No.89 道南編      日本を走る ←No88南海編No90伊吹編→
旅行期間 1996年7月29日〜1996年8月9日 旅行日数:11日間
総走行距離 1,394km
走破市町村 64
同行者 走行以外でF島・K藤 使用自転車:GT
総費用 141,851円 当時の年齢:32歳
初日 1996年7月29日
移動区間 自宅→夜行寝台・北斗星
 1年間手がけていた案件が大方片づき、次の仕事の着手が9月1日からに決まった。時間が取れるので長い旅に出かけようと考え、話をF島にすると彼も休日出勤の代休が溜まり、7/29〜8/5の1週間を休むことが出来るので大雪山を歩きたいとから一緒に北に渡ろうという事になって、憧れの「北斗星」を予約して旅に出た。
2日目 1996年7月30日
輪行区間 JR木更津駅→JR函館駅
走行区間 函館駅〜江差町民宿寺小屋
走行距離 159km
走破市町村 6(木古内,知内,福島,松前,上ノ国,江差)
累計数 2,848
 札幌まで乗って行くF島と函館駅で別れ渡島半島西側の旅を始める。ここを走らないと軌跡が北海道の形にならないと言う事でずっと気にしていた上に、道北編の直前に発生した北海道南西沖地震の津波速報で報じられた町名の殆どが未走破であることを苦にしていた地帯でもある。
 天気は薄曇り程度で気温も低く走るのには快適な状況であるが前夜に夜行列車で交わした酒が残りちょっとだるい。先も長いからと速度を上げずにのんびり流す。
 福島町の青函トンネル記念館を見て北海道最南端の白神岬を回り松前町の福山城に至る。そこに展示されているアイヌの酋長画の緻密さと美しさに感動してさらに先を目指すと急激に人家が途絶え、風景が単調になる。
 福山城の公衆電話から予約した江差の宿に到着したのは午後4時頃。酒屋で麦酒やワインを購入して港に向かい旅のスタートを1人祝う。係留されている開陽丸が綺麗なので、夜景も良かろうと思い夕食を取ってから再度行った。ライトアップされた幻想的な帆船の美しさと星空に改めて旅は良いな、と思う。
3日目 1996年7月31日
走行区間 江差町民宿寺小屋〜奥尻町民宿竹田荘
走行距離 117km
走破市町村 8(厚沢部,乙部,熊石,大成,北檜山,今金,瀬棚,奥尻)
累計数 2,856
 今回の旅のテーマの一つに奥尻エイドを掲げている。これは隠岐編の神戸に示しているように何もできないならせめて遊びに行って賑わいの一助に成ればという考えである。さて、その奥尻には航路が2個ありどちらで行くか迷うが、時間が短く料金が安い瀬棚航路を選択し、そこまで走る。
 海岸線に沿って229号線を単純に北上すると厚沢部町と今金町を素通りしてしまうので一部を掠めるようにルートを決める。今金までの寄り道で船の時間までゆとりが出来そうなので、ねとい温泉に入浴して港に向かう。
 瀬棚からフェリーに乗り港に着けば「ご支援ありがとうございました。元気な奥尻島の復興に頑張っています。」の大きな掲示があり、胸を打たれる。
 青苗には要塞のような巨大な防波堤が連なり、高台の上は新たに作られた住宅地が整然と並ぶ中で仮設住宅も目に付く。北海道南西沖地震の発生した1993年7月12日から3年も経っているが公共と個人の復興速度差が形で現れる。
 青苗まで流して宿に戻る。追加500円でウニが付くと言われオーダーするとその美味いこと。ウニだけで飯を3杯も食べてしまい食い過ぎの夜を迎える。
4日目 1996年8月1日
走行区間 奥尻町民宿竹田荘〜島牧町島牧YH
走行距離 89km
走破市町村 1(島牧)
累計数 2,857
 船は午後の便として、奥尻島を時計回りに1周する。時間もあるので温泉でも入ろうと町営「神威脇温泉保養所」に着くが営業開始1時間前。そこまで待つと逆に時間が無くなるので悔しいが諦め北端の稲穂崎へ向かう。
 港まで帰って昼食を取っても時間が若干残る。この島で金を使うのが目的だからと土産を沢山買い、今の仕事で世話になった人達に送る。奥尻島は阪神大震災に比べ一人あたりの支援金額が多かったので助かったなどという話を聞く。
 船で瀬棚に戻ると三本杉海水浴場に多くの海水浴客が出ている。今夜の宿は島牧と決めているので急ぐ必要はないから一泳ぎしようかと水に手を入れてみると夏の海とは思えないほど冷たい。良くみんな泳いでいられるよな、と感心して泳ぐのを諦め先に進む。だんだん山が海に迫り断崖の下のような所を進むと茂津多岬に到着する。長いことこの部分が未開通で有ったことも理解できる場所である。
 道北編の民宿美馬牛で出会った旅行者は島牧YHに泊まっているとき北海道南西沖地震の津波でバイクを流された話をしていて、この言葉が頭に残りどうしても行きたかった所である。YHは立て直されて綺麗な建物に成っていた。ペアレントさんから地震の時の話などを聞いて夜を過ごす。
5日目 1996年8月2日
走行区間 島牧町島牧YH〜神恵内村かもいYH
走行距離 123km
走破市町村 4(寿都,岩内,泊,神恵内)
累計数 2,861
 今日も海岸沿いを北上する旅だ。これだけ走っても北海道地図の南端を少し進んでいるだけだと言うことにスケールの大きさを実感する。
 最初に北海に上陸した北海編を行ったとき、多くの旅人から礼文の桃岩、えりも岬、そして積丹には行った方が良い、と進められていたYHの一つで、その頃から時間が経っているが楽しみにしていたところだ。
 弁慶岬の弁慶像や寿都の鰊御殿などを見ながら進むと雷電海岸でまたも断崖の下になる。この辺りの海岸道路は整備費が掛かっているな、と思っていると岩内の町に出る。町の向こうには泊原発が大きく聳えている。この税金がこの辺の自治体を支えて居るんだろうなと思う。
 YHに到着するが客の気配がない。荷物を預けて積丹1周道路の先端まで行く。上手く行けば自転車だけでも通れないかな、と思うがやはり無理な様子。道路の開通は11月だったから3ヶ月早い旅だった。仕方がないので引き返し珊内温泉に入ろうとするが休業中である。偶然、村の福祉車両が通りかかり別の温泉まで載せていくという。近いかと思えば10kmぐらい南に下った998温泉に到着。確かに素晴らしい湯だったがまたYHまで走る羽目になる。
 結局かもいYHは金曜の夜だというのに宿泊客は私とトンネル工事の電気技師の2人だけ。食堂に張られた賑やかだったときの記憶が逆に寒々しい。昨日の島牧も宿泊が少なかったし、もうYHの時代も終わりなのかな、と寂しくなる。
6日目 1996年8月3日
走行区間 神恵内村かもいYH〜札幌市手稲K藤邸
走行距離 85km
走破市町村 1(赤井川)
累計数 2,862
 峠を越えて古平に抜ける案も考えたが、海岸を素直に岩内まで帰って5号線を北上。銀山から赤井川村を走り抜け冷水峠を越えて余市に出る。札幌到着が早くなりそうなので余市のニッカ工場見学し多少酔っぱらう。ただ酒も悪いからと今夜の土産のモルトウイスキーを買って札幌に進む。道北編の記憶も懐かしい手稲のK藤夫婦の住むアパートに到着後、若干の休憩を取る。間もなくF島も合流すれば当然のように宴会の開始となるのだった。
7日目 1996年8月4日
走行区間 無走行(札幌市手稲K藤邸)
 今日は自転車を置き去りにしてK藤の車で観光するのつもりが話し合っている内に樽前山の登山に成ってしまった。天気も良く楽しい休暇を過ごし手稲に戻る。
 そして出発から7日が経ち、F島の休暇も明日までだ。行動を一緒にしたのは今日だけだが解散の宴を小樽地ビールと手稲駅前の居酒屋で行うのであった。
8日目 1996年8月5日
走行区間 札幌市手稲K藤邸起点日帰り
走行距離 199km
走破市町村 10(南幌,栗沢,栗山,長沼,夕張,由仁,追分,早来,恵庭,広島)
累計数 2,872
 朝仕事に行くK藤と帰路に付くF島を見送りながら札幌発日帰りの走破旅に出かける。今日も天気はよい。
 江別から広大な石狩平野の中に入り、規則正しく整理された農道を走り幾つかの自治体を走り、栗山から峠を越えて夕張に入る。寂れた炭坑の町かと思ったが道も綺麗で観光施設も多く、夕張市の努力は認めるが幸せの黄色いハンカチ的な世界を期待していたので少しガッカリする。
 夕張から川沿いに下り、千鳥ヶ滝で休憩し、植苗を経由してウトナイ湖ネイチャーセンターに付く。そこからは36号線で札幌を目指す。途中で千歳サケのふるさと館に併設されるインディアン水車(捕魚車)に立ち寄る。まだまだ明るいが既に6時近い時間である。北海道の夏の日は長い。
 清田区役所を過ぎる頃にはさすがに日が暮れる。豊平川を渡りテレビ塔の下まで至ると大通公園を使った大ビアガーデンが開催されている。もちろん夏の札幌を目と喉で味わうため、行程の途中ではあるが麦酒1杯とジャガバタを食べる。小一時間も時間をつぶせばK藤も仕事から帰ってくるような時間となる。
 K藤邸に帰り着く前に奥さん用に差し入れるお菓子と、今夜飲む酒類の買い込みをしていき、久しぶりに長期滞在をした北海道の最後の夜もK藤としみじみと飲んで暮れていくのであった。
9日目 1996年8月6日
輪行区間 JR手稲駅→JRニセコ駅
走行区間 ニセコ駅〜室蘭港:フェリーびるたす
走行距離 103km
走破市町村 3(真狩,留寿都,洞爺)
累計数 2,875
 3泊世話になったK藤に感謝をして函館本線でニセコまで輪行する。羊蹄山の北側は道東編で走破済みなので今回は山の南を掠めて洞爺湖に出て室蘭に至る計画である。出航までを考えると時間にはゆとりがある。
 羊蹄山の南では湧水の里を訪れ、洞爺湖からの有珠山の景観を楽しみ、温泉街から岡を越えて37号線に降りる。なお、この道が噴火で駄目になるのはこの4年後の3月31日のことである。
 伊達市を抜け、工事中の白鳥大橋を潜り、東室蘭から街の中心部に向かって進む。過去の北海編ではこの半島部分を素通りしてしまったが、その後に北海道の自然100選で得票第1位に選ばれた地球岬があることを知り、必ず訪ねたいと思っていたところだ。
 湾の内側には新日鐵の工場群。私の故郷にもここから君津製鉄所に転勤させられた人達が多く住み、子供の頃は「室」ナンバーを目撃した物である。その湾内側に広がる工場群に対して太平洋岸は自然豊かな綺麗な断崖が続き、その間には住宅街が有るというコンパクトな風景の魅力がある。地球岬の景観は北海道1位と言うほどではないにしろ素晴らしい事には違いなく、室蘭駅の渋さと会わせてこの街が好きになってしまった。札幌からの距離が近ければ小樽のように賑わうのに低迷状態が残念である。
 船は19:15出航なので港の近くの居酒屋で1人「さよなら北海道」の宴を行い程良く気持ちよくなって乗船。船が白鳥大橋を潜ると直ぐに眠りに付いたのであった。
10日目 1996年8月7日
走行区間 フェリーびるたす〜大館市駅前旅館
輪行区間 JR弘前駅→JR大館駅
走行距離 188km
走破市町村 4(田子,新郷,鶴田,板柳)
累計数 2,879
 朝3:15八戸港到着。朝が早すぎるので八戸港の待合室で横になるが、前夜に寝たのも21時頃だから6時間も睡眠時間を取っているのであまり眠さはない。そこで午前4時に薄暮の中を出発する。早朝のため開いている食堂もなく、早起きの商店でカップ焼きそばを購入して朝食とする。
 青森県の残り4町村を繋ぐと八戸から田沢湖に上がり津軽に降りるという変則的なルートになる。田子から県道に入り新郷村迷ノ平で一度秋田県に入る。朝方の森を登っていくのはなかなか気持ちがよい物である。
 再度県境の峠を越えて青森に戻り早朝の田沢湖に到着。湖畔を散策の後黒石に向けて滝ノ沢峠を下り始めると急激に空腹感に襲われ始める。しばらく店屋も無さそうである。浅瀬石川ダム湖の「虹の湖」道の駅でカレーに救われるまでが長かった。気力を復帰させ黒石市街を通り抜け津軽平野の中を五能線鶴泊駅まで走れば東北で最初となる青森県走破完了である。
 せっかく夏の東北に居るのだから4大夏祭りを見たくなる。ねぶたは北海編で見ているので今回は秋田竿燈まつりをターゲットにした。しかしここから走っていては夜に間に合わない。弘前から大館の間は一度走ったことがあるので輪行を決意する。大館能代間は走らねば成らないがそれを明日の走行に回し、今夜は大館に泊まり電車で秋田往復をする計画にする。まだ昼過ぎだが弘前駅で走行終了として青森県終了を駅間の食堂で祝う。
11日目 1996年8月8日
走行区間 大館市駅前旅館〜西仙北町雄物川荘
走行距離 165km
走破市町村 15(田代,鷹巣,二ツ井,藤里,山本,琴丘,八郎潟,五城目,井川,飯田川,昭和,河辺,雄和,協和,西仙北)
累計数 2,894
 今日も朝から良い天気である。快適に7号線の走行を開始する。二ツ井から県道を遡って藤里町まで入るなど、自治体の取りこぼしを行わないように注意を払う。
 八郎潟を南下し始めるとどんどん暑くなりはじめる。北海道では感じなかったフェーン現象だなと思いながら進むが汗が滝のように流れ体が負け始める。昭和町でランチを出している養老の滝により冷し中華を注文しながら水はジョッキに入れてくれと頼む。水は量を飲めないと言うがそれは嘘である。大ジョッキ4杯の冷水を飲んでから冷し中華を食べて気力を取り戻し先に進む。
 わずかに秋田市街まで進むともう戦えない。奇抜なデザインの秋田市立体育館まで行ったところで近くの喫茶店で2時間の避暑休憩。漫画を沢山読んでしまった。
 午後3時に少し涼しくなった街中を走り始め河辺町に入ったところで13号線と別れ有料道路を越えて雄物川に沿って進む。建物が気に入り強首温泉の從峰苑に飛び入りで泊まろうとするが満室のため雄物川観光おも観荘を紹介され、そちらに泊まる。夕方は昼の殺人的な暑さが嘘のように穏やかな日本の農村風景だった。
12日目 1996年8月9日
走行区間 西仙北町雄物川荘〜湯沢駅:舟形駅〜古川駅:木更津駅〜自宅
輪行区間 JR湯沢駅→JR舟形駅、JR古川駅→JR木更津駅
走行距離 166km
走破市町村 12(神岡,南外,大内,大森,東由利,雄物川,羽後,最上,中新田,宮崎,小野田,色麻)
累計数 2,906
 長い旅も最終日である。明日の会議に出席するように今夜中に帰らねばならないのである。
 朝から雄物川に沿って遡り、川の両側の自治体を丁寧に走り込む。鳥海山が綺麗な三角錐の形を見せている。湯沢市に出たところで羽越編の軌跡に重なるので時間短縮と避暑を兼ねて今日第1回目の輪行を約70km先の山形県の奥羽本線舟形駅まで実施する。
 まだ暑い時間帯に舟形駅前で自転車を組み立て47号線を残り始める。封人の家を見学して県境を越え、栗駒編でも通過した鳴子温泉を素通りし、宮城県の岩出山まで付いたら羽後街道を中新田に抜け、347号線で小野田に入り県道で色麻を走破して古川に出る。そこで満足し、今日2回目の輪行として東北新幹線古川駅から一気に木更津に帰った。
 なお、この東北の走行で県別の残自治対数は、秋田県7町村、山形県4町村、宮城県はわずか1町(七ヶ宿)となった。これらは全て月山編で走破される事になる。
 ちなみに翌日の会議は今月冒頭に延期する事が決定していたが私には旅行中と言うこともあり連絡を入れて貰えなかった。携帯の留守電に入れてくれたら毎日聞いていたのだから腰を据えてもう少し細かく走ることが出て、東北制覇の形も随分変わったものに成ったと思い、若干残念である。(次は伊吹編