No.102 中四編      日本を走る ←No101神津編No103岩手編→
旅行期間 2001年4月28日〜2001年5月6日 旅行日数:9日間
総走行距離 999km
走破市町村 46
同行者 無し 使用自転車:GT
総費用 114,686円 当時の年齢:37歳
初日 2001年4月28日
輪行区間 自宅→袖ヶ浦BS→羽田空港→岡山空港
走行区間 岡山空港〜東城町比婆山温泉
走行距離 133km
走破市町村 5(加茂川,賀陽,有漢,北房,哲西)
累計数 3,143
 出発前に予定コースの沿線を色々と調べたのであるが、どうもモチベーションを上げるポイントは少ないようだ。せめて毎晩泊まりは温泉にして、後は修行だと思って走るしかないと覚悟を決めて朝1番の羽田発岡山行き飛行機を予約することから旅は始まった。
 前の岡山編は夜行瀬戸を降りてスタートしたが、今回は空港からである。27日の夜の会議や懇親会を終えて、家で布団に入っても翌朝9時から岡山を走り始められる。アクアラインが出来てから便利になった。
 空港から吉備高原都市への案内標識で走る。ちなみに手持ちの地図には記載がない道路であるが岡山県の主力プロジェクトだから道も良いだろうと判断した。たしかに道は良いし自治体境界の稜線を走っているため自然と効率よく走破が進む。ただ自転車にとっては上り下りがだるい道であった。突き当たりで賀陽に入り、県道で岡を越えて有漢町に降り、312号線で,北房に出たところで昼食のラーメンを食べる。小坂部ダムを下り新見に出て182号線で哲西町に入れば岡山県走破完了である。県境を越えて314号線の何でも無い上り坂で急激に体力が無くなるが宿まで騙し騙し進む。午後5時に1軒家の比婆山温泉に到着し、日頃の睡眠不足を取り返すのだった。
2日目 2001年4月29日
走行区間 東城町比婆山温泉〜石見町断魚渓温泉いわみ荘
走行距離 167km
走破市町村 12(比和,高野,口和,君田,布野,美土里,千代田,八千代,豊平,大朝,瑞穂,石見)
累計数 3,155
 宿の正面の県道を入り比婆越えに入る。手元の地図ではこの間の道は未整備になっているが、比婆山登山の際に細い道だが舗装路で越えられる事を実証しているから安心である。そうは言っても勾配は12%を軽く越えていそうな急坂の連続に押しまで入り、ドルフィンバレースキー場の脇に出たのは宿を出て2時間半後だった。このペースで日没までに宿に着けるかと不安になる。しかし、王居峠のトンネルまで登ってしまえば後は札が峠の小さな登り返し等が有るものの基本的に下り坂続きで布野村を経由しても午前中に三次に出る。この頃から雨が降り始める。
 高宮のAコープで蕎麦と牛乳を買い、庇の下で雨宿りをしながら食べる。そこから高速道路沿いに千代田に向かい、八千代湖畔に出たところで八千代町境界まで往復してくる。千代田市街を抜けたところで国道沿いのお好み焼き屋で休憩。賑やかな伯母ちゃんに元気が上がる。
 食事を終え外に出ると雨も上がり今日のラストスパートをかける気力が湧いてくる。261号を別れ豊平町に入り、船峠を越えて261号に戻り断魚トンネルの旧道沿にある宿に5時前に到着する。自転車を何処に仕舞うか聞くと自転車というよりレスリングという体格だなと親父さんに言われる(当時の体重は80kgぐらい有った)。夕食の時間まで渓谷を散歩する。これがこの日唯一の観光であった。なお、この日の走破を終えて残る町村は99と、いよいよ2桁になりカウントダウンである。 
3日目 2001年4月30日
走行区間 石見町断魚渓温泉いわみ荘〜柿木町木部谷温泉
走行距離 174km
走破市町村 8(川本,桜江,旭,金城,弥栄,芸北,美都,柿木)
累計数 3,163
 今日も天気はハッキリしない。走行距離も長いから暑いより良いか、と納得して出発。261号線を川戸で別れ旭ICを目指す。山間にはいると直ぐに県道が狭くなる。桜江町へのアクセス道路として整備していないのか、と思っていた頃、頭上に大きな道路橋が架かり、取付道路入口には小さな旭ICの矢印看板が有る。バイバスを作ったんだなと思い、矢印に沿って旭ICに出る。ICを抜けたら金城町まで下り、186号線で標高720mの芸北高原まで登る。流石に足が疲れる。
 スキー場のレストハウスがドライブインとして通年営業になっているので早めの昼食にビビンバを食べる。高原と言いながら周辺に観光客は殆ど居ない。さらに標高150m程度を登り八幡洞門を越え、八幡高原から191号線を益田に向けて下る。このダウンヒルは太陽の光も射し、風も爽やかでGWの旅をしているなぁという実感に満たされ幸せになる。益田から9号線及び187号線を南下すると木部谷温泉に至る。今夜の宿泊は離れの小さな1戸建である。聞くと元々日帰りの温泉場だったのが泊まりたいという意見が多くて宿泊棟を建てたと言うことである。建物は古いが食事も良質だし、温泉は色も濃く析出物も多く効果が高そうである。これで7,000円はお得だなと思う。夜中もテレビの音を気にすることなく寝ることが出来た。
4日目 2001年5月1日
走行区間 柿木町木部谷温泉〜松山市松山YH
走行距離 114km
走破市町村 6(六日市,錦,美川,本郷,美和,佐伯)
累計数 3,169
 朝飯前に裏の温泉の間欠泉を見に行く。ますます良い温泉に泊まったのだと思う雰囲気である。朝食を取って、今日は比較的ゆっくりと出発。六日町に入って残る島根県が4町村になる。ただその一つが隠岐に有ると言うのが頭が痛い。
 傍示ヶ峠を越えて山口県に駆け下りる。山賊おにぎりが名物というのが気になるが満腹で食べる気になれない。河山から県道で本郷村を抜けて佐伯を目指す。何度かの峠を越え、途中で道が細くなっていき、何処かで間違えたかと心細くなる頃県境の標識が現れ広島に入る。それと同時に広島県走破完了となる。ちなみに残る山口県は秋穂町だけになった。
 佐伯町の中心まで出ると急に車が増え広島市近郊だと認識させられる。お好み焼きを食べて明石峠を越えて廿日市に降りると雨が降り始める。自転車屋でチェーンに油をもらい広島に入る。多少は市街を見ようと考えていたが雨が強くなり始めたので松山行きフェリー乗り場に直行し、午後最初の船に乗り3時間弱の船旅を雨宿りに使う。濡れた体で飲む麦酒は芯から冷える。
 松山に着けば雨上がりの町で、久々に使うYHまで快適に走る。同室となったライダーとYHから歩いて道後温泉に入り、旅の話を肴に地麦酒を飲んでYHに帰った。
5日目 2001年5月2日
走行区間 松山市松山YH〜須崎市BHさつき荘(2回の輪行を挟む)
輪行区間 JR松山駅→JR八幡浜駅、JR伊予吉田駅→JR須崎駅
走行距離 77km
走破市町村 3(中島,三瓶,明浜)
累計数 3,172
 朝から雨。合羽を着て三津浜港まで走り中島町大浦港までの往復を行う。天気が良ければ中島で懐良親王の跡でも訪ねようかと思っていたが港を降りただけで直ぐ引き返す。この往復が高い雨宿りぐらいになるかと思ったが港についてもまだ土砂降り。松山駅まで走り木更津までの乗車券を購入し、取りあえず八幡浜まで輪行する。
 八幡浜に着いたら雨は霧雨程度に変わっていた。少し気分も楽になり海岸線に残った2町を走り込む。晴れていれば豊予海峡が綺麗だろうなと思いながら海岸の細く曲がった国道を走り伊予吉田駅に着いて本日の走行は終了し駅前でチキンライスを食べる。ちなみにこれで愛媛県走破完了である。
 翌日の行程を考えると須崎まで移動しなければならないがメモ帳には須崎周辺の温泉宿情報は無い。電話帳を見ようにも県が違うので解らない。どうにかなるさと輪行して鉄道に乗る。最初は学生で混雑していた列車もだんだん空いてきて、県境を越えて暗くなると誰も乗り降りしない駅を4人しか乗っていない列車が通過する状況になる。窪川駅の乗り換え時間を使って須崎のビジネスホテルを予約し、夜9時近くに宿に入る。
6日目 2001年5月3日
走行区間 須崎市BHさつき荘〜本川村旅館清流
走行距離 129km
走破市町村 5(葉山,大野見,池川,吾北,本川)
累計数 3,177
 久しぶりに朝から晴れている。この高知ステージは南海編徳島編で雨天挫折している区間なので、3度目の正直という気分である。須崎から197号で西に進み、大野見に入るためにわざわざ県道で峠越えをする。久々に天気が良いので峠でも気分がよい。「ようこそ大野見村」の看板で山菜取りの人に写真を撮ってもらい、東津野村に出て439号線で北上を開始する。こんな所を走っていると日本の道路整備はまだまだ必要だと実感してしまう。
 F島と走っていたときには無理な計画も立てなかったが、単独に戻った前の長崎編は毎晩遅くまで走り余裕がなかったという反省を今回に持ち込み、原則として5時前には行動を終了する前提で行程を立てている。そうでなくても今回の行程は毎日厳しい山岳戦になるのだから休息は重要なのだ。そんな訳で今日も早めの本川村に宿を予約してしまう。
 吾北村には予想より早く午後2時に到着する。後は194号線で峠を越えれば宿である。立ち止まり看板等を眺めると一生懸命村おこしを自分の手で行おうとしている姿が見えて気持ちよくなる。別に時間いっぱい走る事が充実しているのでなく、細かなところにも目を向ける充実も良いかなと宿まで向かい、夕食までの時間を川原で清流と藤の花を眺め、太陽を浴びながら麦酒を飲んでいた。
7日目 2001年5月4日
走行区間 本川村旅館清流〜西祖谷村民宿いや荘(1回の輪行を挟む)
輪行区間 JR高知商業前駅→JR大歩危駅
走行距離 101km
走破市町村 5(大川,土佐,本山,土佐山,鏡)
累計数 3,182
 気持ちの良い宿を早朝に主発して吉野川の源流を東に進む。朝日に照らされた渓谷美が素晴らしい。早明浦ダムが出来るまでは本川村より多い人口が居たと宿の伯母さんがいう大川村も1985年の国勢調査人口で751人、この頃には600人を切っている村は商店などの寂しさが目立ってしまう典型的な山村になっている。その早明浦ダムが近付いてくると湖面にはジェットボートが多く見えるようになる。堤体に近付くと、車で牽引したままボートを入水できるような斜路も有り利用しやすそうである。多くの人が去った場所でのんびり遊ぶのも気持ちが良さそうである。
 ここから土佐山村に抜ける県道を進む。標高がだんだん高くなって展望も開けていき、頂上の赤良木トンネルを抜けると地の底に落ちていくように急な下り坂が始まる。逆コースだととても登れないなと思いながらのブレーキワークが忙しい。鏡川に出たら川沿いに進み、鏡村に入った段階で高知県走破完了となる。
 急に暑くなってきたら高知市街地に入る。「高知商業前」というバス停のような名前を持った駅から大歩危駅まで輪行する。
 大歩危駅で下車し、数軒の宿に電話を入れ、民宿いや荘を予約する。昨日の旅館清流は3人しか泊まっていなかったのに、平家の隠郷は混雑しているようだ。予約も取れたので自転車を組み立て坂を登り始めると1kmもしないうちに異常な音が気になる。その内バキッと音がしてペダルが漕げなくなる。見るとアウターが折れている。内側が使えれば登りは出来るが、下りや平地では外側がないと辛いし、この周囲で購入することは不可能と思える。行程は残り1日だからこれ以降は自分を騙して進むことを決める。
8日目 2001年5月5日
走行区間 西祖谷村民宿いや荘〜JR佃駅
走行距離 104km
走破市町村 2(木屋平,一宇)
累計数 3,184
9日目 2001年5月6日
移動区間 夜行寝台・あさかぜ〜自宅
輪行区間 JR佃駅→JR巌根駅
 そして実走行の最終日である。天候は高曇り。朝からずっと上り坂が続くのでアウターがないことは気にならない。途中で珍しいPC吊床板橋を見る。これは簡単に書くと床面にワイヤーを通しそれで橋を吊っている形式の橋である。かずら橋が有る祖谷渓の新しい名勝にしようとしているのかと思うが特に説明も見あたらない。
 ペースを意識的に押さえて走ることで、余力を残して剣山に登ろうと考えていたが、やはり標高1,400mまでのヒルクライムは辛い。とりあえず登山口近くのトンネルを越えて木屋平村に入り展望を楽しんで引き返し剣山にリフトで登る。下山後、438号線を北上する。夫婦池まで緩やかに登り、そこから急勾配の下りが始まる。最大ギヤ比が3になってしまった現状では全く空回りで、ただハンドルとブレーキだけで一気に1,200m近い標高差を放出する。桜が蕾から満開を経て葉桜に変わり、気温も春から夏に一気に変化して貞光に到着する。徳島県&四国走破完了である。
 当初計画ではS井の差入れでもらった「讃岐うどんMAP」を元に県境を越えて「谷川」のうどんでも食べようと考えていたがギヤの故障で中止。徳島道に出来たという「美濃田の湯」に入って佃駅から輪行で自転車は終了である。ただ村上春樹の「辺境近境」で読んだうどんの世界への思いが諦めきれず、途中の駅に近い店である宇多津駅の「おか泉」に入る。ぶっかけが400円を切る値段の安さとその美味さに今までの香川の旅は何をしていたんだろうと衝撃を受ける。しかしそれより深い世界があるのを知るのは新潮文庫の「恐るべきさぬきうどん」を読んでからである。はまってしまうとこんな旅までしてしまう事になる。
 宇多津駅で今夜の夜行寝台・あさかぜを予約できたので早めに岡山に移動する。取れなかったら坂出辺りで打ちあげをして明朝の瀬戸大橋を満喫した後に新幹線で帰るつもりだった。駅の売店で大量の麦酒や缶酎ハイを買って、夜行列車の中で今回の修行の旅を自ら慰労するのであった。(次は岩手編