和名倉山 2,036m 埼玉県秩父市
2008年05月27日登山:単独(同宿の人と同行)
 
 天候の悪い日が続いている中で降水確率10%に心が躍り、月曜日の午前中の仕事の最中に宿を予約し、早めに仕事を切り上げて山梨県甲州市(旧塩山市)に向かった。日没後に辿り着いた登山口に建つ民宿みはらしは気持ちよい山里の中で、食事も山菜が中心。夕食にビールを1本飲んで料金は5,600円である。他に愛知県の男性が同宿となった。この日は9時前に就寝する。
 
 27日は3:50に起床し、準備を整え4:15より登山を開始する。ガイド本によるコースタイムでは休まず歩いても9時間20分を要する長い行程で有る上、夕方6時には木更津で会合に出席しなければならないため夜明け前の行動開始である。若干の寒さが急登する身には気持ち良い。東京都水源林の中の七ツ岩尾根を登っているうちに日が射し始める。新緑が美しい。振り返ると富士山も木々の間に顔を出し始める。雲一つない快晴である。
 5:31に牛王院平に到着。山ノ神土分岐を過ぎると埼玉県に入って道は細くなり縦走路の雰囲気を高めていく。ちなみに和名倉山は登山口である山梨県側では白石山と呼ばれているが、所在地である埼玉側名称をこのHPでは使用する。
 6:00に水場で500mmボトル3本を満タンにして先へ進むとリンノ峰の手前で視界が大きく開け、富士山が良く見える。帰路にはガスが上がって見えなくなる可能性も有ったので朝食を取りながら富士観賞をしていると15分遅く民宿を出てきた愛知の人に抜かれる。
 この時期に和名倉山を選んだのは日照時間が長いことと同時にシャクナゲが期待できるからである。しかし西仙波周辺では多くが蕾のままで、若干早かったようである。花は今一だったが浅間山や南アルプスの展望を楽しめる明るい縦走路に満足して進むと川又分岐で愛知の人に追いつく。分岐が不明だとガイドに書いてあるのでここから一緒に進む。すると最近作成した看板が木に巻いてある。明瞭で良いが、出来れば分岐標を立てて貰いたい。
 山頂に向かう道は周辺に踏み跡も多くて迷いやすそうだがビニールテープ等の目印が多く、気を付ければ大丈夫だ。辿り着いた山頂は密集する木立の中だった。時間はまだ8:08で大幅に行程を短縮している。遠かった頂きに敬意を払ってビールを飲み、8:35に帰路に付く。
 まだ早い時間なのでガスが上がることもなく、展望は確保されている。特に富士山は早朝よりも綺麗に見えており、正面に見ながらの気持ち良い縦走路を進む。
 登山口から山頂までの直線距離が7.5kmも有る長丁場の帰路なので、繰り返す起伏が流石に足に堪えるようになってくる頃、最後の富士展望場であるリンノ峰脇へ10:30に到着する。ここで小休止を入れ、さらに水場でも休みを入れる。それでも七ツ岩尾根の下りでは足の小指が痛くなり愛知の人には先に行って下さい、と別れてマイペースでゆっくり下る。民宿の駐車場に帰り着いたのは11:55であった。7:40で往復したことになる。夕方の会合まで時間が取れたので大菩薩の湯に浸かってから中央高速で帰路に付いた。
有明山 2,268m 長野県安曇野市
2008年06月24日登山:単独
 
 梅雨らしい雨が続く中、24日の降水確率だけが低くなってきた。ニッコウキスゲの咲く雄国沼から猫魔岳に行きたかったが福島県の降水確率40%に対して長野県が20%であった。幸い仕事の調整は可能なのでアルプスを見に行く事にした。23日は昼から雨の中央道を走り豊科ICで居り、山に向かう。目の前に有明山が聳えていた。この夜は有明荘で、ゆっくり温泉に浸かって泊まる。
 
 24日の4:40に起床すると空は青空である。宿のインターネット天気情報でも終日太陽マークである。しかし山にはたっぷり水を含んでいるので直ぐに雲が出てくると思われるから早く登るに限る。
 宿を出て車で荷物を整え、5:17に登山を開始する。私の持っている1995年の登山地図では有明荘から有明山まで標高差874mのコースタイムが5時間にもなっており、様々なHPを参照にしても崖を登っているかのような急傾斜のように書かれている。そんな事もあり不安に思いながらの登山開始であった。
 事前にネットで調べた情報ではスタートから笹が深いはずであったが切り開かれていたし、急傾斜と行っても荒沢岳の前ーの岩場より遙かに危険度は少なく、道標やマークも多く迷うような山ではない。確かに登山道はジグザグに切られず、真っ直ぐ登るパターンが多いがロープの設置もあり難しくない。前日の雨でも道はぬかってなく歩きやすい。木立越しに残雪を戴く稜線が見えるのも気持ちがよい。順調に高度を上げて6:12に4合目に到着して一休み。ここからトラバース気味に進む。
 雨の結果、シャクナゲの花が落ちてしまっていたが、5合目辺りに水場が出来ていた。7:26に8合目を通過し、稜線に出て、7:50に北岳に到着した。登りに要した時間は2:33であった。途中にお花畑のような物は無く、森林限界以下の高度の山なので樹林を楽しむだけである。
 既に東側は雲で視界が無い。西側の燕から大天井に掛けての稜線は何とか見えているが、北も南も雲に被われ、延長線上の餓鬼岳や常念岳は駄目だった。やはり4時から昇るべきだったかと悔やんでみても後の祭りである。
 樹林の中や岩場を進み開けた奥社まで進む。ここの展望も良かったが、三角点のある、山名板の無いピークまで戻り、ビールを飲んで朝食を取る。言葉通り「朝飯前」の山であった。
 朝食中にガスが昇って来て展望が無くなり、8:47に山頂を後にする。急勾配の下りもロープが有るので軍手を付けて降下訓練のように楽に降りれる。前回の和名倉山のように足が痛くなることもない。単純に考えれば標高差900m以下の山なのだ。地図のコースタイムは中房から合戦尾根を昇り槍から剣まで縦走して早月尾根を降りて富山に抜ける重装備の人が藪山を歩く時間だったのだろうと勝手に想像する。
 結局車に帰り着いたのは10:43で下山に要した時間は1:56であった。誰とも会わない一人きりの山であった。
 ザックや登山靴をトランクにしまって着替えを出し、有明荘の露天風呂に向かう。フロントの人達に早いですねと言われるが、登山道を整備してくれている地元の人達のお陰ですと答える。湯船で筋肉を揉みほぐしてもまだ午前中だ。今回は夕方の会合もないが、早めに帰ってHPの更新を行うことにした。 
八海山 1,778m 新潟県南魚沼市
2008年07月06日登山:F島と2人
 
 F島から山小屋で酒を飲むのんびり登山をしませんかという誘いを受けた。ソウルから帰国した翌日の登山計画であるが初日の行動時間は1時間程度と短く、対象の山も未踏の八海山なので喜んで申し出を受けた。
 彼とは昨年11月の根本山以来となるが、最近は途中集合が続いていたので太田市の自宅に訪れるのは昨年5月の袈裟丸以来となる。庭も綺麗に完成していた。
 サラリーマンの日程に合わせ7月5〜6日という土日の山であるが、北関東自動車道が4月に近くまで開通していたので移動も容易である。塩沢で降りて中野家でへぎそばを食べ、登山口に着いたのは午後1時過ぎであった。
 車から出ると気温も湿度もやたら高い。当初から安易にロープウエイを使って標高を上げる計画であったが、逆にこの気温では800mの標高差を登るだけでバテる事は間違いない。13:40のロープウエイで標高1,150mまで一気に登って歩行開始である。
 この日の宿泊は6合目に有る避難小屋の女人堂であり、コースタイムも80分に過ぎないのであるが、久々に寝具や火器、3食以上の食料などを担いだので荷物の重さに音を上げる。休憩を入れながらも14:53に小屋に着く。ここまでの地図上のタイムはだいぶ甘い。
 残念ながら展望もないが、さっそく、乾杯のビールを明けた後、岩の原ワインロゼと麒麟山純米酒を飲む。宴会のスタートが午後3時なのでスローペースで進めても夕方には瓶2本が空になってしまう。もう4合を持ってくるべきだったかと思っても後の祭りである。諦めて日が沈んだら早々とシュラフに入るが、暑くて目が覚める。午前2時頃まで寝袋を腹掛けにして寝ていた。
 
 6日は午前4時半に目が覚め外に出る。晴れてはいるが水蒸気量が多く視界は良くない。昨日のうちに約5分離れた祓川の水場に補給に行かなくても、まだ2リットルは残っている水を使い朝食にインスタントラーメンを食べる。その後、必要品だけを詰めたアタックザックを背負って5:17より登山を開始する。水場を過ぎると急坂が続き、5:51に薬師岳に到着する。目の前に聳える岩峰を前に『稜線でなく、迂回路を行こう』と決める。F島は十年以上前に稜線を縦走した記憶で、大したこと無いですよと言うが信じない事にした。
 千本檜小屋を6:05に出発して一般コースに指定するのはどうかと思うスリリングな迂回路を抜けて6:45に反対側の分岐に到着する。F島はせめて八海山の岩峰の頂である大日岳に登ろうと言うので向かうが、その高度感に無理をするのは辞めようと・・・つまり登らずに下で待った。
 そこから最高峰の入道岳に進み始めると雲が沸き上がり、見る見る視界が無くなってくる。入道岳(現地には凡ケ岳という碑が有る)へ7:18に到着する。ビールを飲んで中岳などの展望を期待するが晴れてこない。
 諦めて迂回路を戻り、女人堂に置いてきた荷物を回収してロープウエイに着いたのが10:25だった。
 下界に降りると暑く、清津峡温泉を経由して帰宅した。
月山(2回目) 1,984m 山形県鶴岡市
2008年7月21日登山:西山月山講中の8人と先達S氏
 
 日本人の登山に対する原点は山岳信仰に有り、江戸時代末期頃から富士講とか庚申講とかが盛んに成ってきたが、私の住む木更津周辺では月山講が賑わったようである。現在では殆どの講が休止に成っている中で地元の西山区では毎年出羽三山詣を行っている。個人的に宗教的登山を経験するのも重要だと思っていた。
 昨年初めてお誘いの言葉を受けて同行したのだが風雨で登山を断念してきた。今年はそのリベンジも兼ねて2年連続での参加をしてきたのである。なお、月山は10年前のGWにスキー登山をしている。
 
 20日の朝5:00に西山のお堂に集合し御神酒を飲んで出発。私を含め11名で中型バスを借りてのツアーである。午後2時半に羽黒山入口にある宿坊神林に到着し、石段を登って羽黒山神社でお払いを受ける。夜も宿坊で祝詞をあげ、直会をするなど、神道モードに突入していく。
 
 21日は朝5時に起床し朝食の後バスで八合目まで移動する。時々青空も見える天候で、鳥海山などの展望は難しいが、悪くない状況である。準備を終え駐車場を出発したのは6:55であった。
 直ぐに中之宮に到着し、ここでバスで湯殿山に向かう3名と別れて西山講中の8名と宿坊の先達のSさんで山駆けを開始する。歩行ペースは最高齢者に合わせて無理なく進む。涼しい風の中、高層湿原や高山植物の写真を撮りながら散歩のように歩くのも気持ちがよい。すれ違う他の講中の方々は行着を身につけているが当方では先達以外は汗で汚れることを防止するためザックに収納して登っている。杖だけが月山講を示してくれている。九合目も近づくと雪渓が現れシャクナゲの花も現れる。最近3ヶ月はシャクナゲ登山だな等と個人的に思う。Sさんは『月山には150種から300種の高山植物がある』と説明してくれるが、確かにこの広く豊富なお花畑は感動に値する素晴らしい山である。
 九合目の小屋にコースタイムの倍の時間を掛けて到着する。売店も多くの人で賑わっている。短期に膨大な登山者が訪れる山だけにバイオトイレが必要となるが、その負担が重いらしい。また登山道の浸食防止のため石敷や木道の整備は素晴らしい出来であるが今後の維持が大変だろうと推察する。
 コースタイム1:45の行程に3:50を費やして10:45に山頂神社に到着。なお、山頂のご神体は撮影禁止なので山頂の写真が撮れない山である。講としては梵天を作り礼拝を行う。その後は杖に焼印と行着に朱印(各300円)を押して山頂小屋で昼食を取る。主食は宿坊から持参した弁当であるが、小屋では麩とナメコの味噌汁を頂く。3連休の最終日なので混雑しているが、昔は神社参拝でも1時間待ちも有ったが最近は人が少なくなったとSさんから聞く。宿坊や山の経営も厳しくなっているとの話であり、それは理解できるが日本の山岳の中では特異な山であることは間違えない。
 食事を終え、11:38に山頂小屋を出発し湯殿山に向かい下山を開始する。岩場の急な下り坂に、10年前はこんな斜面をスキー板で登ったのかと我ながら感心する。目の間に広がる空間には雪渓が残り、スキーをしている人々も見える。相変わらず周辺にはニッコウキスゲが咲き乱れている。浄土をイメージさせるには良い場所であろう。
 姥ヶ岳分岐を過ぎ施薬小屋に向かって進むと目前にスッキリした姿の湯殿山が聳える。昔は山頂を踏んでから下山したらしいが今では修行で使われるだけのようである。同行した西山講中の人々は登山道が川になっていないと驚く。例年7月15日の羽黒山神社花祭に合わせて企画するため梅雨明け前の大雨に当たっているとの事で、ここ10年にない良い天気らしい。良い天気を求めて山に行く私には考えにくい苦労をされている。
 雪田の跡に咲く水芭蕉を見て、冷たい岩清水を飲んで小屋を過ぎれば月光坂の鉄梯子に到着する。最上段の長い梯子は木更津市長須賀講が寄付した物と聞くと信仰心は根強いなと思う。急坂を下りきればゴールの湯殿山神社で、14:44に到着する。
 迂回した3名も待っており、全員で三山目となる祈祷を行い、写真禁止のご神体を拝んでから連絡バスで駐車場に着き長い山駆けが終わった。最近の登山の中で最も行動時間の長い山行になった。この日の宿泊は蔵王温泉である。バスに乗る前に大鳥居横の売店で生ビールを飲んだことは言うまでもない。 
No54 .2008/05-2008/07    ←No53No55→
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