小楢山 1,713m 山梨県山梨市 2012年10月31日登山:単独 綺麗な満月を見ている内に、これが西に沈むのを見送り、朝日に染まる富士を湯船の中から見てみたいと思ったのは前日の事であった。ネットで天気予報を確認すると千葉県は曇りのようだが山梨県は朝から晴れのマークが並んでいた。こうなれば早寝に限る。 まだ深夜の3:10に起床し、中央道をひた走り、5:15にほったらかし温泉に到着する。日の出の1時間以上前だが既に車は40台以上停まっている。人気に驚きながら夜景を見るため温泉に入る。空に星は見えず、雲が覆っている。湯船の中でうたた寝しながら夜明けを迎える。富士山は雲の隙間に見えるだけで、日の出も見られずに落胆しながら温泉を後にする。でも登山している内に天気も良くなるだろうと焼山峠を目指して移動する。 計画では鼓川温泉側より峠に着くつもりだったが、林道の拡幅工事で通行止めと知り、琴川ダム側より回り込む。峠には1台も車が無く、一旦ダム湖の展望台まで往復すると観光客と思われる車が到着していた。登山者は居ないと諦め装備を調え、8:17より歩き始める。 焼山峠の標高は1,500mを越えているので山頂までの標高差は200m弱しかなく、稜線のハイキングのような登山である。峠には子授地蔵が祭られ、コースの途中には円盤が直立したような的岩も有り、歩いていて楽しいと思っている内に9:08に山頂についてしまった。 木立も切り倒され塩山方面の展望が快晴なら満喫できる良い山だということは解るが、今日は非常に物足りない。歩行時間も物足りないので山梨百名山の兜山でも登ろうかと考えたが、天気が悪いと意欲も萎える。山頂には9:30まで居たが誰も来ないし晴れ間もなく寒いので下山を始める。 下山の途中で4組の登山者とすれ違ったのは意外であったが、考えてみれば往復に時間を要しない山なのでゆっくりしているのだろう。車に帰り着いたのは10:12で、休憩を入れても2時間を切る登山を終わりにした。兜山も行く気がなくなり、鼓川温泉で長湯をして、山梨でパンチライスを食べて、自宅に帰るのであった。 |
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戸隠山 1,904m 長野県長野市 2012年11月05日登山:単独 文化の日が終わり仕事を休める状況になった。11月には佐渡汽船が直江津〜小木航路で格安券を発行することを知ってしまったので、2泊3日で佐渡島に行くことを計画した。その途上で直江津に行く前に、長年の懸念であった戸隠にも登ろうと思い、4日の夜に篠ノ井まで移動してカプセルホテルで仮眠して充分に休養を取った。 5日に目覚めてみると高曇りで、登山には悪く無さそうだと思いながら戸隠へ向かう。近づくと西岳が白く雪をまとっていた。今年の冷え込みは遅いからまだ雪は大丈夫かと思っていたが、これは危険だから諦めた方がよいかなと考えつつ、取り敢えず奥社の駐車場に車を停める。ここから山頂までの標高差は700mも無く、水平距離も僅かなので木立の形もハッキリ見えている。時間もあるし、戸隠山には雪が少なそうだから登山道の下見でもしようかと考え9:08より歩き始める。 杉並木の参道を歩き奥社で安全を祈願して八方睨の登山口に戻ると図解で危険度が高い事を示す看板が建っていた。参拝客から「登るの」と聞かれ「どの程度危険なのか見て来るだけですよ」と答え9:44より登山道を歩き始めると、30分もしない内に雪の付いた鎖場が現れ始める。これはそろそろ撤収かな、と考えていたところに婦人を含んだ3人組の下山者がすれ違う。上の岩場には雪はなく、きついけど慎重に行けば問題ないですよ、といわれ、それでは可能なら山頂を目指すと思い前進する。 百間長屋を10:31に通過すると、いよいよ岩の殿堂に立ち向かうことになる。岩の質が良く足場には苦労しないが高度感に心が締め付けられるようになり、休み休み進むといよいよ核心の蟻の戸渡りに到着する。右の巻道は岩に雪が付き、かえって危険なため左に150m落ちている断崖の上の細い岩の上を這って渡った。突風が来たら死んでしまう緊張する区間を越え、崖をよじ登ると一変して天国のような八方睨の山頂に飛び出た。時計を見ると11:37で、奥社から2時間近く掛かっている。無事に登り切ったことを戸隠神社に感謝して、アルプスや高妻山をを見ながら小休止に入る。 ここから戸隠山頂を越えて一不動までの道は、東側に断崖絶壁が口を開けている事を除けば、軽いアップダウンが続くだけで難易度は低い。しかし、コースに雪が多く、万が一滑れば谷底に真っ逆様、という恐怖で、引き続き慎重の上にも慎重に進んで避難小屋に到着したのは13:27になっていた。 ここから先は18年前の夏に高妻山へ登ったときと同じルートになるので、それほど難しいところもなかったはずだと安心して下り始めると滝のトラバースで鎖が切れていたり、浮き石が雪で解らなかったりで予想以上に苦労を重ね、緊張感が切れたところで2回ほど転倒しつつ、何とか牧場まで1時間強で降りた。最初の3人以外には誰とも会わない静かな山道を終えて、舗装道路に出た。とぼとぼと県道を歩いて奥社の駐車場に帰り着いたのは15:20に成り、標高差の割に全身と心が疲れる山から生還した。 この日は飯抜きで歩いていたので、奥社入口にある蕎麦屋で遅めの昼飯を食べ、県境を越えて妙高の赤倉温泉の露天風呂で汗を流し緊張した筋肉を解している内に日も暮れた。 予約してあった上越中央ホテルには午後7時少し前に到着しNHKの天気予報を見ると明日も明後日も佐渡島の降水確率は70%であったので、金北山に登ることは諦めようと決めた。後は上越市高田の夜を満喫しようと、ホテルで教えてもらった焼鳥屋に入り、厳しい山を制覇したことに対し、スキー正宗等で1人祝杯を上げた。 |
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独鈷山 1,266m 長野県上田市 2012年11月07日登山:単独 6日は佐渡に渡ることを辞めて高田城やスキー博物館を見てから県境を越えて長野に戻る。帰ろうと思えば自宅まで苦もなく帰れるのではあるが7日には天気が良いと言うので、それなら上田時代に登り損ねた独鈷山に登ろうと決めて懐かしい戸倉温泉に泊まった。 7日はホテルの温泉で朝風呂に入っていると雲が切れ始める。きっと快晴だろうと考え朝食をしっかり食べてから宿を出て、スマホで調べた南側の宮沢登山口に付き、歩き始めたのは9:22であった。登山地図は無いが直登なので迷うようなコースではない。 晴天なのに登山口には他に車が無く、今日も登山者に合わない静かな山に成るんだろうなと思って歩いていると、十二支が祠に入って一つづつ並ぶ、快適な紅葉の登山道となった。坂は急であるが一昨日のように危険な場所がないのが嬉しい。しかし山頂に近づくと雲が掛かり展望を諦めねばならぬかと思い、多少落胆しながら10:34に到着した山頂には1人の登山者が居た。 平井寺側から来たという、同じ世代の彼は、聞けば九州出身でバブルの時代に日本百名山を踏破し、現在は上田市内で林業を行いながら日本三百名山を念頭に置き、近所の登山を楽しんでいるという話である。このように手軽に登れる山頂で日本全国の山の話が出来る人と会うことは珍しく、日本二百名山にリストされている中で危険な山への対応策や、過去の山の中での感動的な話をしてとても盛り上がる。 その内に空を覆っていた雲も通り過ぎ、紅葉に光が射して美しい風景が展開される中で、個人的に記憶の思い入れが多い塩田平を見渡しながら、昔世話になったW貫元課長はここに住んでいるのかなとか、遠く見える上田ローマン橋の記憶などでノスタルジーに浸る甘美な時間を過ごす。 同世代の山好きな者との話は留まるところが無く、私の笈ケ岳での戦いや彼の日高連峰の苦戦など多くの山の話を相互にしながら思いは信州から全国に広がり、気が付けば山頂について3時間が過ぎようとていた。午前中に下山する予定の山で、食料も持たずに登っているので、尽きない話を切り上げ13:42に下山を開始する。 落ち葉に満たされた登山道で滑らないように気を付けながらも平坦な場所では速度を増し、戸隠の恐怖とは別の世界に安心して14:28に車に帰り着いた。歩行時間より山頂での話の方が長い山が終わった。 地元の彼に教えたもらった北御牧の明神館で汗を流して林檎を土産に購入し、下仁田でモツ煮定食を食べて蒟蒻を土産に購入して、平日の渋滞がない中で快調に帰宅した。 |
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愛鷹山 1,188m 静岡県沼津市 2012年11月30日登山:S井と2人 S井と高尾から陣馬まで縦走する計画を進めている頃、ニセコからK藤が市原に帰宅しているという情報が入る。夕方には飲み会が出来る行程の山に予定を変更しようと言うことになり、最高峰の越前岳だけをピストンした愛鷹山の南側に行こうと提案して実行した。 金曜の早朝、仕事の休暇を取ったS井が迎えに来た午前5時半に、私は2時間しか眠らずに午前3時から資料の整理をしていた。まとまりの悪い資料をメールで送信して荷物を彼の車に積み込んで一路沼津を目指した。天気予報の通り、雨の心配はないが雲が多く、東名を走りながら富士山が見えない。登山を止めて温泉巡りにしようか、等と話しつつも登山口の水神社まで走り着き、8:36より登山を開始した。 最初に滝の綺麗な神社を参拝し、それから長い林道歩きをして愛鷹山正面登山口を目指すつもりだったが、地図にないコースの案内表示が出てくる。事前にネットで短縮路が出来ていることを知っていたので標識に導かれて山の中腹をトラバースするように延々と進み、愛鷹山と馬場平の鞍部には10:18に出る。眼下には富士市が広がっているハズだが霞んで鮮明ではない。取り敢えず愛鷹山の山頂を踏もうと登り始めると背後に富士山の姿が広がる。しかしこの感動も一瞬で、また直ぐに雲に覆われてしまい、山頂で時間を潰すものの回復の気配がない。当初予定は位牌岳を回り、つるべ落としの滝を経て水神社に帰るつもりであったが、展望がないことと前日の雨で道が滑りやすくなっていること、さらに今夜飲む余力を残しておこうという事で一致し、愛鷹山の山頂を踏んだことだけで満足して正面登山口を降り、水神社まで林道を歩き13:09に駐車場に帰った。縦走はしなかったが結構長距離を歩き、程々に残った疲れを駿河の湯で癒していると、K藤から「風邪ひいたので今夜は無理」と連絡が入る。その結果、ただ健康に汗を流しただけの1日になってしまい、午後5時に木更津に帰った後、自宅近くの中華で食事して解散した。 |
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小野子山 1,208m 群馬県高山村 2012年12月26日登山:単独 前日のテレビが今年一番の寒波で冬型の気象配置が強まると伝えている。仕事納めの前だが26日は夜7時まで予定がない。例年なら富士山の見える山梨に向かうが、今年は笹子トンネルの崩落事故による通行止めで渋滞が予想されるため、新車のスタッドレスタイヤの状況も確かめることを兼ねて群馬の小野子山に登ることとした。 朝5:20に自宅を出発し、東京を通過したところで夜が明ける。冬型で関東平野はカラカラに晴れていたが関越道を北上するにつれ曇り始める。晴れと雪の境界は赤城山に見えていたが、小野子山は見えていたので予定通り登ることにする。隣の子持山は11年前に登っていたが、小野子は30年前の学生時代から気になりながら未踏だった。 車で中山峠を越え、林道で牧場の展望園地まで行き着替えて準備を終え8:48より歩き始める。気温は氷点下で風も強く、体感気温はかなり低い。耳が冷えてタオルを防寒で巻くが、流れた汗が瞬く間に凍っていくことが解る。登山道の雪は薄く、アイゼンを装着しなくても容易に登れ、山頂には10:05に到着した。北側は雪雲で展望が無く、榛名から西上州方面だけハッキリと見渡せる。 風の冷たさに負け、山頂を早々に退散し、十二ヶ岳を目指して従走路に入る。最低鞍部から中ノ岳[1,188m]を越え、この日唯一の登山者と擦れ違い、さらに累積標高差を積み重ね、十二ヶ岳[1,201m]には11:27に到着した。3つの山頂の中では展望が最も良く、群馬百名山に選ばれている理由も解る。しかしここも寒さで早々に退散し、中ノ岳との鞍部から林道に降り始めた。 地図にない作業道と何回か交差し、コンクリート舗装の道を進んで登山口には12:08に降り立った。しかし、ここから車を停めてある展望園地までの林道歩きが1時間も掛かり、結構疲労しながら13:09に車に到着した。朝から1度も口にしなかったボトルの水を車内で飲んだが、半分程度凍っていた。 身体が芯まで冷えていたので最寄りになる金島駅近くの温泉に浸かり、足利で遅めの昼飯にポテト丼を食べ、蓮田で純米酒の「神亀」を求め、大宮から首都高に乗ろうとしたら渋滞にはまってしまい、木更津に帰り着いたのはこの日の忘年会の開始時間から1時間半も遅れてしまった。そのため、自宅によらず、直接会場に車で乗り付け、代行で深夜に帰宅するという長い一日となった。 |
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