金剛堂山 1,650m 富山県南礪市
2009年04月30日登山:単独
 
 政府が緊急経済対策として地方の高速道路は週末千円という制度を打ち出した。その心意気に賛同して経済活性化に役に立とうと日本二百名山で北陸に残る二山の連覇を計画した。天気は前半が良いと放送されたていたが連休の初日になる29日は午後に会議が入っているのでそれを終えてからの出発となる。夜中に走って車中泊で登ると考えると笈ケ岳より行程が短い金剛堂山が選ばれる。
 この山の最寄りICは東海北陸道の五箇山ICであり、そこまでの距離をアクアライン木更津金田出発で検索すると北陸道経由で524.5km、東名経由でも540.8kmと差が少ないことが解り運転の楽な東名ルートで向かうことにした。木更津金田からは現金では14,000円必要のところがETC利用で2,650円で済むのは感動である。
 
 ともあれ29日の午後4時半に自宅を出ていきなりアクアラインの渋滞に巻き込まれたが横浜町田以降は順調に流れ23:54に五箇山ICを降りこの夜は道の駅たいらで車中泊。夜には星が綺麗で程良く冷え込んでくれた。
 翌朝5時に起床して峠を越えて利賀に入り登山口を目指す。夜明け前の空に白い金剛堂山が冴えていた。スキー場入口から砂利道になった林道を少し進むと駐車場のある登山口に着く。先客は誰も居なかった。山服に着替えてから6:10に出発する。百瀬川を仮橋で渡り小さな沢を渡ると直ぐに尾根道になる。快適な斜度の道を進み標高1200m地点を越えたところでこれ以降は全て雪面と思いアイゼンとスパッツを装着する。しかし、1,346ピークと1,451ピークの下りは南斜面のため雪が無かった。つまり下山時には登り返しは夏道だと解ってしまった。ブナの林も美しく、人形山から白山方面の展望も良好な中、水溜まりも全て氷結してアイゼンが素晴らしく効き、快適な登山を満喫しながら8:34に山頂に到着する。北アルプスから御嶽まで見渡せているがうっすらと霞んでいる。富山平野は解るが日本海は解らないような展望の中で前日に東名三谷PAのローソンで買った朝食を取る。言葉通り朝飯前の登山だった。
 誰も上がって来ないので9:00に下山を始める。下りはアイゼンを付けずグリセードで速度を上げる。4人の単独行者とすれ違いながら10:38に駐車場に着き下山を完了する。想定以上の早さであった。近くにある天竺温泉で汗を流し利賀名物の蕎麦を食べ高速を使わずに石川県中宮温泉を目指した。直前のビジターセンターで情報を入手しても旅館には午後3時半には着いてしまった。早速一風呂を浴びて寝不足解消に昼寝をするのだった。
笈ケ岳 1,841m 石川県白山市
2009年05月01日登山:単独
 
 前日に下見した登山口には「遭難事故多発・登山危険」等の注意喚起看板が溢れており、事前にHP等で入手した情報でもかなりの長時間を要する事を覚悟していたので前夜は午後9時前に就寝した。すると午前2時には目が覚めてしまい、仕方ないので朝(?)風呂に行き布団に入るがよく眠れない。そこで明るくなって来たこともあり4:50に宿を出てビジターセンターまで移動し5:14より登山を開始する。
 既に3台の車が停まっていたので先行者が居ると想定され冬瓜平のルートは苦労しなそうだと期待出来る。駐車場を出て20分ほど歩くと野猿公園に着く。前夜に旅館でここからの登り口の情報を得ていたが、沢の反対側の崖の下にハッキリと道が見えており迷う事はない。この先水場は無いと考え、水を満タンにして急坂との戦いを開始する。こんな道を降りるのは嫌だと思いつつ喘ぎながらひたすら登り、1,250mピークを越えると藪の細尾根にステージが変わる。勾配は緩くなり冬瓜山が近く見えても笈ケ岳が見えないので道のりが遠く感じられる。
 標高1,450mを越えると雪面に成ったのでアイゼンを着けて雪面の歩行モードにステージが変わる。ここまでに2:20を要しているが残る標高差は400m以下だし稜線を行かずにトラバースするから楽に山頂に着くだろうと思っていた。最初の内は予定通り進んでいたが8時を回ると気温が上がり雪が腐り始めた。重めの体重が弱点になり雪面の踏み抜きが増え始め効率は落ちるし体力もどんどん奪われる。先行者がシリタカ山の先にある標高1,640mの肩までルートを付けていなければさらに苦労したであろう。
 幕営1人を含む7人と擦れ違い10:55に山頂に到着。往路で5:41も要してしまった。山頂に着いた時には他に4名が居たが3人は大笠山から北上中で、1人は三方岩からの南下をしており、全員がテントや食料などを含んだ大きなザックであった。4人が間もなく出発したが、日帰りの軽装で苦労している自分を小さく思いながら、それでも山頂ビールで達成感を満喫するのだった。
 復路も苦労すると解り簡単に昼食を済ませて11:25に出発し下山を始める。だが直ぐに雪を踏み抜き右足脹ら脛を攣ってしまう。その後も人の踏み跡をなぞっても雪を踏み抜き、登り返しはわざわざステップを作り直すなどの苦労をしているので昨日の金剛堂山のように下山速度が上がらない。快晴で日差しも強く目も痛くなって来る中で雪の世界を抜けたのが13:55であった。雪上に6:21も居たことになる。アイゼンとスパッツを外しながら20分以上の休止を取る。既に背筋や首筋まで攣りそうにヒクヒクしてきた。これで急坂に望むのかとだいぶ心配になる。
 しかし踏み抜きが無いことで身体が本調子を取り戻したのか急坂も普通にこなし、予想以上に早くジライ谷まで降りてくる。朝より水量が増えている沢に片足を水没させて渡った所で休憩を取った。フラフラと遊歩道を歩いていると道の真ん中にマムシが居たがさっと通り過ぎたら向こうも無視してくれたので助かった。無事に山から降りても蛇に噛まれたのでは洒落にならない所だった。結局車に帰り着いたのは16:09で、10:55を要する長い山行に成ってしまった。
 
 下山した駐車場では明日の登山のために多くの人が車中泊の準備をしていた。情報交換をしてから車に乗りクラッチを切ったところで左足が攣る。欠伸をすると首筋が攣る。新中宮まで走り温泉で身体を解すが、この様子では帰宅に向けた長距離運転はとても無理だと思い内灘町の温泉宿を素泊まりで予約した。その後、金沢名物ハントンライスを「キッチンすぎの実」で食べてから宿に着いたのは20時になっていた。22時を過ぎてから雪目症状が出はじめ、朝まで目が痛くて眠れずに大変だった。初めての経験である。今更であるが雪山のサングラスは必需品だと実感するなど、様々に思い出の多い山になった。
焼石岳 1,548m 岩手県奥州市
2009年06月20日登山:単独
 
 土曜日は東日本で梅雨の中に入ると天気予報が伝えてきた。4年前に和賀岳で聞いた花畑を見たくなりネットで奥州市の降水確率を調べると10%で昼間は晴の見込みである。中沼登山口は昨年の地震のため通行止めが続いており行程の長いツブ沼口になるが往復8時間も有れば可能と知る。さらに金曜日の仕事が終わるのが夜遅くになるため途中での仮眠所もネットで探すと24時間営業の温泉サウナも発見する。これでいつもの荷物を持てば登山準備は終了だ。
 
 19日の21:39に自宅を出発し、東北道大和ICで降りて『三本木の湯』には日付も変わった深夜2:10に到着する。風呂でサッと汗を流して仮眠室で寝る。朝6:35に目を覚まし朝風呂をして外にでれば霧雨。それでも古川ICから高速に乗り水沢ICで降り、胆沢ダムの工事現場を通り抜け標高480mのツブ沼口に付いたときには曇だった。既に50台以上の自動車が駐車場に停まっていた。
 荷物を整理して9:02より登山を開始する。涼しいし水場も多いため水は500mmのペットボトル2本に絞り軽装で軽快に進む。金山沢川を9:45に渡り、石沼には10:22に到着した。宮城岩手内陸地震の影響で登山道に亀裂が入っており落ちて涸れた木も見える。
 雪渓の残る中沼分岐を過ぎ周辺に水芭蕉が増えてくる中で銀明水には11:15に到着する。ここまでもキヌガサソウやシラネアオイを始め多くの花が迎えてくれて気持ちよい。冷たい水を飲みながら寝不足の疲れを取るように大休止を入れる。周囲はガスの中だが下山してきた人に上は晴れていると言われ元気が蘇る。
 銀明水から30分も登らない内に空に青い部分が見えてきて、木道に出ると稜線も見え始める。爽やかな風が吹く中で姥石平へ12:13に到着する。良い風景なのだが、期待していた一面のハクサンイチゲの風景では無かった。6月第3週でも少し遅かったようである。残雪の残る泉水沼を越え展望が開けて行く中で12:37に沢山の人が居る山頂に到着し、古川のコンビニで買ってきた昼食を取り、満足感に満ちあふれてうたた寝する。
 時計を見ると13時を回ったので荷物を片付け下山を始める。雲も下がり登山途中にガスの中であった水芭蕉群落も光を浴びて気持ちがよい。13:58に付いた銀明水でボトル一杯に水を詰め曇り始めた道を黙々と歩き続け、何人もの人を抜いていく。ぬかるんだ道で靴をドロドロにして駐車場に着いたのは15:55で、所要時間6:53の戦いであった。靴だけ履き替えて車を運転し、ダム工事現場の展望台を楽しんでから焼石岳温泉「ひめかゆ」で汗を流して着替えを済ませ、さらに夏油温泉に回って露天風呂を梯子する。ここまでの道が長くても、前評判に相応しい良い温泉である事を確認し満足する。
 
 水沢市内に戻りガソリンスタンドで教えて貰った焼肉ヤマトへ冷麺を食べに行くと、この日から『冷麺フェア』で半額以下の350円で食べられると知り、ついカルビなども注文してしまう。夕食に満足しながら東北道に乗り水沢〜木更津の530kmを一気に走って自宅に帰り着いたのは日付も21日となった1:35の事であった。
 所要時間27:56の焼石岳日帰旅は、約7時間の登山のため往復14時間以上も運転し、3箇所の温泉にも入ってきたので高密度な時間の中にあり、削られていったのは睡眠時間である。日曜日は10時まで寝てしまったが、それでも寝たのが3時を回っていたため、睡眠時間は7時間だけだった。高速代はETC利用で8,160円であった。現金精算すると 26,100円もかかるところが17,940円も安く上がったわけである。でも岩手県は日帰り圏内と思うことは少し無理があると思った。
佐武流山 2,192m 長野県栄村
2009年06月27日登山:F島と2人
 
 全国的に晴だと天気予報が伝えるので焼石岳から1週間後の土曜日に、昨年の八海山以来となるF島と登山をした。佐武流山は道が無い山と言われていた(今でも1/25,000地図には未記入)が、数年前に秋山郷から道が切り開かれている。しかし行程が長く厳しいと聞いているので前日の内に秋山郷に入り、時間短縮のため林道部分にはMTBを使用する計画で臨んだ。
 
 前泊した和山温泉佐久間荘を4:00に起床し車で林道前ゲートまで行き、道幅の広い所に車を停める。見事に晴れ上がり鳥甲山も朝焼けに染まっている。荷物と自転車の準備を終えて出発したのは5:05であった。
 林道は最初の数kmこそ平坦だったが勾配が急になる所で早くも足の筋肉に疲労が溜まり息が切れる。登山の前に体力を失いながら6:08に檜俣川下降点に付く。自転車を道端に置いて高度差約130mを降り川に着くと連日晴れているため水量が少なく巧く石の上を渡れる。ここで水を満タンにし物思平への急登に入る。道は明確であるがワルサ峰が近づいてくると根が這い回り歩きにくい。4箇所の小ピークを越え苗場から赤倉山を越えてくる縦走路との分岐に付いたのが9:14であった。ここに「水場10分」の標識が有る(水が出ているか確認していない)。大休止を終え縦走路を進むと苗場や仙ノ倉等の展望が開けてくるが遠くの山は霞んでしまい越後三山などは全く解らない。どんどん高くなる気温に疲れが溜まり、水を1リットル消費したところで10:16に山頂に到着する。
 ビールの乾杯をしていると後続の人が到着する。聞けば5:40分に車を出てきたという。自転車使用の我々より30分も短縮されている。その上疲れの素振りも見せず赤倉も往復して帰ろうと言い少しの休みで復路に付く。やはり凄い人が来る山だと感心しながら我々は早めの昼食を取り10:58から下山を開始する。
 山頂の少し下ですれ違った人は7:00過ぎに出発したと言い、ワルサ峰手前ですれ違った人は9:00だと言う。F島に「今日この山に入った5人の中で我々が最も遅いのではないか」と呟く。休みは多めに取っているが、決して遅いペースでは無いはずなのに、これが佐武流山に来る人達なのだろう。「すれ違った人達が山頂を折り返して抜かれたらショックですね」とF島も言う。同感であったが、そのような事態だけは避けられた。
 下山路ではシャクナゲや良く解らないキノコの写真を撮る以外には大きな休みを入れず檜俣川に13:18に到着する。気温も高くなり汗だくに成った顔や頭を冷たい水で洗い、水も沢山飲んで大休止を取る。充分休んだつもりだったが林道への登り返しが辛かった。
 林道に出て少しだけの登り坂をMTBを押して歩き、坂のピークから自転車にまたがり駆け下る。林道も結構荒れているので速度を上げられないが、ブレーキワークだけで下山が出来るのは快適である。ゲートを越え車に帰り着いたのは14:18で、林道に要した時間は28分間と一気に時間短縮して、所要時間9:13の戦いを終えた。
 MTBやザックを車に収納し、サンダルに履き替えて上ノ原温泉まで運転し汗を流す。鳥甲山が正面に見える露天風呂の有るこの温泉が累計750湯の記念温泉になった。湯から上がり昨日登山カードを記入した民宿に無事下山したことを電話すると温泉に入っていけばという有り難いお誘いもいただいたが、湯から上がったばかりなので辞退して帰路に付いた。
No57 .2009/4-2009/6    ←No56No58→
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