間ノ岳(2回目) 3,189m 山梨県芦安村
2002年7月21日登山:単独

 四市合併署名活動も6月中に終了し、選挙管理委員会への提出も終わり、有効署名数確定までの一時的な休息を利用して単独農鳥登山を目指した。
 20日のバスで広河原に入るが祭日だから人が多い。北沢峠周辺の小屋は全て満員です、とのアナウンスが流れている。相談所に「両俣小屋はどうですか」と聞くが明確な回答が無く不安である。
 バスも4台が満員になるほどの人を乗せ広河原を出発する。しかし野呂川の出合で下車したのは2人だけだった。林道歩きを長々と行い、小屋に付くと宿泊客は20人弱。夕食には鰻も出て素晴らしい山小屋を味わえる。
 翌朝、野呂川越で仙塩尾根に出て、三峰岳でに歩いた縦走路に出る。登り詰めた間ノ岳は何故か山頂だけ雲が切れず展望を得られない。それでも今日最初の乾杯麦酒を空ける。
 西農鳥に向かって歩き始めると直ぐに雲の外に出る。森林限界より上の縦走路は明るく、西農鳥頂上越しに富士山も見えて気分がよい。
農鳥岳 3,026m 山梨県芦安村
2002年7月21日登山:単独

 間ノ岳から西農鳥に到着し、振り返ると間ノ岳がスッキリと聳えている。今まで待てば雲が切れたのかと悔しくなっても後の祭りである。
 西農鳥から少し下り、登り返せば農鳥岳の山頂に到着する。これで日本の3000m峰の内、未踏峰は富士山だけとなった。この日2本目の乾杯麦酒を空けたら下山開始である。
 落ちるように標高を放出して大門沢小屋に到着して今夜はここに泊まる。連休中なので人は多く、肩を並べるように窮屈な割り当てを受けているが、私は寝袋持参なので専用の板の間を宛われる。他に寝袋持参の人が来なかったので結構広く使える。おまけに食料も自炊なので素泊まり4,000円であった。
 翌日に奈良田まで降り、山岳写真館を見て、温泉に入りバスと電車を乗り継いで横浜に出てアクアラインバスで帰宅する。
富士山 3,776m 山梨県富士吉田市
2002年9月15日登山:O田さんとK町親子で4人

 青年会議所は40歳までの団体なので、この年に40歳になったO田さんとK町さんが卒業記念に富士山に登りたいのでポーターをやれと言われる。私も3,000m峰登山が全て終わったからそろそろ富士山に登っても良いかなと思っていた。しかし渋滞した山に行きたくないので9月の登山にする。
 14日早朝にアクアラインに近い私の家に集合する。K町さんは高校生の息子を連れてきている。O田さんのワゴン1台に乗り込み富士吉田口5合目まで行き、昼からの登山である。曇りのため日差しでやられるリスクは回避できたが却って寒いぐらいで8合目の元祖室に付いたときには暖房が欲しいぐらいになっていた。9月なので営業小屋が減り、小屋の中は混雑している。また日没後も続々と到着する人が居たり、とんでもない早朝に出発する人が居たり、やはり富士山は他の山と常識が違う。
 翌朝の天気予報ははずれガスの中である。40歳の男2人は初めての山で疲労が強い様子なので朝ものんびりして、7時にゆっくりした登山を開始する。9月なので渋滞するほどではないが、それでも沢山の登山者が居る。
 2人が泣き言を言い始めた頃山頂に到着する。ここから最高地点の剣ヶ峯までお鉢を半周しなければならないと伝えると2人は酸素を購入する。高度のせいか私も怠さを感じる。高校生だけは元気である。かなり寒いので皆に服装を整えさせてから歩き始める。
 そして展望のないまま日本最高地点に到着する。3人分の麦酒を担ぎ上げているのに2人とも飲もうとしないので1人で乾杯する。また法定合併協議会の設置を四市の9月議会に請願したばかりで、採決の前なので可決祈願も行うため幟旗を出し写真を撮る。
 下山しながら50歳までにキリマンジャロに登ろうと3人で約束をした。しかしK町さんは約束を果たさないまま、3年後に自らの意思でこの世から旅立ってしまった。そのため日本一の山である富士山に悲しい想い出が残ってしまった。
半月山 1,753m 栃木県足尾町
2002年10月12日:F島夫婦と3人

 F島から新婚生活も落ち着いてきたので遊びにおいで下さいと連絡が有った。袖ヶ浦市議会に否決された法定合併協議会の気分転換も兼ねて日光の紅葉を見に行きながら新居を訪れた。
 12日の早朝に新居の太田を出発し足尾と日光の境界になる旧道の細尾峠に車を停め登山を開始する。F島と山岳会で出会っただけ有って奥さんの歩きもしっかりしている。静かな稜線を3人で歩き、茶ノ木平に付くと急に人が増える。トイレタイムにロープウェイ駅に出ると中禅寺湖越に白根山が綺麗に見えている。とても良い天気であるから中禅寺湖畔は既に渋滞が始まっている。細尾ルートにして正解だな、と思う。
 茶ノ木平からスカイラインを経由して半月山に着く。駐車場から普通の観光客が大勢来て騒がしいのが苦になるが、それを補って余る最高の展望が広がる。日光の紅葉だけでなく足尾松木渓谷の岩場の荒んだ風景も強烈である。しばらく展望を楽しんだら阿世潟峠まで縦走して中禅寺湖に降りる。湖畔の遊歩道をのんびり散策して立木観音まで出たところの食堂で遅めの昼食の湯葉蕎麦を振る舞う。ついでに麦酒も飲んでしまったので茶ノ木平への登り返しは軟弱にロープウェイを使用する。
 細尾峠に歩き始めると途端に人が居なくなり、また静かな山歩きである。帰路に草木温泉に浸かり、太田まで戻ったらヨラッセで地ビールを飲みながら彼らの幸せを祈るのであった。
相模大山(3回目) 1,252m 神奈川県伊勢原市
2002年11月17日登山:O田、K町、A木、S水と5人

 富士山に行った2人が年末までにどこかに上りたいと言っており、それに賛同する若手のA木とS水を加えて5人で山に行くことにした。場所としては自分が最初に登って夜景を見て感動した大山に行き、皆に同じ感動を味わってもらおうと決めた。
 昼は噂に聞いた秦野のなんつっ亭のラーメンを開店前から並んで食べてから大山に向かう。山に慣れていない者ばかりだからケーブルカーを利用して下社まで登り、そこから登り始める。山頂には午後4時に付くが雲がかかり東京の展望を得ることが出来ない。神社には霧氷が着いているほど冷え込んでいる。仕方ないので簡単な食事を作って食べ、下山して七沢温泉に泊まり、2人の卒業を祝う宴会をするのであった。なお、これがK町さんと登る最後の山になってしまった。
No35 .2002/7-2002/11    ←No34No36→
日本を走る