81.3月下旬の活動記録
 21日は朝からHPの更新を行い、昼前から銀行や各種手続きで市内を回る。昼食後に市役所に行き合併調査特別委員会を傍聴する。四市の各種状況が比較された126頁の『君津地域四市合併・中核市問題検討報告書』を入手できた事が大きな成果である。その後市役所内で打合せを行った後、午後5時半頃から太田山に行き夕焼けを眺める。
 

 春分から1日ずれただけダイヤモンドが完成しなかった。直前に会派室で齊藤議員と「今日は潮浜だ」と言っていた通りにすれば良かったと思いながらも満足して帰宅する。
 
 22日は朝から
質問の文章化を有る程度行った後に市役所に行って打合せを行い、昼食後は『小櫃川さくら祭スタンプラリー』のゲラのチェック等を済ませ、午後3時から第2庁舎で農業委員会の総会に出席する。帰宅してからも代表質問の音声起こしを続けるが、なかなか順調に進まず、気が着けば日付も変わって議会最終日に成ってしまったので床についた。
 
 23日は緊張する議会最終日である。睡眠時間4時間で起床し、午前9時に会派室に集まり、この日の議会の流れ等の説明や打合せを行い、全議案とも会派拘束を行わないことを確認し10時からの議事に望む。
 各委員会に付託された議案の審査報告が各委員長より行われた後、質疑が無く、討論の時間となった。請西保育園設置の案件については賛成と反対の両側からの討論が数回行われるなど、議員が互いの立場を述べ有った後採決に移った。木更津市議会では議員個人の賛否を公開していないので確定的な事は言えないのであるが、請西保育園に関する2議案と地域手当に関する議案の計3議案について10名程度の反対が出たものの、結果としては全て執行部提出議案が多数決により可決された。前年度から繰越になった陳情は委員会報告通りに不採択となった。ここで議会が休会され議会運営委員会が開催され、追加議案2件と議員発議案3件の上程を決めた。内容は下記の通りである。
番号 内容(件名とは異なる) 関係部
議案47 副市長の選任 (現服部副市長の再任) 総務
議案48 監査委員の選任 (現加藤福祉部長を新任) 総務
発議01 東京湾内の放射性物質汚染の対処に関する意見書 経済
発議02 放射性物質モニタリング調査結果の表示に関する意見書 経済
発議03 放射性物質問題の対応強化に関する意見書 経済
 これらについては全て委員会負託せずに議論に入り、全てが全会一致で採決され32日間に渡る議会が終了した。
 既に時間は正午を回って至るが、休憩に入ることなく議員全員協議会が開催される。議案としては出されていないがこの日に議場配布されたもの、さらに議員に直接渡された資料も加え、議員に伝えられた情報は下表の通りである。
区分 No 議題及び概要 担当


1 本庁舎耐震診断結果報告 4 総務
2 平成24年度地方税法の一部改正に伴う地方税制の改正概要 2 財務
3 請西保育園及び子育て支援センター新築事業 4 福祉



4 金田東地区まちびらき記念式典 1 都市
5 協動のまちづくり活動支援事業募集要項 8 企画
6 平成24年度組織改正概要 4 総務
7 定員管理計画報告 8 総務
8 第9次交通安全計画 38 市民
9 第2次健康きさらづ21 95 市民
10 第2次新きさらづ障害者プラン 96 福祉
11 君津郡市広域市町村圏事務組合議会定例会報告 25 企画
12 君津広域水道企業団議会定例会報告典 13 水道
 協議会の最初の項目は市役所本庁舎の耐震診断結果で、2次診断における最小Is値が0.184、3次診断では0.089という厳しい数値が始めて公開された。来年度は市役所の在り方が大きな議論となるであろう。
 それにしても配布だけのものを含め、合計頁数が298にもなる資料は、完全に私の咀嚼能力を超える物である。議会で質問したとき「3月にお配りした通り」と言われないように時間を掛けて読まねばならない。
 
 協議会は12時半に終了し、遅い昼飯の後は午後1時半から議員会主催による入札制度の研修会である。これは平成22年11月の低入札価格調査制度導入、23年4月の制限付き一般競争入札の130万円までの拡大に続き24年4月からの電子入札制度導入に伴う知識を持って貰うため、当初は鶴岡総務委員長と建設委員長である私の共同開催としようと考えたものを、より広く対象を増やすため議員会主催としたものである。現在の制度を知っている議員は僅かしかおらず、評判の良い研修で、24名の議員が参加して熱心に質疑を行っていた。
 私は研修を終え午後3時半には帰路に着いたが、広報委員会の議員は更に会議を重ねる事になる。そして夕方に発表された4月の人事移動には『!』や『?』が散見されるものであったが、それらも含め夜には情報交換会が行われ、本年度1年間の激務を慰労したい多くの人を見送る場になった。
 
 24日は市内で各種の所用を済ませ、午後2時から自由民主党木更津支部の総会に出席する。本年度の報告と翌年度の計画が承認され総会が終了し、引き続き浜田代議士より国政状況の講演が行われた。その後も市内で買い物や打合せをしている内に土曜日も終わった。
 
 25日は朝から地区総出の溝払いである。前日までの雨がすっかり晴れて、作業中には汗ばむほど良い天気である。途中に若干のアクシデントは有ったが、午前中で作業は終了する。その後に開始2日目の潮干狩り場を見に行くと30台程度の車が来ていた。
 土木役員と昼食を取った後は自宅に帰りHPの更新を始めるが、情報が多くてなかなか進まないうちに夕方になり、かろうじてアップして次の会議に出席した。懇親会の2次会まで付き合い、帰宅したのは23時過ぎであった。
 
 26日は議会で鈍りきってしまった身体を動かすために静岡県伊豆の国市の
葛城山に登り、蓮台寺等の温泉で汗を流してくる。下田の干物屋さんで話を聞くと、やはり伊豆でも観光客は減少傾向にあるようで、さらに今年は桜が遅くて花見客が流れてこないと嘆いていた。
 
 27日は午前中に雑務を片づけ、HPを若干更新し、午後から市役所に行く。数ヶ所で打合せをして帰宅し、金田事業の進捗を見に行くとアウトレットのバス停ではバスが練習をしていた。日没後は再度HPの更新作業を行い、深夜に家を出た。
 
 28日は午後から農協の総代会が有ったのだが書面議決手続きを済ませており欠席して東北に向かう。日付が28日に成った頃、福島市近郊にある24時間サウナの『カッパ王国』に到着して仮眠を取り、日が高くなってから北上を続け、陸前高田市を経由して気仙沼市に泊まる。詳細は
最近思うことに記載する。
 
 
 29日は気仙沼でボランティアを終え、車に乗ると鶴岡議員から電話が入る。見ると斉藤議員からも着信があり、急遽会派メンバーが召集されているようだが、急いでも7時間は帰り着けないので木更津到着は最速で22時である。仕方がないので電話会議として参加する。
 この日の緊急召集は会派のメンバーに対する対応であり、詳細は
最近思うことに記載する通りである。議会も終わり、穏やかに新年度を迎えられると信じて東北まで来ているのに、予想外の悩み事を抱えて帰路に着くことになった。
 気分を切り替えて南下を続け、南三陸町の復興名店街として先月末に仮設店舗が終結して開設された『
南三陸さんさん商店街』に立ち寄り、食事を取り、自宅への土産品などを購入する。その後は道の駅「上品の郷」に併設された日帰り温泉で作業の汗を流して服を着替える。車に戻りカーナビのテレビを点けてみると被災3県で続いていたアナログ放送によって地元の東北楽天のニュースが流されていた。新年度からデジタル放送に切り替わり、現地の復興が進まない中で、ここでも一つ震災後の対応が終わることを知った。そんなこんなで、結局木更津に帰り着いたのは日付が変わった後だった。
 
 30日は旅の荷物を片づけた後、市役所に行く。齊藤副議長は学校の先輩という事もありかなり参っている様子である。私も前日の会派決定の結果としてやるべき事を整理し、関係各所に連絡を取る。
 夕方からは小櫃川さくら祭りの全体会議に出席し、スタンプラリー計画の説明を行う。始めての企画なので手探り状況であり、翌年度以降に経験を残すことが出来れば良いかなと思う。
 
 31日は朝からHPを更新して、10時半に岩根4丁目の桜まつり会場に自転車で向かう。この桜まつりは昨年の震災、一昨年の火災で3年ぶりの開催である。天気が何とか持ちそうなので屋外ステージを準備していたが、開始直前に小雨が降り、室内での開催に成った。
 午後からの強風と雨の中、江川集会所に行き、区の役員会議に出席する。翌週に引き継ぎ会議を行うことなどを決めるうちに雨も弱くなる。帰宅して気仙沼の報告用のHPを記載していたら日付が変わっていた。
 
 
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2012年4月上旬の記録