木更津市史抜粋 木更津市史(富来田編1・2)・君津市史・富津市史・袖ケ浦市史
隣接六力市町村合併問題
昭和44年12月15日、市議会に「市町村合併特別委員会」が設置され、その構成は次のとおりであった。
委員長 花崎修二
委員 山田保治・角井富治・水野兼治・宮下兼次・市原義治・粂義一・石川松太郎・時田芳松・宮崎正雄・石井久・伊藤一・加藤義助・茅野庄太郎・叶川三治・長島宏・武内正男
昭和45年3月26日「合併調査研究委員会」が設置され、委員30名をもって構成し、委員長および委員は次のとおりであった。
委員長 花崎修二
委員 市議会議員・関係行政機関の委員・公共的団体の代表・学識経験者・市政協力員・市の職員等から選考された。
昭和45年4月1日市に「合併対策課」を設置。
昭和45年5月20日 木更津市・君津町・小糸町・清和村・小櫃村・上総町等の六市町村による「合併予備協議会」が発足し、その構成は次のとおりであった。
会長 北見木更津市長
副会長 鈴木君津町長・鎌田小糸町長
代表 各市町村より九名づつ選出された。
昭和45年5月11日合併調査研究委員会より、次のような「合併に対する答申」がなされた。
1 市町村合併はすべきである。
2 合併する場合。
イ 合併の範囲 まず条件の合う市町村で9月合併を行ない、将来は郡市一本にすべきである。
ロ 合併の形態 9月合併の場合は、対等合併もやむを得ない。
八 合併の時期 昭和45年9月を目標とすべきである。
二 新市名 木更津市とする。
ホ 新市庁舎の位置 現木更津市庁舎とする。新たに市庁舎建築の場合は交通・文化・経済・教育その他諸般の事情を考慮し、新機関で検討決定すべきである。
へ 大規模償却資産税の取り扱い 大規模償却資産の所在地が君津町である事実を尊重し、且つ新市建設計画にそって配慮すべきである。
昭和45年5月20日「特別委員会」を設置し、委員長および副委員長は次のとおりであった。
委員長 緒形敏(清和村長)
副委員長 四宮喜八郎(上総町長)・松崎純(小櫃村長)
昭和45年5月25日第一回特別委員会を開催し、決定事項および議事経過は次のとおりであった。
合併時期 9月15日以前とする。
合併形態 対等合併とする。
新市建設計画期間 昭和46年度より同50年度までとする。
新市名 木更津市側は「木更津市」を主張した。
新市庁舎 君津町側は「君津町」を主張した。
昭和45年6月22日小糸・清和・小櫃・上総の四首長のあっせんにより、新市名を「君津木更津市」とする案を提出されたが、木更津市では新市名について市民の声を聞くため、部落座談会を7月3日より8日まで各地で開催したところ、各会場における発言をまとめると「木更津市」を主張したもの79名、「君津木更津市」でよいとしたもの21名、その他24名で、全市を通じて木更津市とすべきであるとの意見が多数であった。
市長は圧倒的市民の声に徴して、9月合併は見送りすることを決意し、市議会の同意を得てこれを決定した。ただし、郡市一本の合併に前向きの姿勢で努力することとし、合併の灯は消さずとなし、合併予備協議会を解散した。