋のテレビを点けるとビルで大規模な火災が発生しており、誘導ミサイルで襲撃されたのかなと思っていると、生中継で2機目の航空機がもう一つのビルに突入する姿を目撃した。
 あまりに現実的でない風景を見ながら、隣にいた建築技師でもある渡辺現市長に「ビルは飛行機が突入しても転倒しない程度の強度を持っているのだな」と話していた。しかし間もなく崩れるように倒壊し、内部から爆破解体もされているのかと感じたほどである。誰が何のためにしているのか解らなかったが、その6年前にあった阪神大震災による市街地の壊滅とオウム真理教によるテロ行為の記憶が薄れていない状況で、アメリカにも酷いテロリストは居るものだと感じていたように覚えている。
 そのうち国防省にも飛行機が突入し、全米を飛行する多くの飛行機がハイジャックされている模様という報道が入る中、懇親会をしている場合ではないと思い、代行に運転して貰っている車中でもテレビを見ながら帰宅し、夜遅くまで情報収集をしていた。
 
 この頃の私は、前年から請け負っていた某会社の基礎構造解析プログラムを8月末に納品し、年明けから烏田特定土地区画整理組合(羽鳥野)の造成業務に加わることも決まっているなか、翌年から取り組む「かずさ四市合併を考える署名活動の会」を立ち上げるべく木更津市立図書館で過去の資料を収拾して整理する一方でHPの作成等の作業も控えていた。
 暫く休暇も取れないと予想していたので2001年9月は前例のない激しい旅の計画を立て、仕事を全く入れなかった。具体的には火山活動が活発になって3年前から入山規制が成されていた岩手山が登れるように成ったので早池峰と供に登りながら自転車で岩手県制覇を果たし、鹿野山仏母寺での禅道場宿泊研修後には船の就航率が悪いため仕事を抱えていては行けなかった青ヶ島への旅を御蔵島でのドルフィンスイムと供に行い、青年会議所の理事会と柏で開催される会員会議所会議の後には北海道の山々を登りながら北海道制覇を果たして、更には大学時代の友人が地下鉄工事をしているシンガポールへ遊びに行き自転車で国境を越えようと考えていた。
 因みに同時多発テロは台風のため八丈島から御蔵島に渡ることが出来ず、一旦木更津に帰って来た中で出席した青年会議所の理事会の後で見たものである。その2日後には東京の日の出桟橋から御蔵島に向けた実質日帰りとなる旅に出かけている。
 こんな計画を立案していたので、船や航空機のチケットの手配は全て8月中に済ませていたところに生じた同時多発テロである。航空機や船は無事就航されるのか、渡航制限はかけられないかと心配になり、実際にアメリカ本土やグアムへの飛行機は制限がかけられたように記憶しているが、札幌やシンガポールへの飛行機は特段の制限も無く、輪行袋に入れた自転車も荷物として預かってもらえたし空港で受け取るときにも特段の問題はなかった。
 そのため同時多発テロの半月後であったが、水道橋をマレーシア人のオートバイと一緒に走って国境を越えてジョホールバルに入り、市内を観光して回ってから再度自転車でシンガポールに戻ってきた。
  
 国内はもちろん、シンガポールや周辺の国でもテロリストに備えた警備が特に行われているという感覚はなかった。アメリカを中心とした多国籍軍がアフガニスタンを空爆するのは10月7日で、私が9月の30日間のうち25日間を旅に充て鉄道に8回・船に7回・飛行機に5回乗りながら自転車でも1400km以上走った「激動の9月」を終えてシンガポールから帰国した一週間後であった。
 海上自衛隊がインド洋で給油活動を行うなど、日本も限定的な参戦をする中で続いた戦闘は、先日のタリバンによるカブール陥落で終了し、アメリカが20年間闘い続けた戦闘は平和で民主的な国家の成立を見ることなく8月30日の米軍撤退により終結した。
 
 商売が上手だったイスラム教徒は世界と交易する中でギリシャの哲学・インドの数学・中国の印刷技術等の先端的な科学技術を吸収して現在に繋がるアラビア数字による数学を発展させ、12世紀には現在のスペインやポルトガルといったイベリア半島も領土に納めるように強大な先進国であった。
 ヨーロッパがイベリア半島を取り返して数世紀が経ち、スペインとポルトガルによる大航海時代が帝国主義を世界に広げ、イギリスで始まった産業革命と民主主義による社会秩序の構築は発展の中心をキリスト教徒を中心とした欧米に移し、王政や宗教指導が政治を司るイスラム世界は相対的に没落することになった。
 多くの地域はヨーロッパ諸国の植民地となる中で統治能力を失い、第二次大戦後に独立を果たすものの地下資源による経済的な成功が工業化を阻害し、現在のイスラム教は女性の権利を迫害し聖戦の名の元にテロリズムが蔓延する世界だと勘違いしている人も世界には多いようだ。
 
 日本から地理的に遠いイスラム世界の多くでは日露戦争で欧米人に勝利したアジアの国という記憶や、決して威張らず宗教を否定しない態度の日本に対する尊敬が有ると聴く。東南アジアにもインドネシアやマレーシアといったイスラム教徒の多い国もあり、今後は南アジアのバングラデシュやパキスタンといった日本より人口の多い国との交流も増加するであろう。ナイジェリア連邦共和国も北部の乾燥した地域にはイスラム教徒が暮らしており、現在の大統領もそちらの出身だったように記憶している。
 
 現在はコロナウイルスの蔓延で国際交流も停滞気味であるが、感染症が始まる前からイスラム世界に対する正しい理解を進めてこなかったこの20年が、今後の国際化の足枷になるのではと心配している。偶像崇拝を認めず飲酒を禁じ豚を食べないなど厳しい戒律は教義すら明確でない神道に馴染んだ日本人には理解しがたい部分も多くあるが、今後増加する交流を避けては通れない。折角ならボゴール市と姉妹提携している状況を糧に勉強を深めることが重要であろう。昔を振り返りながらその様なことを考えていた。