秋休東北ドライブ 2013.9.29〜2013.10.06 ホンダフィットシャトルHB
▼30日  仕事に一区切りを付けて1週間の休みを取る計画を立てた。前回の「連休三陸ドライブ」で行けなかった北東北も含めて、5ヶ月ぶりに東北へ向かう事にし、最初は前回に山頂まで行けなかった浅草岳に登山する事とした。
 出発は29日の夜で、その日は入広瀬の道の駅で車中泊する。駐車場に着いたのは日付が変わろうとする頃で、空には天の川が横たわる綺麗な快晴の夜だった。
 
 30日は5時前に起床すると高曇りである。それでも浅草岳の山頂に向かうと晴れ始め、快適な登山を満喫して昼前に下山した。前回は雪で超えられなかった六十里越で福島県に抜け、田子倉駅から浅草岳を見上げ、只見線に沿ったドライブを続け、午後2時過ぎに着いた会津若松で「カレー焼きそば」を遅い昼食として食べる。喜多方から米沢を経て山形市に入り、携帯から予約したホテルに泊まる、目前の居酒屋で「芋煮」を食べながら日本酒を飲むが、初日の疲れもあって早めにホテルに帰って眠りに着いた。
▼1日  山形のホテルを8時過ぎに出ると台風22号の影響も少なく、新庄では鳥海山も顔を出すなど天気が良い。前夜のうちに太平山の登山を諦め早起きしなかったことを後悔しながら前日の山用食を車内で朝食にしつつ国道13号線を北上する。横手で最初の給油を行い、秋田市には11時近くに到着した。高速を使えば1時間は短縮できたかと思う。
 太平山の山頂が見えているが、往復4時間を越える行程を考えると若干時間不足である。仕方ないので秋田B級グルメの「かやき」でも食べようかと携帯で探すと商工会議所の一覧表に「秋田温泉」の名前が見えたので、食事後に一風呂浴びて太平山諦めをつけようとナビでセットして向かう。到着して入浴券を購入して入る「前はかやきをやっていたが今はやってない」と冷たい言葉である。仕方が無いのでとりあえず風呂を浴びてから黙々と携帯を検索し、何とか見つけた食堂で遅い昼にあり付いた。
 その後、日本百名城の一つである久保田城を散策し、男鹿半島の入り口で「しょっつる焼きそば」を食べ、全てが海面下にあるという大潟富士と北緯40度と東経140度の会交点を見るために大潟村に入る。大陸的な風景の中を走り回り、未舗装路で車が埃だらけになったまま夕暮れを向かえ、大潟温泉の展望浴場から西に沈む夕日を見送った。
 翌日の天気予報が悪くないので十和田山に登ろうと夜の道を大館市まで移動して、駅前の看板からホテルに電話してみると案外安価に泊まれる事がわかり車中泊の計画をやめて暖かなベッドで寝る事にした。
▼2日  大館のホテルを朝6時半に出発。霧の中だが空は晴れている模様なので安心し、ホテルの近くの牛丼チェーンで朝食をとって鹿角に向かうと青空も見えてくる。期待を高めながら十和田湖畔に着くと山には雲がかかり、そのうえ雲がだんだん空を覆い始める。30分ほど様子を見るが湖を見下ろす展望は得られそうも無い。早々に諦めて黒石方面に向かうと途中から青空が広がり岩木山まで見え始める。今回は登山運に見放されたと思い、時間調整に温湯温泉の共同浴場に入ってから田舎館の道の駅に行き村役場会場との共通券を購入しウルトラマンの「田んぼアート」を楽しむ。
 ついで村役場会場でも大作を楽しみ、駐車場にある足湯を楽しんでから鶴田町にある日本一長い木橋の「鶴の舞橋」を経て、観光経済新聞の選ぶ「にっぽんの温泉100選」に選ばれた稲垣温泉に足を向ける。カーナビで一般道優先としつつ、勝手に広域農道を読み取って自在に走っていると、昼食を取る店も土産の津軽りんごを販売する売店も発見できず、空腹のまま温泉に着き、何が100選に選ばれるだけの魅力があるのだろうかと考えつつ風呂に入る。
 風呂を13:25に上がり、カーナビを尻屋崎でセットすると到着予想時間が19時を回っている。今回の旅の最北端として目標にしていた場所なので、この日は青森に泊まって翌日に行こうかとも考えたが、267kmという距離なら日没前に到着するという自分の時間予想を信じて高速道路を乗り継ぎ、暗く雲が立ち込め風力発電風車が立ち並ぶ下北半島をひたすら北上して「本州最涯地」の碑がある灯台には16:25に到着した。やはりカーナビより正確だと自分の能力に感心する。灯台の周辺に数人居た観光客も帰り支度をしており、私も寒立馬の写真を撮影しているうちに誰も居なくなって、おまけに雨まで降り始めた。
 帰路に太平洋岸を通ると東通原子力発電所の建設中の看板が現れ、工事を終えた職人と思われる車がゾロゾロと出てくる。東電はまだ建設を進めているのだな、と思いながら六ヶ所村も通過するうちに外は真っ暗になってしまった。雨の中の車中泊という気にもならず携帯でホテルを探すとLANが使用できる素泊まり2,800円の宿が見つかり8時過ぎに到着すると予約を入れる。
 雨の中たどり着いたホテルは駐車場が遠く、風呂は供用しか無い宿であったが、屋台村の隣と立地条件は良く、ビニール傘を借りて屋台に出かけ、秋刀魚や日本酒を楽しみ「南部せんべい汁」を〆に食べてきた。 
▼3日  台風22号が温帯低気圧に変わったとはいえ、前日の予報では八戸沖に居るから天気も悪いだろうと朝寝坊していたらとこの日も晴。山は、と西を見ると雲が厚いので登山なしだと思い、当初予定通り日本百名城の「根城」の見学を行ってから三陸沿岸を南下する事とした。
 史跡の整備状況と市街地なのにリスが走り回る環境に感心しながら小一時間の見学を終えてから45号線を南に進み、久慈に入ると県外ナンバーの車や観光バスが目立ち始める。NHKの朝の連続ドラマ「海女ちゃん」の効果だとは思うが、平日なのに道の駅の駐車場入場の列が出来るほどの混雑である。私は離れた第2駐車場に停めて「まめぶ汁」を食べに行き、平日なのに混んでますねと聞くと先月はもっと混んでいたという。すごい事になっていたんだろうなと思いつつ土産も買って久慈を出る。
 三陸で有名な場所で有りながら行った事の無かった北山崎に立ち寄りカモシカと風景に満足したら山田町を目指す。ボランティアに入った町の復興状況を見ることが三陸を走る理由であるが、宮古のような都市部に比べ田老や山田のような町村部の復旧の遅れが目立つ事は悲しい。
 目標にしていた山田町の復興食堂やまだ駅は午後の休業時間に入っていたので後ろ髪を引かれながらも先に進む。宿泊は恒例の気仙沼と考え宿を取っていたが、大船渡に入る前に日が暮れてしまい、陸前高田の一本松は明日再度見に来ることになった。それにしても日没後の陸前高田の暗さは印象的であった。
 夜は復興商店街となじみの店に行く、いつもの展開だが今回は念願の「ふかひれラーメン」に有りつく事が出来た。
▼4日  気仙沼で迎える朝は吉野家が定番であったが今回は解体が進む漁船前のコンビニで軽食を購入し、車中で食べながら陸前高田に戻った。昨夜は暗くて見えなかった大規模な土木現場と化した海岸へ進み復元された一本松に向き合ってから帰路に着く。
 漁船と同様に解体が決まった南三陸防災庁舎も目に焼き付けた後、復興商店街で海鮮が豊富なキラキラ丼を食べる。昼前なのに人が多く、店のマスターに聞くと昨年より忙しいという事である。歌津など観光客が少ない復興商店街も有るが、なんにせよ被災地に人が帰ってきているのは良いことである。
 三陸道の工事も順調に進んでいる事を確認しながら松島まで進み、七ヶ浜町にある多門山に登って松島の風景を楽しんでから仙台に入る。翌朝に友人と南相馬で待ち合わせをしているので、近くで車中泊でもと考えている頃にインターネットカフェが目に入った。たまにはこのような夜も面白そうだと入ったが『宇宙少年』を21巻通読して寝不足になってしまった。
▼5日  朝の5時に名取を出発し7時前に原ノ町駅前のコンビニに到着し、昨夜に木更津を出てきた友人2人と合流し、小高地区に有るボランティアセンターへ行く。大型バス数台を含む多くの人が溢れているセンターで待っていると、ボランティアの受付も行わないで、ラジオでインタビューを受けていた録音を流し始めた。それで相手を間違えたことに気がつき、少し裏側に有る社協が運営する方のボランティアセンターへ移動して活動を行う。近くに2箇所は混乱するし、場所が解り難い。こちらでは38名の参加者が分散して4箇所の個人住宅の片づけを行う事になった。
 私たちは8人で小高神社に近い住宅に行き草刈や荷物の搬出等を行った。津波被害に襲われたわけではないのだが原発事故の関係で依頼主も昼しか帰宅が認められていない住宅なので、進む荒廃が気になっているようだった。三陸沿岸の津波からの復旧と違う難しい問題には汗を流して協力することしか出来なかった。
 雨の作業が終わり、近くの新田川温泉で汗を流して夜は原ノ町の経済活性化に協力した。
▼6日  日曜は帰宅するだけなのだが、国道6号線の迂回路を知りたいと取り合えず南下してみる。予想外に浪江の街中を抜けていわきまで56km地点で通行止め。案内に聞くと原ノ町から川俣・船引を経ていわきに行くのが最短ということなので来た道を引き返す。案内の者も国が迂回路情報に対応してくれないので申し訳ないとすまなそうだった。北茨城の大津で土産を購入し常磐道経由で渋滞する首都高に入り、午後5時に帰宅した。
 ほぼ一週間で2449kmを走ったドライブであった。

ブラッとドライブ memo.14