X8.12下旬の活動記録
21日はタイヤをスタッドレスに交換し、風で壊れた自分の看板を回収し、同じく風で壊れた昭和48年1月に建立された地蔵堂の対応を行う。
お昼は来年の初場所で49場所ぶりに十両に返り咲く千代嵐関の実家に蕎麦を食べに行く。既に多くの祝いも届いており「昭和以降で最長」として昨日の新聞に出ていたためか私が居る間も多くの電話があった。私は
10年前に後援会
の世話役の一人であったが、その後は後援会も自然消滅している状況だ、
雑誌での特集も組まれると聞くし、色々な方が盛り上げようとしているが、地域としても協力したいものだと思いながら店を後にした。その後は銀行等で用を済ませて帰宅し、HPの更新をした。夕方は日没の直前に家を出て吾妻地先の埋立地から夕日を見て写真を撮り保育園に行った。
22日は冬至なので、娘を送ってから掃除を開始した。古い議会資料などで保存価値が下がっているものを次々とゴミ袋に入れ、まだ仕舞わずにあった扇風機なども片付け、大掃除の準備をする。午後から散髪と買い物をしてから娘を迎えに行き、子守をしながら早めに寝た。
23日は7:33に海上自衛隊前に停まる高速バスで東京に出て秋葉原に移動し、つくばエクスプレスに乗り換えて流山おおたかの森へ向かう。
議会質問で人口増加率や出生率の高さを例に出してきたが、中心になって発展する流山おおたかの森周辺は開発中しか見ていなかったので、通勤時に子供を預けるステーションや街並みを学びたかったのである。園庭のない保育園と、公園まで園児を連れて歩く保育士の姿がともかく目立つ街だった。
子育てをターゲットにした教室や医療機関も多く目に入り、住む場所を探しに来た若い夫婦には安心感を与える相乗効果があると思いながら、公園やショッピングモール、駅の廻りを散策し続けた。
午後になり鎌ヶ谷に移動して下総基地が見える場所まで散歩する。この日は対潜哨戒機の離発着訓練が行われていたので街の何処にいても飛行音が聞こえていた。意外に基地は街中から近く、ここにオスプレイが飛来すると反対派が騒ぎそうだなと感じながら筑波山に向けて飛び立つ飛行機を見ていた。
史跡である小金中野牧跡にも足を運んでから鎌ヶ谷市役所に行き、開放された屋上「かまがやスカイビュー」から夕日を眺める。
ここは富士山とスカイツリーが重なるポイントとして有名なので期待していたが、残念ながら西の空に雲が多く富士山を見ることは出来なかった。日没後に
災害ボランティア議員連盟千葉支部
で情報交換会を行い、新年度には木更津市でパークPFIの視察研修を行うことを決めた。
24日は娘を保育園に送ってから事務所の片付け、雑用の処理、HPの更新など、およそクリスマスイブらしくない作業を黙々と行う。午後になり観光協会から
さいくるり
でジャージが当選したと連絡が入る。久留里線にも乗ったしレンタサイクルを借りて頑張った甲斐があった。私にとっては良いクリスマスプレゼントであるが、同じ日に都内でオミクロン株の市中感染が確認されたとも聞く。良い年末に成るのか微妙な状況である。
25日は朝からお菓子の家やケーキを作るという娘に振り回されて助手仕事をしながら、その合間に新聞を読んだり本を読んだりする。
昼食後に正月飾りを買いに行くという名目も兼ね
きさらづ福祉まつり2021
が開催されている市民会館中ホールに行き廣部教育長の「やさしさを育てたい」という講演を聴き、やさしさは訓練して身につけるものという考えや、自ら問題解決を図れるように自発的に学習できる人が重要だという考え方に賛同する。
ホームセンターで買い物を済ませて帰宅し、クリスマス一色であった自宅を一気に正月モードに切り替える。キリスト教から神道に改宗しているかのようだと言うが、全てを包括する日本的精神は個人的には好きである。正月飾りに切り替えた家の中でチキンやケーキを味わいながら、サンタさんから貰ったおもちゃを楽しもうという娘と遊んで夜を過ごしていると地元の消防団が早くも歳末夜間警戒に回っていた。慰労のために顔を出し、30日までの労いを伝えた。
26日の日曜には年末の片付けに追われる妻の手を休めるため
市原で娘と芸術を
楽しむため
いちはらアート×ミックス2020+
に出かける。
既にこの日が最終日で全部を見ることは無理だと諦め子供が楽しめそうな場所を中心に組み立て回るが、廃校になった学校用地では地域のイベントが行われていたり、内容の濃い充実した一日であったが、最後にクオードの森のイルミネーションを見て帰るつもりだったが娘が寝たので早めの帰宅にした。
帰宅後に夕食を摂り、まだ眠そうな娘を妻に預けて事務所でメールの処置や雑務を片づけ、HPを更新する。北陸で大雪のようだが木更津でも暖房をつけない事務所では手足が冷え、寒波の厳しさを感じていた。
27日は夜明け前に起床して友人を巌根駅で拾い
大山[1,252m]
へ登りに行く。標高の高いヤビツ峠から往復3時間弱の軽い登山であったが関東平野や富士山の展望に優れ、良い山は良いと確信した。
午前中に下山して秦野市がゴミ処理場の焼却余熱を利用して運営している入浴施設に汗を流しに行くとサウナのテレビで北陸や滋賀県で大雪被害が出ている映像を見る。関東に居ると冬型の気象配置は空気が澄んで絶好の登山日和であるが、日本各地の状況に申し訳ない気持ちになる。午後3時半に友人を袖ヶ浦駅に送り、夕方は娘を保育園に迎えに行き、娘が寝静まった横で登山記録の整理などを行った。
28日は娘を保育園に送ってから駅前庁舎で諸調整を済ませ、その後市内で所用を済ませながら定点観測の写真も撮影して回る。帰宅すると住民税非課税世帯(概算14,936世帯)に10万円を支給する補正予算(専決第2号)を行ったことの通知が届いていた。補正予算額は16億57百万円であり一般会計の総額は528億円まで膨らんできた。仕事納めの日に巨額の補正予算であるが国の補正予算に伴うものなので、臨時議会を開催しなくても仕方ないだろうとは思いながらHPを更新した。
夕方になって娘を迎えに行く途中で旧人参湯の絵が新しくなっていることを聞いていたので焼きそばを購入しながら見学させていただく。明るい色使いで、今後も道路事業が具体化するまでは銭湯であった建築が地域に親しまれて使われることを願う。娘とともに帰宅して夜は雑件を片づけた。
29日は京都の大学で留学生に日本語を教えている友人が一時的に木更津へ帰ってきたので我が家の事務所で一緒に飲むことにした。そのため部屋の片付けや清掃をするモチベーションが上がり、大掃除が進む。午前中には金田に買い物に行きコストコ本社の建設状況を確認し、夕方には焼き鳥を購入して友人の到来を待ち、様々に情報交換を楽しんだ。
30日は朝から母屋の大掃除と正月準備に働き回る。障子を張り替え脚立で高いところのすすを払う。午後になり退屈してきた娘を連れて江川総合運動場に行き、人気のない公園でのんびり時間を過ごした。
31日は寒波で冷え込む事務所の机に向かい、毎年恒例の一年を振り返る記事の記載をしていたらお昼になってしまったので急いで他の部分も更新する。群馬県北部で大雪警報が発令されるような状況の中、夕方に2021年最後の夕焼けを事務所から撮影して一年のHP更新納めとした。
夜は毎年のように紅白を見ながら日本酒を飲み、一年をしみじみと振り返って来年の希望などを考えて過ごし、年が変わる頃に眠りについた。
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2022年01月上旬の記録