No.104 | 青島編 ←No103岩手編・No105北覇編→ | |||||||
旅行期間 | 2001年9月5日〜2001年9月14日 | 旅行日数:6日間 | ||||||
総走行距離 | 43km | |||||||
走破市町村 | 2 | |||||||
同行者 | 無し | 使用自転車:GT | ||||||
総費用 | 80,137円 | 当時の年齢:37歳 | ||||||
以上9月6日 以上9年7日 以上9月8日 以上9月14日 |
初日 | 2001年9月5日 | ||||||
移動区間 | 自宅(鹿野山仏母寺)〜東海汽船 | |||||||
2日目 | 2001年9月6日 | |||||||
走行区間 | 東海汽船:八丈島底土港〜青ヶ島村やよい荘 | |||||||
走行距離 | 13km | |||||||
走破市町村 | 1(青ヶ島) | |||||||
累計数 | 3,192 | |||||||
大島編、八丈編、神津編に次いで伊豆諸島シリーズも第4弾である。その中で今回行こうとしている青ヶ島は交通事情による到達難易度が最も高い所である。八丈島からの船は原則毎日運航だが、その実体は港の整備が進まないために波があると欠航を余儀なくされ、通年でも5割以下、冬の間は3割を切るような就航率である。ヘリならば就航率は格段に上がるが自転車を持ち込めないと云う致命的な弱点があるので走破の旅には使えない。だから島に入ったら何時帰れるか解らない事を前提に、船が数日欠航になっても問題ないような状況でないと足を踏み込めない。しかし仕事が切れている今は4連泊しても困る人が誰も居ないから安心して旅に出られる。そんな状況は歓ぶべきか悲しむべきか微妙である。 ともあれ、岩手編から帰って禅道場の研修を終えて、自宅で装備の交換や記録の整理をしたら夕方になって東京に向かい東海汽船の客になるのである。三宅島噴火のため御蔵島に寄港する航路である。東海汽船で何時も思うのは、沖縄の大島運輸は有村海運と競いながら、東海汽船と同じように離島を結ぶという条件でフェリーを航行しているのに、伊豆諸島はコンテナを中心とした物流を強いている事である。東海運輸の独占だからであろう。 八丈島に上陸すると明日の宿を案内所で予約して、底土港から八重根港まで横断する。船にはクレーンで荷物を積んでいるところだった。写真を撮りフィルムを交換すると巻き上げが始まらない。見るとバッテリー切れである。ここで「写るんです」を購入出来たのは幸せだった。油断すると青ヶ島の映像が無くなるところだった。 船は“要塞”三宝港に到着。2年かけて延長した岸壁が台風で壊され振り出しに戻るなど、ここで戦う五洋建設の話は業界では有名であり現物を前に頭が下がる。宿には自転車で行くと言ってあるので迎えはない。船員さんから坂がきついよ、と言われ覚悟を決め、要塞に空いた青宝トンネルから外輪山の内側に入る。熱帯的な風景の池之沢を走り抜けると外輪山がせまり流し坂を登ると中央火口が綺麗に見えてくる。集落に着き村役場によると立派なガイドと村の統計をもらえる。民宿に着き、大凸部[423m]に登って見下ろすと見事な複式火山の形式である。この第一級の風景を見れる人の少ないことが残念である。 池の沢まで自転車で降りてサウナに入り、汗をかきながら坂を登って宿に戻る。ヘリの客も居ないようで宿泊は私1人だけだ。天水と島の芋だけで出来る幻の青酎を飲んで静かに夜は更けていく。 |
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3日目 | 2001年9月7日 | |||||||
走行区間 | 青ヶ島村やよい荘〜八丈町あしたば荘 | |||||||
走行距離 | 12km | |||||||
走破市町村 | 0 | |||||||
累計数 | 3,192 | |||||||
宿の有線テレビでは常に三宝港が見える。天気予報では台風が近付いているようだが朝の映像はとても穏やかである。宿の近くのヘリポートで八丈に行くヘリの出発を見送り再度島の見学を続ける。この島は水も天水に頼るため、効率よく雨を集める被覆した斜面を作っている。また西風の時に船が付けるよう大千代港整備の話しも有るそうだが作れそうな地形に見えない。小さな島で200人の自治体を維持する大変さを何となく理解する。 船が就航するという放送を聞いて、多少早めに港に行き、透き通る港内で1人泳ぎを楽しむ。港内に船を係留すると台風で壊れてしまうので、船の置き場はホイストクレーンでつり上げた岡の上である。だから港内は何も障害が無く飛び込んだり潜ったりを楽しめる。ただ全戸に放映されていることだけが気がかりである。 定期船入港の頃には泳ぎ疲れて岸壁の上で麦酒飲んで日光浴。そんな気持ちの良い青ヶ島を後にして八丈に帰る。波のうねりは昨日より大きくなっている。港の近くの公衆電話から明日の御蔵島の宿を予約しようとするが、船が来ないでしょうと言われてしまう。青ヶ島からあの小さな船で来れるのに悲観的な人だなと思う。 あとは予約してあった藍ヶ江の民宿まで走る。八丈富士や小島が綺麗だ。途中で樫立向里温泉に浸かり、宿に着いてから夕食前の散歩で中之郷温泉に入る。食事は島寿司を中心に地のものが並び、焼酎のサービスも有り、親父さんの話も楽しい。港から離れている分だけ心がこもったもてなしをしているようで嬉しくなる。 |
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4日目 | 2001年9月8日 | |||||||
走行区間 | 八丈町あしたば荘〜自宅 | |||||||
走行距離 | 16km | |||||||
走破市町村 | 0 | |||||||
累計数 | 3,192 | |||||||
目が覚めてみると風が強い。親父さんに聞くと船は今のところ動いているようだが厳しいのではないかとの意見。宿泊客の1人が飛行機の予約をお願いするので、私も念のために予約を入れてもらう。その少し後で船の着岸が無くなったという放送が流れる。今日八丈に来ようとしていた人は島を目前に東京に引き返すのかと思うと気の毒になる。こちらも御蔵島を一旦諦めて出直しである。 | ||||||||
5日目 | 2001年9月13日 | |||||||
走行区間 | 自宅〜東海汽船 | |||||||
6日目 | 2001年9月14日 | |||||||
走行区間 | 東海汽船〜自宅 | |||||||
走行距離 | 2km | |||||||
走破市町村 | 1(御蔵島) | |||||||
累計数 | 3,193 | |||||||
木更津で台風の通過を待って居る間に、幾つかの会議をこなし、会議後の懇親会でアメリカ同時多発テロの映像を見たりしてから、仕切直しの御蔵島を行うことにした。日程の都合上御、今回は実質日帰りである。なお中4日と空いているが青ヶ島と同じ一つの「編」として取り扱うことにする。 バスと船を乗り継いで御蔵島港に着いて自転車を組み立て始めると駐在さんが近付いてきて「この島では自転車で走らないで頂きたいのです」と声をかけてくる。聞いてみると急傾斜の道路が多い為に事故が起きやすいと島の安全協会で決めた事のようだ。法的な拘束ではないし、絶望的な急傾斜も多く耐えてきた経験から少なくとも車が走れる道路に自転車を走らせない不合理を感じつつも、島の人達とトラブルまで起こして走りたくはない。しかしこの要請を受け入れていたら日本走破が出来ない。最終章が近付くと思わぬ障害が立ちはだかる。 結局、港から坂道を上がり、集落に入る手間で引き返して御蔵島の走破を終了する。これでやっと東京都走破完了である。実は最初から御蔵島のイルカと泳ごうと思っていたのでそんなに走るつもりはなかったが、釈然としないのは仕方ない。 港でイルカウオッチの船を探し、午前中の予約を入れるとともに、シュノーケリング用の3点セットを借りる。カメラは「写るんです水中」を事前に購入してきている。横浜から来た常連のOL2人と同じ船で海に出る。彼女たちはウエットスーツを着ているが私は海水パンツだけである。海に入ると沢山のイルカが居る。それも興味があるのか近付いてくる。こんなに近くに寄ってくれるのは初めて、と彼女たちも歓ぶ。船主さんの解釈では私がウエットを着ていないので興味が出ているのではないかという事である。 たっぷり午前中楽しんだ後、八丈島で折り返してきた朝の船に乗り木更津に帰っていくのであった。(次は北覇編) |