50.5月中旬の活動記録
 11日も朝から爽やかな青空が広がっている。新聞等をゆっくり読んでから木更津舞尊の会場に出かける。
 
 開催時期を秋から初夏に変えた効果が出ているように、今まで晴天が少なかったこのイベントが快晴の元に行われる事について、開会セレモニーの中でも多くの挨拶が有ったが、本当に爽快な天気である。私は式典と一番街における演舞を見てから、来週の旅の準備に市内を走り回り、ついでに羽鳥野会場の舞尊も見に行く。
 「みなのば」には多くの人達が集まり、休日を思い思いに過ごしている姿を見ると自分が携わった新興住宅地に賑わいが生じていると嬉しくなる。羽鳥野から帰宅してからは、江川区長と総会の課題等について打合せを行い、荷物の整理や部屋の片づけ、母の日の感謝等を行って日曜日は終わった。
 
 12日は午前中に市内で所要を済ませてから市役所に行き、企画部等と打合せを行い、午後からは庁舎整備特別委員会の議員配布資料と27日の進行について総務部と正副委員長で協議を行う。その後も庁舎内で打合せを行って帰宅してHPを更新し、夕方からは農協岩根支店で増資会議に出席した。
 
 13日から3泊4日で
ベトナムを旅行する。羽田空港の国際線増便に伴うツアーで、昨年も同時期に香港・澳門へ旅しており、比較的自由時間が取れる期間と思って申し込んだのだが、出発直前になって農協岩根地区支部長会議、自由民主党木更津支部会議、法人会総務委員会、かずさアカデミア音楽コンクール運営委員等の案内が届く。全て欠席することになってしまい、申し訳ないと思いつつも世界遺産のハロン湾やハノイ市内及びタンロン遺跡などを見学する旅を満喫してきた。
 なお、旅の間に中国に対するデモ隊が暴徒化し、死者まで出るような事件がベトナム国内で発生し、渡航を見合わせる企業も出ているようだが、首都ハノイの中国大使館ですら物々しい空気は全く無かった。
 ハノイの郊外には巨大なイオンモールの建設が始まっており、ベトナムも急激に都市化が進んでいることや日本資本が進出している事がよく解った。変化の早いベトナムや東南アジア諸国から目を離さず、市場や観光客の誘致対象としても考えるべきと理解できた。
 16日に旅を終えて自宅に帰り、メールチェックをするとパソコンには78通が届いていた。携帯へのメッセージや郵便・FAX等への対応は月曜日まで続く事になってしまった。
 
 17日は午後からの講演に向けてパワーポイントの仕上げて岩根西公民館に行くと子ども会が廃品回収を行っていた。挨拶して通り過ぎ会場でデータチェックをした後は、農協本店に行き「みどりのカーテンフェア」の会場を見る。午後から公民館で岩根西地区まちづくり協議会の総会に出席し、その後のフォーラムで講演をするが、詳細は
思う事に記載する。
 
 18日はHPの更新でもと思ったが風が爽やかだったので友人とともに南房総の伊予ヶ岳に行く。20代の頃は海の帰りにビーチサンダルで登った山も、それなりにハードと感じるほど体力が低下していることを改めて実感する。下山して鴨川市内に入ると市議会議員選挙が開始されていた。
 清和県民の森にある白壁の湯で汗を流して木更津には夕方に帰ってきた。伊予ヶ岳の頂から富士山が見えていたので、きっと夕焼けも綺麗だろうと思い久津間海岸で日没を楽しんだ。天上には木星が輝いていた。
 
 19日は朝から仕事を片付け、午後からはHPの更新を行いつつ、午後4時からは江川業協同組合の資格審査委員会に出席する。組合員の死亡による名義変更が主な議題であるが、全体的な課題も多い。
 漁業組合近くの排水路は
前にも書いた所だが、結局4車線化の完成まで県が関連工事として整備すると言いながら未だに着手しておらず、まさか市に押し付けようとしている訳では無いだろうと信じたい。交通規制をしながら仕事をする事になるので、相変わらず県の仕事の段取りの悪さに怒りまで覚える。
 
 20日は午前中に市内で所要を済ませてから市役所に行き、各種の打合せを行った後、午後3時より農業委員会の総会に出席する。議案を見ると金田東で集合住宅が増え続けることや矢那の太陽光発電所が増設されることなど、様々な事が見えてくるが個人情報保護のため多くは書けない。総会終了後は岩根西公民館に立ち寄り17日の写真データを貰って来る。市のメールでは3MBを越える容量のやり取りが出来ないために直接行ったのだが、最近の通信環境の中で制限が多いと思う。
 
 
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2014年5月下旬の記録