66.10月下旬の活動記録
 23日は前日の疲れも残る中、市内で各種の打合せを済ませ朝日庁舎でも諸調整を済ませて昼前に帰宅する。午後からは事務所で「言語の本質」という新書を楽しみ、夕方に娘を学童に迎えに行き、夜は家族で食事を摂りに出かけ、水曜日からの福島出張の対応をお願いした。
 
 24日は私的な作業を片づけてから溜まってきたHPの更新をする。午後は翌日からの福島出張の準備を行い、会派室に行政視察の調整などに行き、夕方に建設が進む自衛隊の格納庫を観るため江川海岸に行く。
 日米のオスプレイを整備するため、現在の格納庫だけでは数が足りず、新たに建設しているもので、現在整備を担っているスバルだけでなく日本飛行機も入るように聞いているが完成の時期やもう1棟の建設時期などの情報は提供されていない。基地交付金がどの程度増えるのかも気になる。
 日没後に娘を学童に迎えに行き、翌日遠足に行く娘を早く寝かせるためにも早めに床に着いて9時過ぎに寝てしまった。
 
 25日は未明に起床して事務所で雑件を処理してから朝食を摂り都内に通勤する妻と一緒に金田BTからバスに乗り東京駅9:40発の東北新幹線で福島駅に向かう。一本早い新幹線で着いていた齊藤秀樹議員と福島観光物産館で落ち合い早めの昼食を摂り夜用の地酒を購入して駅前ロータリーに戻り全国災害ボランティア議員連盟の研修会に加わり貸切バスに乗る。今回の視察は会長の谷公一国家公安委員長を始め県議会や市町村議会の議員と2人の事務局を含め39人である。これは翌日の廃炉視察の上限が40人であったためで、希望者が多く2月と3月に別途研修を行うようだ。事務局には頭が下がる。研修費は宿泊と26日の昼食費込みで25,000円で木更津からの交通費を加えた45,060円には政務活動費を充てず全額自己負担である。バスは東北中央自動車道で相馬を経由して常磐道を南下する。バスの中でも水害時における乾燥のポイントなど川上副会長の講演が続くなど学習の時間は多い。バスは浪江ICで高速を降りる。私は2020年10月2023年8月に常磐道を通り抜けてはいるが浪江の街中を見るのは6年4ヶ月ぶりである。
  
1.福島県浪江町
 視察項目 震災遺構 浪江町請戸小学校について
 2017年の6月は避難解除から2ヶ月が過ぎたばかりで震災前には2万人を越えていた人口が当時は2百人程度しか戻っていなかったが6年半が経過して2千人程度まで復活している。しかしながら約6百人は工事関係などの新住民で、旧来の住民は7%程度しか帰還を果たしていない。
 それでも2018年4月に小学生3名・中学生2名で「なみえ創成小学校・中学校」が開校している。一方で写真にあるように1階部分が津波に飲まれ、原子力災害もあって廃墟となった請戸小学校は震災遺構として整備され2021年10月27日から一般公開を開始している。管理は浪江町教育委員会である。
 地震発生時に2年から6年まで82人の児童が居た請戸小学校では東日本大震災の2日前に発生したM7.3の地震で避難経路の見直しを行い津波避難は1.5km離れた大平山へ直接向かう狭い農道に変更したばかりであった。本震の発生では生徒全員が大平山まで歩き森の入口が解る児童の案内で森の中に入って直ぐに森の麓まで津波は押し寄せた。
 児童と先生は合計3km以上を歩いて国道6号線まで抜け、通りかかったトラックに乗せて貰い浪江町の役場にたどり着き全員が無事に避難を成し遂げた。引き取りに来た保護者には避難が先ですと渡すことがなく、現に車で避難して渋滞に巻き込まれた住民達には被災した者も多かったようである。
 ここまでで有れば釜石の奇跡に並ぶ学校の奇跡であるが、その翌日に福島第一原子力発電所からの避難指示が出され、子どもたちは二度と学校に戻ることなく6年以上を過ごした事を考えると、原子力災害の被害が強く胸を打つ。学校の周辺は農業も再会されず一面の荒野のような状況であるが、大平山を開発して「請戸住宅団地」が造成され、地域の名前は存続されていた。13:50から14:30までの視察を終え移動する。
 
2.福島県双葉町
 視察項目 東日本大震災・原子力災害 伝承館について
 県立の立派な施設で2020年9月20日の開館である。海側は「福島県復興祈念公園」として整備が始められており、隣には双葉町産業交流センター、道を挟み本日宿泊するビジネスホテルARM双葉などが揃っているが周辺には生活が見えない。立地する双葉町は震災前に7千人の人口が有ったが、駅周辺の特定復興再生拠点に限り避難解除がされたのが昨年の8月30日で、未だに80人程度しか住民は帰っていないのだから人の気配は無くて当然である。なお敷地の線量は0.056μSV/hで普通の都市と変わりはなく、地質で比較的高いソウルの半分程度である。
 伝承館で説明員を乗せて再びバスでフィールドワークに出かける。大平山霊園、双葉駅などを見て回るが双葉駅近くの商店街だったところには地震で倒壊した商店が未だに解体されず時が止まって残っており、新設された駅と11年半ぶりに故郷に戻った役場との差が強烈に感じられる。
 15時50分に施設に戻り映像を見学した後に案内を受けながら施設内の展示物を見学する。既に知識としては知っている事も多いが、改めて原子力発電所周辺の住民や家畜などに与えた被害には息苦しくなる。
 
 施設から外に出る頃には日も暮れ17時の閉館を知らせる蛍の光も流れていた。ホテルでチェックインを済ませ、双葉産業交流センターで地元の土産を見ていると浪江から山形県長井市に避難したと聞いていた上田本家のお酒が並んでいた。話を聞くと拠点は山形県に残したままであるが2021年3月から道の駅なみえに酒蔵を併設して酒造りを開始させたようだ。復活の嬉しい話を聞き4合瓶を購入してホテルに帰った。
 ホテルに隣接する「双葉の湯」のサウナで汗を流してから18:30より夕食を摂り「貞」で国会が終わって夜から参加の谷会長を取り囲み懇親会を開始した。各地からの参加者と名刺や情報を交換し楽しい一時を過ごしたが21時で閉店となり三宅島の議員と木更津の二人で部屋酒を楽しんでから眠りについた。
 
 26日は7時に起床し朝食を食べてから700m離れた海岸まで散歩すると既に先客が何名か堤防の上で潮風を浴びていた。空は良く晴れ伝承館やホテルの後ろに阿武隈の山並みが美しく聳えていた。
 
 コロナが蔓延する中で南相馬にも久しく足を伸ばしていないが、変わり行く浜通りの姿を見続け、忘れることの無いようにせねばと青空に改めて誓う。なおこの日は岩根西中学校の文化祭に呼ばれているのであるが、この様な状況なので欠席させていただいた。2日目の研修は9:20より再会されバスで大熊町にある中間貯蔵工事情報センターに移動する。
 
3.福島県大熊町(環境省)
 視察項目 中間貯蔵施設について
 最初に環境省が国道6号線に隣接して設置した「中間貯蔵工事情報センター」を見学する。谷元復興副大臣が同席しているので国土交通省から環境省に移籍した本省の課長が対応する異例の状況である。多くの建設会社が工区毎に受注する工事現場のノウハウが環境省になく国交省の支援があったようだ。
 前の記憶では、除染で大量に出された低線量の放射性廃棄物を詰めた黒く大きな土嚢袋が各地に積まれていたが、福島第一原子力発電所周辺の帰還困難地域の約16km2について中間貯蔵施設とすることを大熊町と双葉町が容認し2015年3月13日に仮置き場からの搬入を開始し、既に今年の9月末で約1,362万m2が輸送されて分別や焼却及び埋立が行われてきた。今後は帰還困難地域を抱えている6市町村からの受入は残っているが大多数が終了し、仮置き場も殆ど無くなったようだ。
 20分ほどの説明を終え10時より現地見学を開始する。安全のためにマスクとヘルメットと手袋をして、汚染土壌の盛土保管現場、原発の見えるデッキ、道路盛土へ転用を前提とした試験施工現場の3箇所を見学して回る。用地の中に新興住宅地も有り真新しい家が蔦で覆われているのを見るのは辛い。
 現在は受入が減っているのでピーク時に設置されていたベルトコンベアーなどは撤去され今では稼働していない施設も増えたようだ。それでも全体での従事者は(通常の建設工事では計上しない)ダンプの運転手を含め毎日4〜5千人程度のようだ。羽鳥野の区画整理でピークの頃が2百人ぐらいだから規模の大きさを実感させられる現場である。盛り土の多くが長年耕してきた田畑やその周辺の住宅があった生活の場であり、福島復興のために土地の利用を認めた方々が居ることを忘れないで欲しいと環境省の方々が言っていたのは印象に残る。原発の見えるデッキは特別養護老人ホームの一部で敷地内には12年前から放置されている自動車も沢山残されており暴露試験をされているようだった。芝生だった庭には背の高い松が生い茂っており時間の長さを感じさせる。
 この中間貯蔵施設から2045年3月までに県外の最終処分場へ移送する条件なので、移送量を減らす為に道路路体に使用する施行現場を見たが、業界人としては作業工程が多く事業費が上がることは必至で現実的とは思えず無駄な仕事と思われた。飯舘村の様に農地改良が理想的である。
 津波対策としてのスーパー堤防を施行し、充分な覆土で線量を抑えて堤防の上を漁組などの事業用地にすることも検討するべきであるし遮蔽効果が間違えなければ堤防の上の高台に漁業者の住宅を展開するのも面白そうだ。有機物が入った表土が多い土は建設用資材に成りにくいと容易に推定できるが搬出数量を減らすことが課題だとは理解できる。
 11:30に中間貯蔵工事情報センターに戻って午前の視察を終了し、バスは富岡町の「東京電力廃炉資料館」へと移動した。

4.福島県富岡町(東京電力)
 視察項目 福島第一原子力発電所 廃炉事業について
 福島第一発電所は大熊町と双葉町の間に有り富岡町ではないが、廃炉資料館は福島第二発電所のPRを行う「エネルギー館」の建物を転用したもので建物の外観もエジソン・キュリー婦人・アインシュタインの生家を模したものなので廃炉を説明する割に派手さは否めないが施設の有効利用なので仕方ないだろう。
 11:50に資料館に着き最初に見た映像は東電が謝罪する内容で、説明の方々も深く頭を下げていた。福島第一は設計思想が古いうえに津波の危険性が指摘されていながら大丈夫だというバイアスで対応してこなかった経営陣は攻められるべきであると思うが、前線で批判を受ける職員が疲弊して潰れては元も子もないと思うのである。
 資料館を見学したら東電が用意したバスに乗り換えて廃炉作業の視察を開始する。発電所内の会議室で昼食を摂り説明を受け、様々なセキュリティを越えて構内に入り、原子炉が見えるテラスで説明を受けたが、残念なことはテロ対策で撮影機材が持ち込めないのだ。
 東京電力の社員が撮影した写真が後日配送されてくると思うのでそれ以降に解説的に記載することとするが、発電所敷地内では東京電力の社員12百人を含む46百人が毎日仕事をしており環境省の中間貯蔵工事と併せれば毎日1万近くが働いていることが解った。しかし地元の自治体への入居は殆ど見られていない。他にも構内の大部分で線量が下がって防護服が必要なくなったこと、放射性物質を除去するALPSは日立製の高性能型の500m3/dayを含め2千m3/dayの処理能力があるが舗装やコンクリート被覆によって地下水への浸透を防いだ結果、現在の汚染水の発生量は90m3/day程度に成っていること、先日行われたALPS処理水の放出は約1.6万m3であり19t/hrの排出を1万5千m3の海水で希釈して放出していること、この程度のペースで処理したら30年ほど時間を要することなどが明らかになるとともに、希釈前のALPS処理水でも放射線が水とペットボトルの皮で妨げられので見学後に処理水の入ったボトルを持っても問題なかったこと、何より1号機を目前にして廃炉作業の説明を受けられたことが強く印象に残る視察であった。見学後は被曝量や線量計の値の確認をしてからセキュリティエリアを抜け、会議室に置いてきた貴重品を受け取って16時に発電所を後にした。日没後に富岡の資料館で元のバスに乗り換えて東電の視察は終了となった。
 
 富岡から高速道路に乗りトイレ休憩も省略してひたすら走ったが福島駅には想定より20分ほど遅れて到着することとなり多くの議員が予約した指定席を無駄にした。木更津の私達は最初から自由席特急券としていたので18:41の新幹線で帰路に着いたが、19:16発でも東京到着に大きな差はなく、福島観光物産館で土産を購入すれば良かったと反省したのは新幹線の席に着いた後だった。八重洲バスターミナル22時発のバスに乗り海上自衛隊前に着いたのは22:51であり濃厚な2日間を終えた。
 
 27日は朝から視察の資料整理やHPの更新を行い、10時から福祉会館で開催される戦没者追悼式に出席して議員として献花を捧げる。
 1945年の敗戦から78年が経過し出席する遺族の方も減少している。1945年から78年遡ると1867年であり和暦では慶応3年となる。徳川幕府が朝廷に政権を返上した年で、翌年に戊辰戦争が開戦され明治元年となる。戦後がどれ程長かったのか考える目安として記載する。昭和は遠くなりにけり。
 帰宅して自宅で昼食を摂り、14時からは駅前庁舎でかずさ水道企業団より水道料金値上げに関する基本的な考え方の説明を木更津市選出の議員で受ける木更津市はセグメントとして採算が取れているため値上げはしないが、他市の料金改定は統一料金を見据えた激変緩和措置とも言えず小手先の改正であり、5年後が大変に成りそうである。なお改定の詳細については来月7日の議会後に詳細を記載したい。
 その後は朝日庁舎で打合せを行った後で市内で所用を済ませ、娘を迎えに行き、夕食後に行政視察報告を作成し始めたのだが、内容が多く日付が変わるまで机に向かっても終了させることは出来なかった。また福島視察をした25日にはALPS配管清掃中にホースが外れ作業員2人が廃液を浴びて被曝したり、中間貯蔵区域で解体されるホームセンターから被曝している商品が持ち出され転売されていることなどが明らかに成り、依然として大変な状況にあることを改めて感じさせられた。
 
 28日は岩根西公民館の文化祭なので9時のオープニングセレモニーから出席し来賓代表として挨拶を行い、その後は館内を見て回る。
 コロナ禍でサークル活動が縮小され文化祭から芸能部門が無くなった。利用者の高齢化も進んでおり、来年は更に心配な状況でもある。今は公民館活動に時間を費やす余裕がある人が減ったのか、集団に属すのが嫌われているのか等と役員と話し合った。
 呈茶をいただくなど午前中は公民館で過ごし、昼を回ってから自宅に戻り、江川区の仕事や近隣住民との打合せなどを行い、夕方からHPを更新して、日付が変わる前に何とか福島視察の報告と
最近思う事を取りまとめアップすることが出来た。
 
 29日も10時から公民館の文化祭に行く。呈茶会は前日だけで有ったが今日は日曜日なので「おしゃべりカフェ」の提供があり、駐車場ではジェスパルが焼きそば等の販売を行っている。残念ながら和太鼓「海道・にぎやか座」の演奏は中止になったが天候も良くなり人出は増えてきた。
 ジェスパルの売上利益は学校整備等の事業費になるので売上に協力すべく家で待つ両親の焼きそばやフランクフルト・焼き芋等を購入して昼前に一旦帰宅して昼食を摂り、午後2時半に再び公民館に行って15時の文化祭終了後の撤収作業を手伝う。その後に反省会が開催されたが出席せず帰宅した。
 自宅で喪服に擬替え富津市に向かう。途中でJC時代の友人の所に立ち寄り、午後6時から亡くなられた三木千明議員の通夜に参列する。昨年の10月9日には袖ケ浦市で笹生典之議員の通夜に参列したが、どちらも現役議員が56歳の若さで活動する中で病にかかり、志半ばで亡くなっている。改めて健康管理には気を付けなければと自戒しつつも喪主の奥さんの話が胸を打ち、帰宅後に献杯させていただいた。
 
 30日は朝のうちに私的な仕事を片づけ、10時半から福祉法人鵬和会の理事会に出席する。さつき園の新施設長を理事として迎え入れる議案と、関連企業から借入を行うことが議案である。介護人材の人手不足で施設の利用率が低く建設費の償還が賄えない状況になっているため一時的に借入を行い職員の賞与を払う計画であるが、決算審査で特別養護老人ホーム入居待ちが多い中で人材確保が難しく施設に空きがある現状は急いで変えて行かねばならないと思う。
 理事会は午前中で終了し、午後1時半からかずさ水道広域連合企業団事業運営懇話会に出席する。この日の議案は下記の通りである。
No 内容(件名とは異なる)
1 11月議会上程の議案概要説明
2 君津地域水道事業統合広域化基本計画の取組状況(令和4年度末)
3 災害対策の進捗状況
4 大寺浄水場の耐震補強整備進捗
5 令和6年度予算編成方針
6 広域連合ビジョン(令和6年〜令和10年):素案
7 広域連合ビジョン及び水道料金改定の住民説明会資料
 来月7日に開催される議会では補正予算や決算などの5議案が上程される予定となっているが、何より市民の注目を集めるものは水道料金の改定である。統合10年目から統一料金となるわけであるが、それまでは各市を単位とするセグメントでの採算を計算するので、平成16年の値上げ以降は経営状況の良い木更津市は今回値上げせず、平成28年以降に合併を前提とした値上げを行っている他三市は値上げとなるのである。統一前の激変緩和も加味した改定を行うように今までの議会等で繰り返し伝えてきたが、内容は小手先の最低であり5年後に大きな課題を残す結果になりそうだ。料金改定率は供給単価を比べることで比率が示されるが、平成16年の木更津市の料金改定直前から今回の改定後までの推移を議会では示していただくことを依頼したので全体像は示せると思うが、その詳細については議会後に記載させていただきたい。
、議案以外で特記すべきものとして広域統合の効果の出る事業として木更津の上烏田・富津の上飯野配水池を整備することで君津の久保配水池エリアをカバーし、久保水源・浄水場・配水池を廃止することで年間維持費を35百万円、その更新費を66.7億円削減する計画の元で49億円と予定される上烏田配水池の設計施工一括発注(DB)を来年度発注すること、大寺浄水場の耐震化工事の為に隣接用地の購入を進めること、広域ビジョンを策定するためのパブコメを来年2月に行うこと、議会後に四市の14箇所で広域ビジョンと料金改定の説明会を行うことなどの説明が行われた。懇話会終了後に11月議会における人事と進行の打合せを済ませて2時間に渡る説明会が終わった。帰宅後に雑務を処理し、娘を学童へ迎えに行ってからHPを更新した。
 
 31日も都内に通勤する妻と一緒に金田BTからバスに乗り東京で降り昨年破損した山道具を購入するため十数年ぶりに神田神保町に行くと既にそのメーカーは無くなり他社も生産を中止して在庫もなく同様機能の後継モデルもないと言われる。古いものを大切に使っているうちに道具の進化の早さに浦島太郎状態となる。その後、神田古本まつりと皇居東御苑を見学して昼食を摂り議長会などで頻繁に利用した経験のある都市センターホテルに入る。現地で鶴岡議長、草刈・齊藤秀両議員と合流し、全国から集まった2百人近い議員とともに全国自治体病院経営都市議会協議会が主催する第17回地域医療政策セミナーに出席する。
 講演は2つの事例紹介であり、最初の講師は名寄市総合病院情報管理センター長の守屋潔氏である。道北北部の基幹病院として稚内から士別まで30の医療機関をICTで連携し広大な地域で専門医が不足している状況を解消していることも凄いことであるが、主題は地域包括の情報化である。
 市の参事である守屋氏はITの専門家の工学畑で2008年には旭川医科大学の医工連携特認教授も務めているが医師ではない。本人の介護経験から病院、歯科医院、診療所、薬局、介護施設、包括ケア、行政が情報を共有する重要性を認識してシステムとして整備した。重要なことはこれらの関係者が一同に会し互いに必要とする情報を理解し合い、それぞれをリスペクトする「場」としての医療介護連携WGを造りあげ、そこが主体となって市内で健康まつりを運営するように成った。効果は在宅で見守る体制の早期構築となり在院日数の短縮となって現れている。導入前に平均36日だったものが退院調整が短縮され27日に短縮された。導入に当たって関係者にタブレットを配布し最初のうちは通信費も市が負担したが、3年目からが各自の負担としたようだ。自治体が事務局となり地域全体で最適なシステムを構築することと現場の声を反映することで当事者意識を持たせることが重要で、地域福祉の向上を図っていた。
 次の講演は愛正会山科病院の消化器外科部長の荒金英樹氏で、普段は内臓の癌手術を専門としているが、栄養摂取と食事の意義を考え病院内で栄養サポートチームを編成した。高齢者の摂食障害や誤嚥性肺炎に対して、単なる栄養を摂取するだけの食事から、文化としての食事を進めている。
 最初は嚥下食の基準がバラバラであったものを京都府の医師会・歯科医師会・栄養士会・言語聴覚士会・看護協会等をまとめて共通基準を制定し、さらに地域との共生を進めて産業化を目的に「京滋摂食嚥下を考える会」を発足し和食や和菓子、お茶やお酒に範囲を広げ「京介食推進協議会」として普及と認定を行うなど活動の範囲はまちづくりにまで広がっている。病院食しか食べられず自宅と病院だけの生活になっていた高齢者が対応された京懐石料理を食べる姿を見て配偶者が食事が苦痛でなくなったと号泣した話は印象的である。
 医療の専門家でない技術者が医療介護の連携を図り、料理や食器の専門家でない医師が活動範囲を広げて協力者にするなど、専門以外の視点が患者の生活を変えていく事例を示していただき、医師ではない議員にもやるべき事が多くあると示唆していただける良い講演であった。木更津から参加した4人で情報交換してバスで帰宅した。
 
 
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2023年11月上旬の記録