根本山 1,199m 群馬県桐生市
2007年11月24日登山:F島と2人
 
 勤労感謝の日である23日に大学のOB親睦会から卒業15、20、25周年のメンバーを集めて『Home Coming Day』という同窓会を行う企画が届いた。大学の法人化などもあり母校や懐かしい街、そして同期の友人がどの程度変わっているか見るために1986年まで住んでいた桐生を訪ねる事にした。校舎も何棟か新しくなり、自分の住んでいた家は駐車場に変わっていたが当時の助教授が教授として残り、何とも満ち足りた会を過ごす。
 この夜は懇親会で飲むことが前提なので桐生に宿を取った。そうなると当時登ろうとして行けなかった、20年以上課題のように残った根本山に同窓会の翌日に登らねばならないと言う思いが深まり、例により後輩であるF島を誘い出した。
 
 24日の朝8時に旅館までF島が軽自動車で迎えに来てコンビニで食料や麦酒を買い揃えた後、22年ぶりの梅田の奥までドライブする。道は相変わらず細い。
 登山口の手前にある林道分岐の駐車スペースに車を停め8:57より歩き出す。上りは変化に富んだ沢コースを選んだ。林道から急に登った後は冬枯れ気味の気持ちの良いハイキングコースが続く。両側が急に成ってきた頃、暗い谷間へ道が入っていく。急に空気が冷たくなり回りに氷柱が見えると鉄梯子が現れ修験道コースに入ったのが解る。最初の鎖場を抜けると奥の院で、不安定な岩場なのに鐘まで有る。到着は10:32だった。
 安全を祈願してその先の急な岩場を戦い抜くと稜線に出る。振り返れば日光白根や男体山が近い。一度鞍部に降り登り返せば長い事憧れていた山頂に到着する。そこで乾杯としても良かったのだが熊鷹山の展望が良いのでそちらで食べた方が良いというF島のアドバイスを受け先へ進む。
 朽ちた社の脇を抜け、稜線をトラバースすれば熊鷹山【1169m】の山頂に11:55に到着する。根本山より30m低いとは言え、噂通りの大展望である。日光連山や武尊はもちろん遠く上越国境の白い壁も見えているし、東と南には低い山並みが続き、墨絵のような世界である。木陰には雪が僅かに残っているが日差しは暖かく、気持ちよい空間である。ここでF島がおでんを作り始める。麦酒やワインを味わいながら山頂で過ごす時間は、この街の想い出と調和して心地よく働きかけてくる。ただ夕方からの車の運転もあり、酒は味見程度になり、満足いくまで飲めないのだけが残念だ。
 ゆっくりと休んだ後、長い林道歩きを経て駐車場に帰り着いた。梅田の里では紅葉が夕日に映えて美しい。助手席から桐生の街を眺めながら老舗である『金釜』を訪れる。いまだに470円の釜飯を食べ、日没後に宿に預けていた車を回収する。桐生温泉ゆららで汗を流してF島と別れ、懐かしい街を後に、現実の待つ木更津に帰っていった。
塔の岳 1,461m 神奈川県秦野市
2007年12月01日登山:私とO田さんを含む4人
 
 昨年登った長者ヶ岳鍋割山の鍋焼うどんが美味かったという話をしたら、どうしても行きたいと言うことになり、去年と同じメンバーで登山する。私以外は登山経験が素人であり、丹沢も大山しか経験が無いメンバーなので、鍋割山往復では勿体ないと考え、二俣から塔の岳に登り鍋割山経由で戻るルートを考えた。西山林道を二俣まで入る事が成功の秘訣である。
 
 当朝向かえに来た車は車高の低いBMWだった。自分のレガシーを出そうかと一瞬思ったが車高は対して変わらないのでそのまま乗り込む。アクアラインを渡り東名秦野中井ICで降りて渋沢から林道に向かう。予想以上に幅員が狭く、腹を5回擦って二俣に到着。回りはパジェロのような四駆が3台有り、場違いな車であった。
 8:28に登山開始。いきなりの急登である。それでもO田さんは『ゴルフで鍛えから』と昨年より楽そうである。
 堀山の家前で尾根に出るとひっきりなしに登山者が通過する。O田さんは人が多い事は安心だと言う。小休止の後、主稜線を登り始める。振り返るとうっすら湘南は見えるがガスで冴えていない。この辺りの階段上りで朝食抜きのO田さんに疲れが見えてきたので花立山荘で汁粉を飲ませる。そして山頂には11:52に到着する。晴れ間は広がるが遠景は見えないし風も冷たい。
 少し休憩した後、鍋割山に向かい始める。途中で鹿が人を全く恐れずに食事をしていた。被害も大きいだろうなと心配になる。
 鍋割山には13:06に到着し待望の鍋焼うどんタイム。やはりこの感動は大きい。初体験のみんなもかなり喜んでいるので満足して貰って光栄である。食事と麦酒で14時までくつろいでしまった。
 下山は後沢乗越経由なので楽だと思っていたが自分の記憶以上に長い道のりだった。結局車に帰り着いたのは16:02であり、私は体を冷やしすぎたせいか、悪寒を感じてきた。風邪の初期症状である。しかし鶴巻温泉で一風呂浴びて横浜中華街で運転しない自分だけが紹興酒を飲んで居るうちに悪寒は薄れていった。
 自宅に帰り着いたのは22:05で、直ぐに布団にくるまって寝たので風邪をこじらせる前に逃げ切ることが出来たようだ。
大室山 1,588m 神奈川県相模原市
2008年01月02日登山:単独
 
 初日の出を見に行った木更津港の中之島大橋から見た富士山がとても綺麗だったので、富士を見るための登山を無性に行いたくなり、西丹沢の最高峰である大室山に登ろうと考えたのが元旦の夕方であった。その夜見た初夢が富士山噴火と山体崩壊による甲府盆地の壊滅という不吉なものであったが、午前5時に起床して未明のアクアラインを渡り西丹沢の用木沢出合を目指す。
 
 山北町の国道沿いにある唯一のコンビニで食料品を買い込み用木沢出合に付いたのは午前7時15分であった。車の車外温度計は-3℃を示している。駐車スペースに他の車もなく、寒く静かな山歩きが楽しめそうだ。
 準備を済ませ、7:26から東海自然歩道を犬越路目指して登り始める。昨年の台風で一部荒廃してはいるが基本的には整備水準の高い登山道を歩き、8:30に峠に到着する。これ以北の自然歩道は崩壊のため通行止めになっていた。神ノ川からで企画していなくて良かったと安心する。峠の避難小屋は非常に綺麗で、水さえ有れば文句無い場所である。この少し先でこの日唯一の登山者にすれ違った。前日は加入道山の避難小屋に泊まったそうだ。
 稜線を少し登った1169ピークで突然富士山が目前に広がる。これは期待できそうだと標高を稼いで行くが、樹木が視界の邪魔になる。冬枯れの時期だからまだ良いが、夏はストレスが多そうだ。
 県境尾根の山頂分岐に出ると道志村から吹き上げる風が冷たく、首に架けているタオルの汗が凍り付く。直ぐにレインウエアの上着を羽織って大室山山頂まで歩く。9:56に到着した山頂も樹林の中で展望はなかった。
 稜線を加入道山に歩く途中で1箇所だけ展望が開ける場所があった。富士山はもちろん、相模湾の真鶴半島や南アルプスの展望も良い。来て良かったなと思う一瞬である。この先も、と期待させたが11:03に到着した加入道山山頂も樹木の中だった。
 山頂でコンビニで買った昼飯を食べ大休止する。樹林の中は展望は無いが、このように寒い日は無風が有り難い。雪も僅かに残っているだけで、持ってきた軽アイゼンを使う場所は無さそうだ。
 食事後は全て下りだけである。白石峠を経て用木沢への下りになると日当たりの良い場所は霜柱が溶けた泥状になって滑り、歩きにくい。谷深くまで降りると凍り付いており却って快適だ。道の両側に霜柱の壁が出来たり、冬の道も悪くない。多くの砂防ダムを抜けて車に帰り着いたのは12:41だった。冷たくなった体を中川温泉で癒して今年の登り始めと温泉始めが終わった。
余市岳 1,488m 北海道赤井川村
2008年04月23日登山:K藤と2人
 
 ニセコで黙々と建設作業をしているK藤家の状況を見に行くついでに、スキー登山訓練を兼ねて登ってきた。昨年の浄土山の北アルプスでは快適な陽気だったが、北海道は寒いだろうという思いは杞憂に過ぎず、旭川で観測史上尤も早い桜の開花を迎えるような高温の中の登山となった。
 
 22日に飛行機で北海道に入り、札幌国際スキー場で重い雪に足慣らしをしてからK藤家に行き泊まる。
 23日の朝、K藤家から見るニセコも雪は少なく、スキー場は東山も比羅夫も全て封鎖になっている。キロロスキー場のゴンドラも運行しているか心配だったが、殆どのコースが閉鎖の中でダイナミックコースだけが滑れる状況で頑張っていた。片道千円を払い、ゴンドラで山頂駅に到着したのが9:16であった。
 ここから山頂の標高差は303mに過ぎない。この程度が運動不足の身体には丁度良い。登山届けを記入してスタートする。
 しばらくほぼ平らな稜線を大きく左に回り込むように進んでいく。私は山スキーだから良いがK藤はボードを担いでスノーシューである。帰りも長く歩くことを覚悟しなければならない。気温は高いが稜線には風が吹き、歩きには快適な気温である。ただ、日焼けをしそうなのでタオルを被って歩くことにした。
 10:27に1239mの鞍部にシールを付けたまま滑り降りてから唯一の急勾配の登りに取り掛かる。板のままジグザグに高度を稼ぐが尾根が狭くターン回数が増えて疲れる。スノーシューのK藤は快適に登っていくので大きく遅れを取ってしまう。この200m弱の標高差を越えればまた平坦な雪面である。
 山頂が間近になったところで雪が消え這松が現れ進行を阻む。探し回って見つけた夏道は土も出て既にスキー歩行が困難であった。板をデポして少し登ると11:29に見晴らしの良い場所に着く。しかしそこには「山頂まで300m」の看板。その先は這松と雪で大変歩きにくく、山頂までの標高差も3m程度の平坦部に居るのだからと、今回の山頂は此処で良いことにする。ザックから食料を出して少し早い昼食休憩とする。
 12時を回った頃に出発し、板の置いてある場所まで戻ればシールを外して滑走を始める。苦労した急勾配も快適に滑り降りる。しかし所詮標高差200m弱であるから直ぐに登り返しになる。
 再度シールを付け、長い平坦部を歩き始める。K藤もボードを担ぎ黙々と進んでいく。幾分下りになったところでシールを外し、スケーティングとストックワークで滑って行くが距離の長さにバテバテになる。それでも歩きのK藤より早くゴンドラ山頂駅に戻り付き、登山届けに「済」と記入して13:22に山岳の部を終了する。
 後はシャーベット状に重くなったキロロスキー場のゲレンデを滑り降りて車に帰り、バブルな建築物のキロロ温泉で汗を流しニセコのK藤家に帰り建築途中の家で打ち上げをし、24日の飛行機で帰宅した。GW前の平日3日間を使った旅であった。 
No53 .2007/11-2008/04    ←No52No54→
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