天上山 574m 東京都神津島村
2001年3月18日登山

 この頃の「山と渓谷」でこの山の記事を読んで行きたいなと思っていた頃、4連休が取れたので自転車による市町村走破の旅で神津島に訪れることにした。前後の記録は神津編を参照いただきたい。
 
 白島口は群発地震の影響で崩落しており使えないと民宿で言われていたし、黒島口の方が展望が良さそうなので、そこまで自転車で移動し、靴を履き替え登山開始である。
 登り始めると急坂が続き展望はどんどん開けてくる。千代池を過ぎ裏砂漠にはいると北アルプスの稜線に居るような雰囲気がしてくるから不思議である。噴火する三宅島の見える展望台や、新東京百景となる式根島や新島が見渡せる展望台など、山頂の見所が多く、緩やかな起伏の遊歩道歩きがとても楽しい。
 三角点の有る山頂で軽食を食べ下山を開始する。標高こそ574mと低いものの、雰囲気も展望も一級品の山であった。
志賀草津 2,307m[横手山] 群馬県草津町
2001年3月24日:F島と2人

 ツアーコースで有名な志賀から草津に滑りたいとF島に言うと、それなら雪中泊も楽しまなければ勿体ないですよと言われ、暖かな神津島から帰った翌週に、1泊しながら長野県から群馬県に滑り込む企画を立てた。
 開業して3年少しが経過した長野新幹線に初めて乗車する。F島は高崎駅で乗り込む。長野電鉄、バスを乗り継いで熊ノ湯・渋峠スキー場に着いたのは昼を回っている時間だった。乗車券を買ってスキーリフトで横手山の頂に立つ。全て機械力を使用しているので登山とは言い難いからタイトルは『横手山』でない。
 草津へ滑った板の跡は沢山あり、ヘリツアーが盛んなようだが、午後も遅いので誰も居ない。静かな斜面を滑りながら風の弱そうな広場を探しテントを設営する。準備が終われば雪山でゆっくり宴会である。個人的には雪山テント泊が初めてなので結構楽しく酒も進む。
 
 25日の朝も天気が良い。テントを撤収し、重い荷物を背負って再度進行を開始する。芳ヶ平のように平坦になると重い荷物がスケーティングの邪魔になり進まないし、バランスが取れず良く転ぶ。スキーツアーは意外に大変だと実感する。疲れて草津スキー場に着き、西ノ河原の大露天で汗を流し、吾妻線の各駅で帰路に付いた。
剣 山(2回目) 1,955m 徳島県東祖谷山村
2001年5月5日登山

 JR大歩危駅から登山口まで自転車で登ったため足がガクガクになり、上りだけ登山リフトを使用してしまった。最初の登山は氷点下の冬山だったが、GWの剣山は華やかで人が多い。この前後の記録は中四編を参照いただきたい。
幌尻山荘 1,300mで撤退 北海道平取町
2001年7月8日登山

 7日に占冠駅でF島を迎え、道の駅日高でK籐から借りた車の中で寝る。雨が続いているが天気予報は明日と明後日は良いと伝える。
 8日の早朝に起きてラジオを聞きながら走ると昨日幌尻下山中に溺死した人のニュースが流れる。昨日の内に登らなくて良かったなとF島と話していると救急車や消防車とすれ違う。今の車にニュースの人が納められているのか・・と急に現実感が襲ってくる。
 林道終点の駐車場は既に2台停まっており、その横に車を停め登山を開始する。空は気持ちよく晴れている。しばらく歩くと最初の渡渉地点に到着し沢足袋に履き替える。たしか3回目の渡る場所で先行の人達が止まっている。水勢が強く渡れないと言う。みんな昨日のニュースで怯えている。F島にザイルをサポートしてもらい私が先行し耐えながら渡りきる。そのザイルでみんなが渡り先に進む。F島は二ツ沼カールにテントを張りたかったようだが熊遭遇を避けたく昼なのに山荘の横で設営宿泊。せめてこの日の午後にピストンすべきだったと思うが後の祭りである。
 翌日荷物を小屋にデポして登山を開始するが途中で雨が降り始める。休暇を考えると、また水量が上がってここに閉じこめられるのを避けなければいけないと泣く泣く途中撤退することになるのであった。
白馬岳 2,932m 長野県白馬村
2001年7月15日

 幌尻であまりに悔しい思いをしてきたので、その1週間後に思いついたように白馬に登りに来た。
 13日の夜の夜行列車に乗り、バスに乗り継いで猿倉に到着。のんびり歩き雪渓を詰めて11時前に小屋に到着し、14日の行程は終了。温泉に入り、出て本を読みを繰り返し、夕食前に6回目の温泉に入って出たら流石に湯当たりになり温泉の効用の強さを実感した。
 翌朝から快晴。温泉に浸かりながら御来光を迎えるという夢を叶える。ただ、下のテント場から丸見えなのが気がかりではある。
 朝食を取ったら登山開始。昨日は湯治並に体を休めているから調子は最高に良い。ほぼ休み無く稜線に到着する。周辺の雪や高山植物の色合いも素晴らしい。少し登り白馬槍ヶ岳に到着する。展望も申し分ない。しかし、左足の登山靴の横が開き始めているのに気づく。
 そこから白馬に向かう縦走路はお花畑が連続して訪れ、白馬の人気の高さを自らの目で理解する。あぁ、この山なら女性を連れてきても歓ばれるな、と思うがその誰かが思い当たらない。
 杓子からの下りで左足はパックリ口を開いてしまう。何故こんなに一気に破壊が進んだのか解らないが歩行に困るので白馬山荘で紐を頂きぐるぐる巻きに縛る。
 そんな事で時間をかけている内に雲が上がってきてしまい、白馬頂上に着いたときには視界が無くなっていた。その内雲も切れるだろうと白馬大池に進めば小雨が降り始める。新潟県最高峰である小蓮華山[2,766m]や大池山荘を経て蓮華温泉に下り始めると雨粒も大きくなり、期待していた蓮華温泉の露天風呂にも入れない。
 諦めて本館の内湯に浸かり出ると売店でビーチサンダルを売っている。既に歩行に耐えられない登山靴の処理をお願いしながらサンダルを購入する。バスを待つ間に豪雨を味わい、山の天気の変わり安さを実感する。平岩に降りると大糸線が警戒雨量を越えてバス代行運転となっているほどだった。ビーチサンダルまま糸魚川を回り北陸本線の特急で帰宅した。
No32 .2001/3-2001/7    ←No31No33→
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