1.静岡県掛川市
市制施行 平成17年4月1日(旧掛川市は昭和29年3月31日)
人口 115,181人(令和6年8月31日現在)
面積 265.69km2
令和5年度一般会計当初予算額 556億7千万円
財政力指数 0.83 (令和4年度)
視察項目 「働き方改革2.0」の取組について
令和5年度より職員の「働きがい」「働く環境」「コミュニケーション」を向上させ職員の幸福(ウェルビーイング)を向上することで市民に対するサービスの向上を目指す取り組みを人事課・企画課・DXを中心に進めている。職員の意識を確認するため多項目のアンケートを実施してクロス集計を行っているが、近年は無記名のためか回答率が低下傾向にあるようだ。過去からの取組により平成27年度以降の残業時間が減少し若年退職者の減少や職員採用といった面での効果が平成4年までは出ていたが、近年の公務員採用難にともない残業が再び増加している。残業の減少に伴い職員の手取りは減少するが特に手当などの対応はしていない。職員へのアンケートの中で友人に掛川市への勤務を勧めるかという設問があり67%の職員が勧めないという回答していたことがショックに感じており、木更津市でも同じ状況だろうかと考えていた。
職員の異動に当たって応募する係が求人票を出して応募者と秘密裏に面接を進め定期異動で何事もなかったように人事異動が行える「エントリー制度」は興味深い。手を挙げた職員(毎年20人弱)のうち9割近い職員が望む職場で資格や経験を活かした仕事が行えているようだ。
職員のやる気は業務を理解して上司と同じ方向を目指すことで向上する傾向にあるが、その為に上司は個別面接を数多く行うようになり、職員の多い組織では全員に面接ができているわけではないようだ。掛川市では780人の職員のうち35人が長期休暇を取得しており比率は本市の3倍近い。「もやもや聞きます相談窓口」を設けて副市長や各部署の職員が相談を受け、その内容は人事課に報告しない形でのケアを行っているという事であるが何処でも悩みは同じように多いと感じていた。
視察を終えて豊橋まで在来線の各駅列車を乗り継いで移動し、駅前のホテルで宿泊する。雨が続いていたので広く歩き回ることもせず、ホテルの近くの居酒屋で軽く飲んで帰った。
4日は荷物を持って路面電車に乗って市役所に移動する。市役所は吉田城址に建つが、その手前に聳える1931年竣工の公会堂には歴史が強く感じられる。流石は明治に市政施行をした中核市だと感心しながら13階建ての市役所に入り10時より議会会議室で行政視察を始める。
2.愛知県豊橋市
市制施行 明治39年8月1日
人口 366,755人(令和6年9月1日現在)
面積 262.00km2
令和5年度一般会計当初予算額 2,951億円
財政力指数 0.99 (令和4年度)
視察項目 防災行政の取組について
豊橋市では平成27年9月に茨城県常総市の鬼怒川氾濫への行政支援活動を行ったときにドローンの必要性を感じた職員によって当該年度中に17名の職員からなるドローン飛行隊を編成して運用を開始した。現在でも年に2回の募集を行い災害体制時に独立した部隊として活動することについて所属長の理解を得た30代程度までの若手職員が参加して各部横断的に3班31名の組織になっている。各班ごとに毎月1回の訓練を行い、それとは別に全体訓練月に1度ほど実施している。機体は多様な4機を所有しているが各班に1機を貸与し一つは予備の位置づけである。導入時は費用が掛かっているが今では機体の保険料と消耗品等で令和5年・6年度の予算は215万円となった。市民の理解も高く令和3年度と5年度は機体更新に当たり寄付を受けている。木更津市と違い消防本部では所有していないため休日夜間に災害対策の出動をする場合は数時間のタイムラグが発生してしまうことが難点であると伺った。
人口密集地で飛ばさないためイベント紹介のようなプロモーション活動にも充分に使えていないようだ。さらに運転免許が国家資格に変わったため今年度は維持管理費とは別に全額市の負担で一人約11万5千円の研修を受けさせ今年度中に6名を合格させる計画の様である。
他にも防災の取り組みとしてSNSの情報を分析する「Sepctee」というソフトを160万円で導入し月8万円で運用している。導入前のトライアル期間中に相互協力協定都市である長野市の台風災害が把握されたので自主的に消防隊を向かわせたように活用はされているが本年6月2日の水害では情報が多すぎて充分に活用できなかったという反省点があるようだ。私も自治体公共Week等で説明を受けているが、本市の規模でコストに見合う効果が有るか現在でも疑問に感じている。
視察を終えて市役所の中にあるレストランで昼食を摂り、吉田城址公園内を散歩してから路面電車で豊橋駅に戻り「ひかり652号」で品川に戻る。視察はここから高速バスで木更津に帰る日程であるが、私は齋藤秀樹議員を伴って上野駅に移動する。
1日のZoom会議で災害ボランティア議員連盟千葉支部の忘年会会場の調査と緊急ミーティングの進め方を打合せようと決めていたので各市から役員が集まり2店舗ほど調べて解散となり、私は八重洲バスターミナルから帰路に就くと海上自衛隊前を寝過ごして木更津駅からタクシーで帰宅する羽目になってしまった。
5日は早朝にツールド千葉の自転車隊が通過したようであるが見学を忘れてしまい、朝9時過ぎに陸上自衛隊まで徒歩で移動し第50回航空祭に臨席する。天気が雨予報であったので席は格納庫の中に用意され、航空展示も一部省略して行われたようだ。祝賀会食にも出席し自衛隊や地域の区長さんたちとも意見交換を行う。輸送航空隊の移駐に伴い人口が減ることを話すと多くの人が驚いていた。
食事を終えて雨の中の会場を見に行くと雨の中でも展示を楽しんでいる方々が多く見られた。来年の航空祭は輸送航空隊の移駐前になるかは解らないが、17機のV-22が並ぶ壮観な姿を最後に見てみたいと感じながら帰路に就いた。夜は自民党支部会議が開催されたが先に用事が入っていたので別件で街中に出て二日連続で遅くまで飲んでしまった。
6日は航空祭の続編として当選者がV-22に体験搭乗できる日なので朝9時半に受付へ行くとH組と指定され、最後の組の様であった。
搭乗は中学生以上という条件だったので娘に留守番をさせて妻と搭乗したが、2016年に搭乗した米軍機に比べると機内の清掃は行き届いていたが、飛行ルートや姿勢にはサービス精神が足りず、携帯やカメラの持ち込みを認めないことは理解を深めたいという観点からは如何なものかと感じた。
昼過ぎに帰宅して昼食を摂り、午後から姉妹を集めて遺産分割協議書や司法書士への委任状などの作成を行い、財産の活用や処分について意見交換を行う。それから事務所で雑件を処理してからHPを更新せねばと思ったが、連日の疲労が溜まり早めに就寝した。
7日は月曜日で荷物の多い娘を学校に送り、午前中は私的な仕事を処理し昼から税理士事務所に行ってから会派室に立ち寄って事務処理をしてから帰宅する。娘を学童クラブに迎えに行ってから事務所でHPを更新し、夜中に成ってから視察の準備を行った。
8日は早めの朝食を摂りスーツに着替えて木更津駅に出て7:46発の「さざなみ6号」で東京駅に出て「はやぶさ11号」に乗り換え、仙台から先は仙石線の各駅列車で石巻駅に到着する。駅前の元商業ビルに入居する市役所の前には仮面ライダーV3が立っていた。
1.宮城県石巻市
市制施行 平成17年4月1日(旧石巻市は昭和8年4月1日)
人口 132,971人(令和6年8月31日現在)
面積 554.55km2
令和5年度一般会計当初予算額 712億2千万円
財政力指数 0.53 (令和5年度)
視察項目 石巻市防災センターについて
石巻市は2005年の平成の大合併後、2008年4月27日に駅前で営業を辞めた「さくら野百貨店」の土地と建物を無償で譲渡を受けた上に2億円の寄付金を貰い市役所として改修し2010年3月23日に完全移転した。その翌年に発生した東日本大震災では都市別で最多となる被災者が発生し多くの避難所が水没する中で市役所にも多くの避難者が押し寄せて防災対策を講じることに障害となった。そこで市役所に隣接する土地に鉄筋コンクリート3階建て延べ床面積1,791u中間免震構造の防災センターを建設し2018年5月31日から運用を開始した。津波で水没したエリアであるため1階は駐車場や濡れても構わない資器材置き場として受電や非常用発電機は屋上に設置されている。
視察は遠藤議長の挨拶で始まり東日本大震災後に木更津市から石巻市に保健師を派遣したお礼を述べていただいた。私からは2011年8月2日に隣の東松島市へ会派としてボランティアに来て市内を見て回り状況を覚えていること令和元年台風までに危機管理課が間に合った話などをした。
施設を説明してもらってから東日本大震災が石巻市役所に与えた影響を聞く。旧雄勝支所では災害対策支部を設けたが津波で57名中52名が死亡しそれでも翌日に小学校に支部を開設したこと、数千人が避難した指定避難所で多数の市民から罵声を浴びせられながら暴動が起きないように対応したこと、職員も3日間食事がとれていない状況で市民から食料の増量を求められ続けたことなど、情報としては知っていても職員の方から話を聞くことは辛い。情報が断絶し被害が大きすぎて全体像も見えず、ボランティアの受け入れなどに対応する余力はなくなっており石巻市はピースボートの支援を受けることになる。震災の経験から衛星携帯電話を86台配置しており、市が主催して防災士の育成にも取り組んでいる。災害備蓄倉庫は震災前の16箇所から140箇所に増やし市民にも3日分の備蓄を呼び掛けている。人口は同じ程度で市域面積が本市の4倍と広いとはいえ、木更津市でも余裕教室を備蓄場所にするなど数を増やすことは考えるべきだろう。
視察後に議場を見せてもらう。商業ビルであったが屋上にシネコンが入っていたため議場は大空間を確保されていた。ただし東日本大震災で大きく被災しその後に改修がされているということである。その後は手配していた車に乗って津波伝承館を見学する。
震災遺構として門脇小学校も残されて整備されていた。建物の一部を撤去して見学施設を設けているが時間がないので震災記念公園と津波伝承館を駆け足で見学する。その後は13年前に現場を見た女川まで足を延ばす。なお、石巻市では大川小学校も震災遺構として保存されている。
女川町には2020年10月11日に家族で見に来ているが、4年間が経過して交番の樹木が増えていた。震災遺構も古代遺跡のようになりつつあると思いながら日没後に石巻に帰り着いた。小雨が降り始めたが夕食前に散歩を行い街中各地に建つ石ノ森章太郎のアニメの登場人物の像を見ながら河川堤防と石巻市かわまち交流センターの見学に行く。
川港として発達してきた石巻市では堤防が完成して川が見えなくなることに反対するものが多く、河川を感じられる施設としてセンターが2018年?8日に開設され隣にはいしのまき元気いちばという商業施設も設けられており、橋でつながる石巻漫画館とともに観光拠点にしようとしている。
施設の二階からは直接堤防に出られるなどデザインも良く考えられており木更津市で港湾の整備を行うときの参考にしたくなる施設である。傘をさしてホテルに戻る。雨が続いていたので広く歩き回ることもせず、ホテルの近くの居酒屋で軽く飲んで帰った。
9日は朝6時半に朝食を摂ってから雨の中を再び石巻市かわまち交流センターまで歩き昼間の姿を確認する。ホテルに戻ってスーツに着替えて石巻駅まで歩き石巻線と陸羽東線の普通列車で古川駅に出て「はやぶさ103号」に乗って盛岡駅に降りる。昼食を摂ってからタクシーで岩手県民会館に移動し、クロークに荷物を預けてから研修会に参加する。資料では1991席となる会場の大ホールで会った鶴岡議長は1階の前から7列目であったが一般議員の私たちは3階の11列目だった。
2.岩手県盛岡市
視察項目 第19回全国市議会議長会研究フォーラムin盛岡
13時の開会式に先立ち岩手県の観光案内が流れ、さんさ踊りが披露され、主催都市である盛岡市だけでなく岩手県の全議長、東北の県庁所在都市の議長も登壇し感謝を述べる。経済波及効果を考えると誘致すべき大会であるが千葉県南部にはこの様な大きな会場はない。
今回のフォーラムのテーマは「主権者教育」であり、全国で立候補者の減少により無投票で選ばれる市議会が増加している中で、議会に対する関心を高めて成り手を増やそうとするものである。セミナーでは冒頭に菅義偉元総理の基調講演が予定されていたがこの日は国会が解散される日であり短いビデオメッセージだけが流された。その代わり基調講演の予定時間を使って「地方議会議員の厚生年金への加入を求める意見書」を各地方議会から国に提出して欲しいという依頼が行われた。既に過半数の自治体が要望を行っているが千葉県内では比率は低くかずさ四市では選挙への候補者も多く行政に財政負担を伴うことになることから要望書の提出を見送っているものである。全国市議会議長会の会長である坊恭寿神戸市議会議長の説明を聞いて改めて必要性も考えさせられた。14:20からはパネルデスカッションが始まるが、今夜宿泊するオガールの見学をしたいという者も居り、初日は研修の途中で退席した。
東北本線の各駅列車に乗って紫波中央駅に降りる。個人的には2014年7月と2017年10月に次ぐ3回目の訪問であるが、研修はなくて宿泊をしながら状況を確認したいという目的と、そもそも全国の議会が盛岡市に集まり宿泊施設の需要不足が生じているため郊外で宿泊するのである。 |