01.1月上旬の活動記録 |
1日は自宅の2階から初日の出を見て、朝食にお雑煮を食べてから妻子を連れて氏神の江川熊野神社と袖ケ浦市に鎮座する坂戸神社に初詣に出かける。なお、八剱八幡神社は混雑していると想像されるので仕事始めまで初詣は延期である。帰宅して昼食を摂ってから檀那寺である江川光明寺に年始の挨拶に行き、江川海岸で凧揚げを楽しんだ。
帰宅して届いていた年賀状や新聞と折り込み広告に目を通し、会派羅針盤と自由民主クラブの会派報が折り込まれていることを確認する。両会派とも昨年は感染症対策の一助になればと会派報発行に要する費用を使用しなかったが、我が会派では従来に戻そうと考え第9号を配布しただいた次第である。
会派報の内容については後日アップするのでお待ちいただきたい。なお、正月早々に新たな感染者が2人明らかになったとの情報を得たが、元日は夜までパソコンにも向かわず、のんびり過ごさせていただいた。
2日は2年ぶりに私の兄弟やその子どもたちが我が家に挨拶に来たので最近の状況などの報告を行いながら一緒に家族写真を撮影する。
写真のうち4人は現在でも県外に居住してるが、木更津で生まれて戻ってきた姉を除き私の妻を含めた4人が埼玉・東京・神奈川からここ8年以内に木更津市に移住して人口の社会増の要因となり、私の娘は自然増として計上されるので、昨今の木更津市民の増加に寄与している写真だと思った。
昼過ぎには私の兄弟や甥っ子姪っ子家族と入れ替わるように妻の両親が木更津まで遊びに来たので娘の好きな4種混合カルタ取り等で遊び、夜は市内のスーパー銭湯に行って年始のサウナと湯上がりの麦酒を楽しんだ。
3日も妻の両親と近くの公園に行き、昼食は市内の店に出かけるとお年賀としてお箸を頂いた。帰宅してお茶を飲みながら妻が昔話などを楽しそうにしている間、庭の木にやってきた鳥の写真を撮っていた。 |
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夕方に帰宅する妻の両親を見送ってから事務所に行き、年賀状の返信を書きながらタブレットを見ると市内で新規感染者が5人も明らかになったことを知る。オミクロン株の市中感染のニュースも耳にしているので、第6波の予兆なのかと心配になりながら三が日を終えることになった。
4日は保育園が休みの娘を連れて図書館に行って絵本を借り昼過ぎまで自宅で遊ぶ。午後から娘を婆に預けて議会事務局に顔を出して買い物等をしながら帰宅し、夕方は日没まで江川運動場で娘と遊び娘を連れて江川海岸に行ってみると入口には12台の車が停められていた。
風も冷たく、娘が寒いというので写真を一枚だけ撮影して直ぐに帰宅した。夜になって会派で集まり情報交換を行ったが、二日連続で市内感染者が5人も出たことや、国内感染者が千人の大台に上がったことなど心配な話しも多く、なかなか先の見通しが立たなくて困る。
5日は午前中から娘を連れて君津中央公園に行って昼まで遊び、木更津のファミレスで昼食を食べてから帰宅し、午後の昼寝をしている娘の横でHPを更新した。この夜も市内で2人の新規感染者が明らかになり、人口10万人当たり一週間感染者数は10.4人まで上がってきた。沖縄県で623人、東京都で390人など全国では2491人に達し、昨年9月26日以来の2千人越えとなった。イギリスでは一日に20万人、アメリカでは百万人の感染者が出るなどオミクロン株の流行速度は桁違いである。いよいよ第6波に入ったと覚悟せねば成らなくなったようだ。
6日は娘を保育園に送っていく頃から舞い始めた雪が休み無く降り続け、天気予報では積もる可能性は少ないと言っていたが、昼過ぎには周囲が白くなっていた。私はスタットレスに交換済みだから慌てないが、夏タイヤの車に追突されないよう早めに娘を迎えに行った。
東京都に大雪警報が出ている中で帰宅し、暖かい部屋で娘を遊ばせている横で本を読む。次の3月定例会で請願として上げられる予定の障害者虐待防止法改正に関する意見書の参考文献として、「もう一回やり直したい」(萬書房:米田倫康著)を読み終えた。この日も市内で新規感染者が5人も明らかになり、過去最高の感染者数となった沖縄県等では蔓延防止等特別措置法の適用が申請された。10月から続いた安寧の日々は失われ行くようだ
7日は保育園から帰って最近思う事のデータを整理してHPをアップしてからスーツに着替え、昼食を摂ってからアカデミアホールに向かい木更津商工会議所が主催する新年賀詞交歓会に出席する。昨年は感染症対策として中止になっているが、今年もホールで一人おきに座れるように人数を絞り、飲食は伴わず君が代も歌うことなく対策を講じて開催された。その中で優良会員表彰と木更津芸者による踊り披露、木更津ふるさと応援団員でもある柳亭芝楽さんの新春落語が行われた。 |
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芝楽師匠はコロナ禍の中で寄席に客が一人だったことも有ったと話していたが、芸者や落語家といった人生を豊かにする文化の継承者には厳しい環境が続いている中で、この様な組立にした商工会議所の考えが伝わって来るようで、重要な取組だと思った。
午後4時半に終了し、娘を迎えに行って一緒に食事を摂り、風呂に入り木更津市内でも6人の感染者が出たという情報をタブレットから入手しながら報道番組を見て、夜10時半に友人を巌根駅に迎えに行った。
8日は早朝に起床して午前4時半に家を出て友人とともに-16℃の空気の中で長野県の飯盛山[1643m]に登り、下山後は今年の初スキーを2箇所で楽しんでから温泉に入り20時半に帰宅する。脳内出血による運動機能障害が残る友人のリハビリという名目であったが、気が着けばハードな日程としてしまった。
感染者の拡大は衰えを知らず、市内でも前日に続き6人の感染が明らかになり人口10万人当たり一週間感染者数は21.5人まで上がった。この夜は私が帰宅する前に内港で冬花火が打ち上げられたようであるが、一刻も早い感染波の収束を願うばかりである。
9日は友人と金田で朝食を摂り、袖ヶ浦駅まで送ってから前夜の登山打ち上げで汚れた事務所の清掃や家人から頼まれた自宅の引き戸等の修理や娘の遊び相手を行い、夕方は昨日に87歳となった我が父の誕生祝いを宝家で行い、夜中にHPを更新した。君津保健所管内では日曜日に発表があるのは珍しいのだが、感染拡大で日曜も休みではなく成ったようで、この日の市内新規感染者数は9人であった。人口10万人当たり一週間感染者数は28.1人と成ってしまったので、117日ぶりのステージWである。全国でも8249人が新たに感染しているようで、もう二度と来ないと思われた嵐の8月が再現されそうな気配が濃厚になってきた。
10日の祭日に新聞を読んでいると青年会議所OB会の副会長から電話が入り、18日の総会を中止する場合の会場キャンセル料は明日から発生するので結論を出そうと言われる。近日の感染拡大の状況は一週間後の危機を示しており、参加者の健康とその企業を守るため残念ながら2年連続で総会は中止とする決断をして関係者に連絡を入れた。
天気は良くないが午後から娘と小櫃関公園に遊びに行き、少し咲いた菜の花に春の気配を感じたが、3時過ぎに小雨が降り始めたので娘の服を購入して帰宅する。夜にはタブレットに新規感染者が二桁になる12人であったことの報告が届く。想像以上に早い拡大に戸惑う。
東京パラリンピックが終わって収束した感染症は25日後に迫った北京冬季オリンピックの開幕にあわせるように拡大しており、日本国内のウイルスはオリンピックが嫌いなようである。
→2022年1月中旬の記録 |