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磐梯山(2回目) 1,819m 福島県猪苗代町
2025年07月18日登山:単独
32年前にK藤と登った時には雲って下界が見下ろせず,、その4日後に常念山脈縦走をしてしまったために記憶から抜けた磐梯山にもう一度登ろうと考えていた。娘に会津で陶芸体験をさせ、一月後に焼きあがった作品を取りに行きながら登山するという計画を実行し6月8日に造った作品が焼きあがった旨の電話が届いた。南東北も梅雨明が予想される金曜日の予定を調整してフリーにし、車の荷台に布団を敷き山の準備を済ませ木曜日の夜9時半に自宅を出発した。
木更津市内のコンビニで朝食を購入し姉崎袖ケ浦ICから高速に乗り圏央道から常磐道を経由して午前1時半に着いた阿武隈高原SAで4時間ほど仮眠し、購入しておいた朝食を摂り猪苗代磐梯高原ICで降りて標高905mの裏磐梯スキー場の駐車場に車を停め外気温が17℃の中で服を着替えて準備を済ませ7:02より歩き始めた。
ゲレンデの奥に見える山頂までの標高差は914mで爆裂火口を登ることなども昨年秋の根子岳と同じ様だと思いながら先へ進む。ゲレンデから振り返れば桧原湖が美しく、ゲレンデの先に佇む銅沼の絶景は素晴らしく、このコースを選んでよかったと思う。稜線に上る途中の水場で給水し中の湯分岐には8:19に到着した。ここから先は32年前にも歩いているはずなのだが何一つ記憶にない。
標高を上げていくと桧原湖の奥に雪渓の残る月山が見え始め近くにはまだまだ雪の多い飯豊山も存在感を増してくる。絶景の見える名山だったんだと納得しながら9:33に弘法清水に着くと冷たくて上質な水が飲め、これも覚えていないとは何たることだと自分に憤慨する。近くに建つ有人の弘法清水小屋は品ぞろえも豊富で、500円のフルーツポンチを食べながら最後の登りを前にして休憩を入れ他の登山者や小屋の人と今年の豪雪のことなどを話す。
疲れが癒えたところで9:58より登り始め開ける展望に写真を撮りながらゆっくり登り10:33に沢山のトンボが舞う山頂に到着した。猪苗代湖や会津盆地を見下ろしながら、改めて再登山をして正解だったと実感する。また29歳の頃には簡単だった山が厳しくなってきていることも感じて寂しい思いに成る。ほぼ同じペースで歩いていた夫婦は2歳ぐらいの子供をお父さんが背負っていたが、その体力には感心した。
オレンジジュースを飲み360度の展望を楽しむがミッションが有るので10:58に下山を開始する。足が攣るんじゃないかと無いかと思うほどダメージが蓄積していたので残念ながらガレ場を降りる周回コースは諦めて同じ道を戻る。午後に成ると雲が増え、日差しを遮ってくれることは有難いものの12:55に到着した銅沼は鮮やかではなく、天候で印象が大きく変わることを再度実感する。ゲレンデの道で日差しは無いが気温は高く汗が停まらない。駐車場に1327に帰り着き、6:25を費やした夏の山歩きが終了した。車載の温度計は27℃を示しており、風が気持ちよく感じられた。
駐車場で作品を取りに行く会津本郷の窯元に電話すると16:30で店を閉めるというので残る時間は3時間である。それでも先月妻子と食べ損なった会津山塩ラーメンが麓の物産館で供給していることを知っていたので服を着替える時間を省き、汗だくの服のままで向かいチャーシューラーメンを食べた。観光協会のHPを調べ大塩裏磐梯温泉で日帰り入浴可能な観山で入浴しようと向かうがフロントで今日は休みといわれる。周囲に宿も多いが聞きまわる時間を省き会津本郷に向かう。会津縦貫道の整備効果もあり1時間前には到着できそうだ解ったので近くの本郷温泉に入浴し、午後4時20分に陶器を受け取り、天栄村や白河市で日本酒を購入してから高速に乗りアクアライン経由で午後9時半に帰宅した。濃密な24時間であったが、最後に天栄の酒を飲んだので就寝は日付が変わる頃に成ってしまった。 |
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高社山 1,351m 長野県中野市
2025年07月29日登山:単独
娘が28日から31日の日程で黒姫にキャンプに出かけた。初参加の昨年は3泊目に発熱し「迎えに来れますか」という電話を貰ったが遠すぎて難しいと断った記憶が有るので、どうせなら近くの山に登りながら待機しようと考え平日の火曜と水曜の連続登山となった。月曜日の仕事を終えたら何時ものように車の荷台に布団を敷き山の準備を済ませて夜7時半に自宅を出発した。
木更津市内のスーパーで弁当等を購入して駐車場で夕食を食べてからアクアラインを渡り、昨年秋の根子岳と同じ坂城PAで5時間ほど仮眠する。午前5時に起床してよませ温泉スキー場の中段にあるレストランあっぷる近くの登山口に車を停め前夜に購入した弁当を摂り外気温が24℃の中で服を着替えて準備を済ませ6:33より歩き始めた。
今回も木陰のないゲレンデで標高を稼ぐが標識もなく登山道に草が茂り足元が見えにくい。それでもリフト最上段の奥からは一般的な登山道に成り木立も増えて木陰のありがたさを感じる。碑の横で10分ほどの小休止を入れて水を飲み、再開して間もなく8:17に祠が2個と石碑や方位盤のある山頂に到着した。木製の立派な展望デッキも有り北信五岳の展望を期待したが空気の透明度が低く南側の志賀高原と北側の斑尾山が見える程度で麓の中野市も霞んで見える。
デッキに腰を下ろしてオレンジジュースを飲みサンドウィッチを食べてS井にLINEを送りセルフタイマーで写真を撮っても誰一人登ってくる気配が無く8:40に下山を開始する。誰とも会わないままで往路を着実に戻り9:32に車へ戻りクーラーボックスに入れていた凍らせたペットボトルの冷たい水を飲んだ。
近くに夜間瀬温泉の日帰り施設が有るので着替えもせずに向かうと平日は14時からで営業前であった。流石にそれほど待てないので近くで営業中で入浴したことの無い温泉から平隠にある「わくわくの湯」を探し出して向かうと入口は現金を投入する無人機で他に誰も入浴しているものもなく、山も湯も一人の時間を満足しながら何故木更津で閉業した「湯の郷かずさ」のリンス&シャンプーのボトルが有るのだろうかと考えていた。
北信五岳道路で信濃町に入り、黒姫駅前の観光案内所で斑尾山のハイキング地図を入手し、ナウマンゾウり博物館や野尻湖。苗名滝を楽しんでから今夜の宿である「ことりの樹」へ入る。娘のキャンプ場から数キロという近さである。宿泊者は私一人だけなので早めに風呂に入り汗まみれになった服を洗濯して部屋干し、夕食を食べてから信濃町の酒である「松尾」を飲みながら宿に置いてあった「東京リベンジャーズ」を11巻まで読んでしまったら日付が変わってしまった。 |
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斑尾山 1,381m 長野県信濃町
2025年07月30日登山:単独
長野市の最高気温が37度と予想され熱中症警戒アラートが発令される状況なので涼しいうちに登山すべく6時半から朝食をいただく。洗濯ものを取り込み荷物を片付け7時半に出発し斑尾東急GCの駐車場に車を停め、ホテルでトイレを済ませて通り抜けると目前に野尻湖テラスリフト乗り場が有った。係の方に聞くと8時半から営業を始めるということで1500円で300mの標高差を買うのも悪くないと思い20分待つ。
リフトで上がると百合の花が植えられ野尻湖を見下ろすリゾートであるが妙高や黒姫の山頂に雲が掛かっているのが残念である。花に光が当たっていないので帰りがけに写真を撮ればよいと考え8:41より歩き始める。山頂までの標高差の281mを登り、汗だくになりながら9:27に展望のない山頂に到着した。途中で一人とすれ違っただけで今日も誰も居ない静かな山頂である。木立の間からは昨日同様に透明度の無い風景が見えおり、展望台である大明神岳まで行く気が失せ10分ほどの休憩でオレンジジュースを飲み下山を開始する。
野尻湖テラスまで戻り汗を拭いながら百合の花に光が当たる瞬間を待ち続けるが山頂の雲が流れることは無く10:40に下りリフトに乗って車へ戻った。温度計は既に30℃を示しており、それでも高原は涼しいのだろう。なお、この頃には太平洋岸に津波警報が出て騒動に成っていることはラジオが入りにくい山奥に居た私は知る由もなかった。
山を回り込み「まだらおの湯」に浸かり樽型のバレルサウナで汗を流して外に出ると正午だった。長野市の今井酒造の売店で千葉から来たことを伝えて店の方に津波警報が出ていることを教えてもらった。ラジオを聞きながら県内の酒蔵や酒屋を回るが日本では大きな被害が発生していなそうで安堵する。碓井バイパスで群馬県に下り午後6時過ぎに遅めの昼ご飯を食べ、長野県より安くなったガソリンを入れて妙義松井田ICから高速に乗って夜9時に成る前に帰宅した。荷物を片付けシャワーを浴び、今井酒造の「風の露」を飲みながら津波騒動の報道を見ていたら今日も日付が変わってしまった。 |
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御巣鷹の尾根 1,550m 群馬県上野村
2025年10月19日登山:W辺と2人
1985年8月12日の夕方、九州の旅で翌朝に分かれるW辺と三角線肥後長浜駅で焼酎を飲んでいた時に駅前の民家から飛行機事故を知らせるテレビの音が聞こえて来た。当時住んでいた群馬県に日航機が墜落して520人が亡くなられた事故である。現場は慰霊の場所だから私が足を踏み入れてはいけないように思っていたが、何年か後に救助に行った陸上自衛隊の隊員の話を聞き、2008年に映画のクライマーズ・ハイを鑑賞し、事故から年月も経ったので行こうかと思いながら更に歳月が流れた。脳内出欠のリハビリで簡単な山歩きをするW辺と今年の山を考える中で、40年経過の慰霊登山を行った。
前日の夕方に袖ケ浦駅で待ち合わせ私の車で群馬県太田市まで移動し温泉施設に併設されたカプセルホテルに宿泊する。翌朝6時に朝風呂に浸かってから登山服を着て上野村の最深部を目指す。観音様の立つ旧登山口の看板には釣り人の発案で禁漁エリアに成ったと書いてあり聖地に入るという感じが強くなる。道は更に先まで舗装されて車で行けたが上段の駐車場は土砂崩れで使用できず下段の4台目で隙間に停めさせていただいた。小雨なので上だけレインウエアを着て9:01より歩き始める。海抜1359mの標識が建つ登山道入り口で杖を借りて登るが道の整備は良く水場も密に設置されているので登山装備をしない遺族も登られそうである。15分も歩くと2棟の山小屋が建つ慰霊の区域に入る。急な山肌の各所に故人の名前が書かれた点在し広範囲な調査の大変さを理解する。更に登って尾根に着き「昇魂之碑」の前の鐘を鳴らし線香を捧げる。それより上には未だに焼け焦げた姿を残す株もあり凄惨な現場だったことを改めて理解する。520人という規模を体感して帰路に着き10:55に駐車場へ戻ると雨は止んだ。
車で里に戻り「慰霊の園」に立ち寄る。追悼式のための施設程度の認識であったが、当時は遺体のDNA判定技術も未熟だったので遺体の一部等で最終的に誰のものか解らなかったものは上野村が不明者として弔う義務があるため、その霊を納めるためと二度と事故を起こさない決意のために造られたものだと知った。毎年8月11日には遺族が麓の神流川で精霊流しを行うところでもある。今までも上野村に行きながらも御巣鷹の尾根を訪ねてから寄ろうと思っていたので、今回が初めての訪問である。多くの車が停まり、40年が経過しても風化していないことが心強かった。40年前にはドローンによる調査などは出来ないので村の猟友会や消防団の人海戦術による事故現場の特定を行ったことや秋まで村の行事は全て中止となって喪に服していたことなどを映像で知り、せめてもの感謝を込めて遅めの昼食を上野村で食べてから山を越え下仁田インターから帰路に着いた。 |
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