木更津市史富来田編抜粋 木更津市史(富来田編1・2)・君津市史・富津市史・袖ケ浦市史
木更津市との合併
木更津市と富来田町の合併については、『木更津市史』に記載されているので、重複をさけ、富来田町設立以後木更津市との合併までの経緯についてのべる。
昭和40年(1965)9月袖ケ浦町・平川町・富来田町・上総町・小櫃村の五町村による君津郡北部五町村合併協議会が設立され、合併について調査研究が進められたが、関係町村間で、意見の一致を見ることがなかった。
その後、昭和44年(1969)9月、君津町に新日本製鐵君津製鐵所、袖ケ浦町に住友化学工業千葉製造所袖ケ浦工場の進出、富津地区埋立など君津郡市の都市開発・地域開発が急速に進められ、市町村の行政と財政の強化が必要となった。
このようななかで、昭和44年(1969)7月31日につくられた郡市合併推進協議会は、昭和46年(1971)4月を期し、一郡一市の大同合併をはかることを確認したが、君津町の地元中心の強い姿勢に富津町・大佐和町・天羽町・袖ケ浦町・平川町・富来田町は同調できず、そのため残りの郡市六市町村による合併も計画されたが、実現しなかった。
このような過程を経て、昭和45年(1970)9月には、君津町を中心とした小糸町・清和村・小櫃村・上総町合併により君津町が、昭和46年(1971)4月には、富津町・大佐和町・天羽町合併により富津町が誕生した。
富来田町としては、将来の社会経済の膨張とこれに伴う町民福祉を考え、財政規模の強化拡充をはかる必要があったので、袖ケ浦町・平川町との三町合併か、木更津市との合併かの選択をせまられていた。
一方木更津市にあっては、将来の発展にそなえ、古来より水と産業で結ばれた富来田町の合併により、適度な広さの行政区域・水と緑と住宅用地・完備された交通網などの都市的機能の充実をはかる考えであった。
そのため木更津市は、昭和45年(1970)10月31日合併についての話し合いの機会を持ちたい旨を富来田町と平川町に申し入れ、待機していた。
これに応え富来田町は、君津郡の中心は現在・将来とも木更津市である。
町民の福祉増進と地域発展は、木更津市合併がよい。
との構想をうちだし、79%のアンケート賛成をえたので、歴史的にも地形的にも隣接する生活圏として密接な関係にある木更津市と合併することに意見が続一され、昭和45年(1970)1月28日木更津市・富来田町合併予備協議会を開いた。つづいて昭和46年(1971)5月24日には両市町の臨時議会で、市町の廃置分合などが議決され、9月10日合併した。
また平川町は袖ケ浦町と昭和46年(1971)11月合併し、昭和40年代の君津郡市の合併はすべて終った。