No99 .2026/2-2026/8    ←No98No100→ 日本を走る
白狐山 206m 千葉県鋸南町
2026年01月26日登山:S井と2人
 
 年末にS井から房総のグランドキャニオンが話題に成っているが知っているかという連絡が届いた。鋸山は頻繁に登っているのにその話題は知らなかった。これは自分の目で確認せねばならないと思ったが双方の日程が合う日を調整した結果、平日である月曜日登山となった。
 
 年が明け、予定の日が衆議院の解散の前日となったが大きな予定も入らず無事に行けることに成った。近所なので自宅に迎えに来たS井の車に荷物を積み8時半に出発しコンビニでおにぎりと茶を購入し小保田の嵯峨山登山口駐車場に車を停める。平日なのに5台停められるスペースには既に4台が停まりの私たちが最後の車であった。
 登山靴に履き替え9:52より歩き始める。桜の蕾も開き始めた春山で気持ち良い散歩に成りそうだと進み小さな沢を超えて小保田峠まで登り長い稜線歩きが始まる。令和元年台風の影響で多くの木が倒れ岩肌が露出した稜線から鋸山と富士山の風景も見えて良いのだが足元は滑りやすい砂が多く細かい上り下りで疲弊する。その上、一つ手前の220mピークを白狐山と勘違いして捜索に入り道に迷い想定以上に疲弊していたところで11:56に石切り場の脇に飛び出る。これがチバンドキャニオンで目前の岩山が白狐山なのだと理解する。急登に取りつきキャニオン展望台を経て12:12に四街道から来た2人が休んでいる山頂へ到着し昼食を摂る。標高は低いが想像以上に歯ごたえのある登山となった。下山後は石切り場の周辺を散策してから帰路に着き高尾山から陣馬山への道のようにピークを巻けと呟きながら14:10に車に帰り着いた。無駄な寄り道をしたとはいえ4時間を超える行程に成ることは予想外であった。
 
 下山して道の駅保田小学校でトイレタイムを取ると保育園エリアに出来ていた店がリーズナブルだったので遅めの昼食にアジフライを食べ、体が冷えてきたので入浴も済ませて帰路に着く。帰宅したS井から累積標高は631mだったと聞き、標高206mに過ぎない白狐山でも登山記録に記載することを決めた。
奥三界山 1,810m 岐阜県中津川市
2026年05月05日登山:単独
 
 一昨年の熊伏山、昨年の高塚山とGWは遠征して日本三百名山を登っているので今年も恒例に従い山探しを始めた。川上岳や鷲ヶ岳も検討したが、4年前の日留賀岳と同じようにハードワークが予想される奥三界を選んだ。なお国土地理院地図では「岳」であるが現地で一般的に使われている「山」で記録を記載する。
 遠征を楽しむためと4日に強風でアクアラインが通行止めに成るリスクを避けるため3日の夜に出発し風雨が強くなった旧東名の駒門PAで車を停めて仮眠する。そこで自宅で車内に布団を敷く際にザックをどかして積み残したことに気が付くが今更取りには戻れない。風で車が揺れる中でどこかで買うかと思いながら2時過ぎに眠りについた。
 翌朝7時半に起床して国道に降りて清水港に行き朝食に海鮮丼を食べ浜松のコストコで給油して再び高速に乗り豊田東で降りてイオンでザックなどを買う。串原温泉に浸かっていると雨が降り始め明智で傘を購入し恵那に降りると雨が止む。道の駅坂下の敷地内のスーパーで山食や麦酒を購入し豊田で購入した日本酒も飲んで車中泊をする。
 翌朝起きると快晴である。車の中でマカロニサラダを朝食に摂り夕森公園の有料駐車場に車を停める。広い道が先まで続いており先の竜神の滝駐車場まで行けば40mほど標高を稼ぐことが出来たが後の祭りである。
 
 登山準備をして5:51より歩き始め、夕森渓谷の遊歩道を散策し龍神の滝を見学して車道に戻り車両通行止ゲートを6:18に超える。熊鈴もザックと一緒に忘れたのでこの先は心配である。銅穴の滝には6:40に到着し、その先で登山道に入るのだが吊り橋が通行止めなので濡れずに渡れる場所を探すものの最後には流れの弱い場所を濡れながら横断した。その先の急斜面を登るとか無駄に時間と耐力を使ってしまってから長い急登で黙々と標高を稼ぎ8:02に林道に出た。ベンチのような石に座り小休止してから林道歩きステージに入る。崩落した岩が多く長いこと車両が入っていないようであった。道の脇に湧水が多く水の心配をしなくていいことは楽である。8:56に林道を離れ崩落した林道跡を登り9:21に崩壊の進む小屋の横から登山道に入る。
 昨年の秋は熊の出没で山を避け今年に成ってからも個人的な日程で山に行けずに久々の山として足ならしに選ぶ山ではなかったと反省しながら時折休憩を入れ開けてきた展望を楽しみ、10:04に着いた「ひるめし谷」の渓流で冷たい水を飲み早めの食事を摂る。登り詰めると稜線に出るから快適な展望でも得られるかと思ったが「枯れ木のタオ」を抜けると樹林の中で泥濘の道が待ち受けていた。明らかにペースが落ちて何時着くか解らないモチベーションの中で下山してきた単独の登山者と擦違い、鏡池周辺で水芭蕉が現れて感動し、11:20に到着した山頂の櫓からは開けた展望を楽しみ、長い道のりを苦労して登ってよかったなと改めて思う。ただ御岳との間には木立があり20年前に登った小秀山の方が展望が良かったなぁと思い返す。あの頃は若くて標高差1112mを3:05で登っているのに還暦を過ぎたら1178mに5:29も要しているので体力の低下を実感する。
 暫く待っていても誰も登ってこなかったのでセルフタイマーで木彫りの熊と写真を撮り、11:45に下山を始めると水芭蕉の所で2人と擦違い、最終的に快晴の子供の日にこの山に登っているのは5組8人だけという静かな山であった。ひるめし谷の下山で浮石に乗って転倒してお尻を強打し、13:42に林道に降りても小石で足首をひねりそうになるなど満身創痍で慎重に下山を続け、渓流の渡れない吊り橋には15:11に到着した。山頂周辺で泥濘に何度も落ちていることも有り、直ぐに靴の水の中をバシャバシャと渡る。先程私を追い抜いた2人は靴を脱いで渡っていたようで対岸で足を拭き靴を履いていた。対岸の坂を登れば残りは舗装道路を歩くだけであり、銅穴の滝を一瞥し、龍神の滝の遊歩道には入らず、車には16:06に戻ってきた。行動時間は10:15でありコースタイムを超過するハードワークに成ってしまった。
 
 国土地理院の地図には温泉マークが有るがキャンプ場の総合受付で聞いたところ夕森公園に温泉は無く、帰路とは逆方向に成るが付知峡倉屋の「おんぽろの湯」に行くことにする。途中の道の駅花街道で中津川の飲んでいない酒やお土産を購入し、温泉ではのんびりと湯に浸かって筋肉を緩め、湯上りの食堂を覗くと中津川市街で食べようと思っていた「とりトマ丼」がメニューにあるので迷わず食べて中津川に戻る行程を省略する。18:25に付知峡を出発し坂下で19号に出る頃には暗くなっていた。木曽谷から権瓶峠道路で伊那谷に出て辰野から諏訪に抜けると21時に成った。そこから高速に乗ったが小仏峠では激しい渋滞中のようなので境川PAに車を停めて仮眠する。午前1時に目が覚めて道路情報センターを検索すると渋滞は解消傾向のようなので出発し、自宅には午前3時過ぎに帰宅した。既に筋肉痛に蝕まれている体でゴミを処理し荷物を少し片づけていると空が明るくなってきたので午前4時に就寝し長い日程を終えた。
金北山 1,172m 新潟県佐渡市
2026年06月07日登山:妻子と3人
 
 夏休みに富士山に登りたいという娘のトレーニングに難易度は低くても登山経験になるような山を検討していたら離島にある日本三百名山であるこの山が思いついた。山を楽しむならドンデン高原から縦走することが薦められているが白雲台からなら自衛隊が整備した車道で山頂直下まで行ける点が妻子のトレーニングには相応しい。何より花の季節を迎えた佐渡島に37年ぶりに行きたいという気分もあった。
 大野亀等の旅を楽しみ民宿に泊まり朝風呂や朝食を終えて佐渡スカイラインを駆け上り標高845mの白雲台に到着したのは9:05であった。ここでも十分な高度感が満足できる展望があるしトイレも奇麗な良い施設であった。管理人から水場や休憩場所の情報などを教えてもらい妻子の使う竹の杖を借りて登山準備を終えて9:30より登山を開始する。私は前夜に娘が海岸で拾った竹を杖にして歩くことになっており、基本的には杖は必要ないので借りなかった。
 コンクリート舗装の道路を10分ほど歩くと自衛隊がポンプアップしている美味しい水場があり、ペットボトルに水を満たしていると自衛隊のバスが登って行った。他にも多くの人が同じルートで山頂を目指しておりドンデン高原から入らなくても良いかと思えてくる。道は砂利敷きになり途中で下り坂も味わうが自衛隊施設を繋ぐ整備された砂利道が続き、娘はすっかり飽きて「影鬼をやる」といいゲームで私の負けが確定する頃に山頂部に近づき、最後は車道から離れ、細く斜めに傾いた道を登って11:14に山頂の神社に到着した。遠目には凄い基地のように見えたが近づくと廃墟となった建築物が神社を囲むように林立し、北西側の展望は悪く、山名を記載した看板は展望が開けた南側の少し下に設置されていたので山頂にいた方に撮影してもらう。
 食事を持ってきていないので11:30より下山を始め「しりとり」等を行うことで娘のモチベーションを保ちながら歩き続け、白雲台の駐車場には13:10に帰り着いた。登山開始時刻が計画より30分遅く、往復の時間も30分ほど長引いたので帰りの船までの計画の一つの温泉を削ることにして汗臭いまま帰路の船に乗ることに成った。
蓼科山(2回目) 2,530m 長野県立科町
2026年07月04日登山:妻子と3人
 
 前回の金北山で登山靴を含めた装備の重要さに気が付いた妻子は近くのアウトレットに出店しているモンベルやコスパの良いワークマンなどで装備を揃え富士山に向けた準備を進めている。新しい装備をいきなり本番で使うリスクを回避するため、富士山以上に急勾配の試練がある蓼科山に登る計画を立てた。個人的には実に38年ぶりであり、前回は蓼科スカイラインが有料道路だった頃なのでスズラン峠口から800mの標高差を戦ったが、その後に無料化され、更に災害通行止めが6月12日に解放されたので登山口で2093mと最も標高が高い大河原峠から山頂を目指すことにした。富士トレーニングであれば標高差が大きい方が現実的であるが、靴が足に合わない場合の撤収を考慮した選択で、私も楽をしたいからである。
 午前3時に出発する計画としていたが2時前に目覚めてしまったので速やかに出発する。蓼科山の降水確率は午前40%、午後50%なので期待はしていなかったが中央道の韮崎周辺で雨に成った時には晴れ女である妻の神通力も届かないかと落胆する。諏訪南ICを出たところのコンビニで食料を調達し、白樺湖まで駆け上がっても八ヶ岳や蓼科は麓しか見えていない。歩行訓練だと思って霧の中を頑張ろうかと思いながら大河原峠には6:51に到着した。天気が微妙なためか駐車場は半分程度しか埋まっていない。気温は15℃で妻子は寒いとレインウエアを着始める。登りで暑くなるよと伝えるし他の登山者も比較的軽装であるが無理に脱がせはしなかった。着替えた娘が車の下から水が落ちているという。エアコンの結露水が落ちているのかと思うが流れるほどであり、こんな山奥での車両トラブルは厳しいなと思うが対応は下山後に考えようと思い7:06より歩き始める。
 娘は30分もしないうちにお菓子休憩を要求する。休みも多くペースが遅いので後から来た登山者に先に行ってもらいながら湿原を超え蓼科山荘に着いたのは8:52であった。山荘でもwifiが通じてPayPayで支払いが出来る上にテントを立てて土産の屋外販売を行なうなど、関東に近い有名な山の現状を理解する。娘はここで帰ろうと言うが富士山はこの先をクリアしないと無理だと言うと理解する。妻も有料のトイレを借り妻子のバッジ等を購入するが私は山で土産を購入する習慣が無いので何も手を出さず9:11に休息を切り上げ出発する。この先が急坂なので休憩で体力を回復したと思ったが妻が音を上げてしまい荷揚げをする歩荷の方々にも先に行ってもらうペースで登り、山頂小屋の前には10:07に到着した。ここが山頂だと誤解する娘に山頂は少し先だと伝えると混雑する山頂を避けて神社に向かい参拝する。その近くで早めの食事を摂り、娘はコンビニで購入した加工するお菓子で遊ぶ。食事後に白樺湖を見下ろせる反対側まで行くと雲が切れて槍ヶ岳も一瞬見えるなど梅雨の合間としては充分な展望であった。
 人が減った山頂で11:16に記念写真を撮影してもらってから下山を開始する。奥三界で芝の石が転がり尻もちを付き暫く痛かった話をしたせいで、過去にスノーボードで転んで骨折した経験のある妻はとても慎重に下山をするが体重が軽い娘は下山の衝撃も少ないためか素早く降りていく。蓼科山荘で妻を待つ間にツアー登山の集団がトイレに長い列を作り始める。富士山もこの様にガイドの指示に従いながら登ると苦になりそうだと思いながら様子を伺っていた。
 そこから駐車場まで登山地図のコースタイムでは60分の所をウサギのような様子の苔の写真などを撮影し、「人偏の漢字」等のゲームをしながらノンビリ歩いてり2時間を超える時間を要した。娘も慎重すぎる妻に疲れてどんどん先に下山を始めたので私も追いかけ14:34に駐車場に帰り着く。往復コースタイム3時間の所を7時間28分を要し、妻の到着はその15分間後であったので、その間にエンジンルームを点検してラジエータへの給水など必要な対応を済ませることが出来た。
 給水しても漏水しないので様子を見ながら進みJAXA臼田宇宙空間観測所に立ち寄っても、布施温泉に立ち寄っても漏水していないし水位も下がらないことに安堵して佐久の藤蔵屋で腹いっぱいそばを蕎麦を食べ、佐久平から高速に乗り給油することなく21:30に帰宅した。
富士山(3回目) 3,460m 静岡県富士宮市
2026年08月10日登山:妻子と3人
 
 6月の金北山、7月の蓼科山の訓練を経て本番である。山小屋が簡単には予約できない山に成ってしまっているため私も初めてのバスツアーという点が新鮮で、荷物も最小限にまとめるため9日は妻子に持参するべきものと不要なものを指導する。集合場所が八重洲なので高速バスで行く予定であったがアクアラインが渋滞していたので17:51に袖ケ浦駅を出る快速に乗り19:01に東京駅へ着き地下街でイタリア料理を食べ20:55集合のバスに乗り富士市にある仮眠所へ向かった。
 妻子とも寝付きが良いのが幸いで雑魚寝でも充分に睡眠を取り目が覚めると窓の向こうには青空に富士山が聳えていた。午前6時に食事を摂り午前7時に出発するバスに乗り新五合目に到着後、サンダルから登山靴に履き替えアプリで購入した入山料のQRコードでリストバンドを引き換えて受付の人に写真を撮影してもらい8:44より歩き始める。
 
 今回も私がガイドとなり妻子の体調を見ながら登るが娘は直ぐに休憩を要求し、11:05に到着した新七合目ではもう帰りたいと言い始める。頭も少し痛いというので軽い高山病のようだが小屋に上がって千円の焼きそばを食べると少し元気になる。それでも登山速度は上がらず元祖七合目の到着は13:25になった。これ以上動けないようなら先を諦めて泊まろうかと思ったが満員であった。しかし前日の昼過ぎに購入したミカンやお菓子が効き25分ほどの休止で元気になり元祖七合目から八合目にかけてはほぼコースタイムの速度に復活する。それでも体力不足は明らかなので初日のうちに山頂を踏む計画は諦めて登り、前回も宿泊した萬年雪山荘に到着したのは16:29であった。天気予報では台風15号の影響で午後に雨が降ると云われていたが一度も雨に遭遇することもなく晴れ女達の力に感謝する。人生で初めて経験する標高差1060mを7時間45分かけて登った娘の健闘を評価しつつも、翌日の2時に起床して山頂に行き10時半までに下山するのは無理だと判断し、16:50から夕食のカレーを食べながら今回の山頂は九合目だと家族会議をすると、もう登らなくて良いと思った娘はすんなりと受け止め、来年も挑戦するというと妻は「来年も富士山か」とげんなりした様子であった。カレーを食べ終えたら直ぐに娘は部屋に籠もって寝てしまい妻はお腹が空いたとうどんを追加し私は缶酎ハイを購入して飲む。妻も無理して山頂に行かないことは賛成なのだが記念に焼き印が欲しくなったようで短い杖を購入した。19時過ぎには携帯を充電しながら多国籍語が飛び交う小屋で横になった。
 
 午前1時頃から小屋が騒がしくなり私もトイレに行ったついでに外に出てみれば下からヘッドライトの灯りが繋がり小屋の前にも山頂を目指す多くの人が居た。しかし2時半を過ぎると静かになり私達は4時半までゆっくりと眠らせてもらった。小屋前で朝焼けを見てからお弁当を食べ、5:42より下山を開始する。八合目の池田館で焼き印をもらい、山頂で飲む予定だったフルーツジュースを飲んでいると山頂から下山してきた人が御来光は観られず風が強く氷点下で氷柱も出来ていたという。無理して山頂に行かなくて良かったと思う。この日の予報は曇であったが箱根や富士市程度は見渡せ、宝永火口の上にいる登山者を見ながら小屋毎に焼き印を増やし、新五合目には9:51に下山した。蓼科山より下山が早くなったのは訓練の成果かも知れない。山の日の祭日なのでテレビクルーが登山口で取材していたが帰宅して翌日にテレビを見ると午後から台風で山頂は大荒れになり、萬年雪山荘も百人以上がキャンセルしたようだ。天候に恵まれたことも感謝したい。
 
 新五合目の土産物屋で妻は焼き印を押して娘はバッジを購入し、皆でアイスを食べながら登山口のスタンプを押し、登山靴からサンダルに履き替えて10:40出発の下山バスに乗車する。前日に仮眠した「ゆらぎ」には正午に到着してバイキング形式の昼食を摂りスーパー銭湯に入浴する。食事が選べて露天風呂やサウナに入れるので悪い話ではないのだが東京方面行きバスは13:30に出発するので食事と入浴を合わせて1時間ほどしか無く、ともかく慌ただしい。髪の毛を乾かす間もなくバスに乗り込み帰路に着くが東名が渋滞し、最初の下車場所である羽田空港には予定より遅れた16:27に到着した。私達はそこで下車し、お腹が空いたという娘のリクエストに応えて早めの夕食を摂り、18時の高速バスで木更津駅まで乗車してタクシーで帰宅してテレビを見ると茨城県に台風15号が上陸し各所に被害が発生していた。