No.90 | 伊吹編 ←No89道南編・No91奄美編→ | |||||||
旅行期間 | 1996年11月2日〜1996年11月4日 | 旅行日数:3日間 | ||||||
総走行距離 | 286km | |||||||
走破市町村 | 10 | |||||||
同行者 | 無し | 使用自転車:GT | ||||||
総費用 | 25,214円 | 当時の年齢:32歳 | ||||||
初日 | 1996年11月2日 | |||||||
移動区間 | 自宅→名古屋市名古屋YH(輪行のみ) | |||||||
2日目 | 1996年11月3日 | |||||||
走行区間 | 名古屋YH〜千種駅往復:木曽福島駅〜郡上八幡駅 | |||||||
輪行区間 | JR千種駅→JR木曽福島駅、郡上八幡駅→JR千種駅 | |||||||
走行距離 | 165km | |||||||
走破市町村 | 3(朝日,馬瀬,明宝) | |||||||
累計数 | 2,909 | |||||||
文化の日を含んだ3連休が取れたので西岳編で残した岐阜県を全て走破し、なおかつ伊吹山登山を行う計画を立てた。 1日の金曜日は木更津で遅くまで飲んだので翌朝の早出は出来ず、ただ東名を延々と走って名古屋に入り話の輪にも加わらず早めに寝る。 翌朝YHに車を停めたまま千種駅まで走り中央西線で木曽福島まで輪行し、御嶽編以来となる開田高原を走る。というのは前回野麦峠を越えるために高根乗鞍湖畔で右折してしまった場所から飛騨編で走った高山までの間に朝日村を残してしまったからそれを走るためである。単純に朝日村に行くだけなら高山まで輪行すれば僅かな距離で済むのであるが軌跡を繋ぐことと秋の開田高原を味わうことでこのようなコース設定になった。さすがに11月の風は冷たい。 361号線で静かな高原を越え、朝日村まで入れば飛騨川に沿って久々野に出て41号線を萩原まで南下。新首都の有力候補に東濃地帯が那須や京阪奈地帯と同様に噂されていた頃だったが最近(2006年)ではすっかり遷都の話しも無くなってしまった。未だに大地震による不安が解消していないのに国の無策を思う。 萩原から257号線で馬瀬を抜けて、飛騨美濃有料を通り明宝村に抜ければ難易度の高い地帯の走破は終了。しかし峠の多さに想定より時間が押している。YHには到着が遅くなる連絡を入れるが食事は大丈夫という話で安心する。そうなればあとは郡上八幡まで抜けて電車待ちの時間に夕暮れの水の里を散策し、長良川鉄道の郡上八幡駅から千種まで麦酒を飲みながらYHに帰るだけだ。 |
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3日目 | 1996年11月4日 | |||||||
走行区間 | 大垣市某所起点日帰り | |||||||
輪行区間 | 名古屋YH→大垣市某所、大垣市某所→自宅 | |||||||
走行距離 | 121km | |||||||
走破市町村 | 7(神戸,巣南,根尾,徳山,池田,春日,垂井) | |||||||
累計数 | 2,916 | |||||||
朝食抜きで6時半に出発して登山を早く終えて自転車に余裕を作ろうと思ったのだが、伊吹山ドライブウェイが9時にならないと空かないと入口で知り愕然とする。 伊吹山の登山を終えて車に戻り大垣の大型スーパーまで走って食事を取れば既に午後になろうとしてる。日の短い時期なので行程が厳しいがここに車を置き去りにして走行を開始する。根尾川沿いに北上し、季節はずれの薄墨桜の木を見てから馬坂トンネルを越えて、集落の跡すら無くなった元徳山村に入る。住む人もほとんどなく、ダム工事の車両が走る寂しい所で夕焼けを迎える。 揖斐川から南に下りながら暗い道を春日村まで往復し赤坂から垂井に抜けたところで岐阜県走破完了。これは東海の完了でもある。 達成感を胸に暗い中を車まで帰って荷台に自転車を積み、羽島温泉で汗を流して東名高速で帰路に付いた。(次は奄美編) |
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