No.45 九州編(追記)1/6 2/6 3/6 4/6 5/6 6/6  日本を走る
22日目
(1985年8月1日)
の追記
 島根半島を回って松江YHに帰ると電報が届いている。桐生のA野からだ。
 
 
「ミンカツドウニュウ」=民活導入=不合格。
 
 あぁやはり国家公務員T種の壁は高かったか。7日の専門課程の試験時間は3時間半も有ったのに早く飲みたくて1時間で退出したしな、と自分を納得させる。ちなみに合格の場合は「ヒロヒトマツ」=裕仁待つ、を送ってもらうことにしていた。そもそも目標は建設省でなく道路公団だしなと頭を切り替え、これまでの旅の途中で入手した切符や資料と土産の出雲蕎麦(2,000円)を送るため自宅宛の郵便小包整理などを行っているうちに、今度はS井からの速達が到着。
 
 「暑中お見舞い申し上げます。こちらはとても賑やかである。この暑い中で松江まで良く頑張った。(中略)こちらは情報が多量に飛び交っている。その辺をまず説明しよう。
7/29 PM05:00 忍(注:私の事)から手紙が届く。15日の宮崎の宿を頼むという内容。
7/29 PM10:00 忍から電話がかかる。何か用はないかと言っていたがその時までは急用はなかった。
7/29 PM10:07 W辺から電話が有り、今忍の下宿から電話をかけていると言った。予定を変更し明日(7/30)朝方出発し8月4日の六甲山で会えないかとのこと。それと忍は国家公務員試験に受かったと言っていた。電話が行き違ったのを残念がっていた。松江に電話すると言っていた。
7/30 AM 知人の居る旅行会社に行くと先週退社したことを知り、宮崎の宿を取るのを止める。そこから銀行に向かうと柏にいるはずのF原が歩いている。NTTに金を払ってから喫茶店に入り話をすると8月10日に長崎のYHに来ると言っていた。そして15日に宮崎で再度合流し、フェリーで一緒に帰るとか。午後自宅に来てもらいプランを見せて打ち合わせをする予定。柏の下宿に電話を入れてくれと言っている。F原も相手が居るらしく自分だけで計画を立てられないとのこと。
整理すると
@W辺の出発が早くなる
A1次試験は受かっているので2次試験をどうする?
B15日の宿は取っていない。現地で飛び込みか3人で飲んで騒いで野宿はどうだ
CF原が長崎と宮崎に来る
DF原に電話頼む
EW辺から今日電話が来る
というぐあいだ
こちらももう少しでF原が来るし、直ぐ手紙を出さなければ松江まで届かないので今から郵便局に行ってこれを出す。
では長崎の夜は賑やかに、を合い言葉に待つ。気を付けて、良い旅を!
7/30 PM02:19 自宅にて S井」

 
 確かにF原には夏の計画の概略をハガキで伝えて誘っていたが、行けないと言っていたはず。そうか参加することになったか。楽しくなりそうだ。それにしてもW辺は何で無人の私の下宿から電話してるんだ?いやいやそんなことより国家公務員試験は受かったのか?落ちたのか?全てはW辺からの電話待ちになった。
 夕食後能登に居るW辺から電話が入る。聞いてみれば六甲合流をS井に伝えたくて電話番号を知るために私の下宿に訪れポストを除くと合格通知が届いている。無くなっては大変だから部屋に持っていき(注:施錠して無い、と言うか鍵がない)その場で電話したとのこと。2次試験は8月5日9時開始で会場は東大、個別面接は16日の12時半に大手町の合同庁舎で行うらしい。翌日にポストを覗きに来たA野には合格通知が見つからないはずだ。余分な事をして、と思うがそれより考えなければならないのは試験対応だ。
 受験には最低往復2日間がその頃は九州入りしているから大分周辺を切りつめれば何とかなる。しかし個別面接が16日となると帰りの船と重なってしまう。研究室の休暇期間を延長できないから計画を短縮し、鹿児島あたりで切り上げて帰るしか無さそうだがそれで良いのか。旅を取りやめての受験で不合格になった場合や、合格になっても建設省道路局や都市局以外に配属された場合に後悔することはないか。よく考えろ。
 夜遅くF原に電話を入れ、長崎はW辺が浦上ヶ丘YHを予約しているからそこで待つ、16日はS井と3人で船に乗ろう、と伝える。覚悟は決めたのだ。旅を続けよう。