No.92 | 北越編 ←No91奄美編・No93月山編→ | |||||||
旅行期間 | 1997年4月25日〜1997年5月5日 | 旅行日数:8日間 | ||||||
総走行距離 | 707km | |||||||
走破市町村 | 19 | |||||||
同行者 | F島(3日目〜5日目) | 使用自転車:GT | ||||||
総費用 | 104,636円 | 当時の年齢:33歳 | ||||||
初日 | 1997年4月25日 | |||||||
走行区間 | 自宅〜夜行急行・銀河 | |||||||
2日目 | 1997年4月26日 | |||||||
走行区間 | 安曇川駅〜三方駅:武生駅〜金沢市ペンション香林坊 | |||||||
輪行区間 | JR巌根駅→JR安曇川駅、JR三方駅→JR武生駅 | |||||||
走行距離 | 171km | |||||||
走破市町村 | 6(上中,宮崎,清水,山中,根上,美川) | |||||||
累計数 | 2,939 | |||||||
北陸方面の少しずつ残している未走破自治体を虱潰しに行くための旅の企画である。この旅以降は走破の仕上げの傾向が一層強くなり、ただ走るだけではモチベーションが盛り上がらないので楽しく色づけするのも大変である。 仕事を終えて金曜の夜に夜行銀河に乗る。京都で湖西線に乗り換え安曇川駅で降りる。まずは金沢編で雨天バス輪行した区間に残る山中町を走ることとその時切れた軌跡を繋ぐことが目的である。天気は快晴。ペダルも軽い。 体力温存のため小浜線の三方駅から北陸本線の武生まで輪行する。365号線を西に走り宮崎村に入り県道で福井に抜けながら清水町を通過すれば福井県走破完了となる。石川県は金沢までの間に未走破自治体が適度に分散しているので輪行が出来ない。松岡から364号線で大内峠を越えて山中に入れば早くも日が陰り始める。山代の先で8号線に出れば金沢西パイパスを走れば未走破2自治体に入るので日没後の道を坦々と走る。遅参が確実になり宿に居るF島に連絡を取る。 宿に到着したのは8時になろうとする頃だった。すぐさま前回の金沢編で行った居酒屋と思われる店を探すが5年の間で経営者も変わってしまったようで雰囲気が変わっている。料理や酒は美味いのだがあのような楽しさを味わえないことが残念な夜であった。 |
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3日目 | 1997年4月27日 | |||||||
走行区間 | 金沢市ペンション香林坊〜宇野気駅:輪島駅〜柳田村やなぎだ荘 | |||||||
輪行区間 | JR宇野気駅→能登電鉄輪島駅 | |||||||
走行距離 | 111km | |||||||
走破市町村 | 2(内灘,柳田) | |||||||
累計数 | 2,941 | |||||||
前日の酒が若干残っている中を早出し、内灘町経由で七尾線の宇野気駅まで走り輪行に入る。のと鉄道の車内で睡眠を取り酒を抜く。 北陸編による能登半島の先端側の未走破は柳田村だけだった。したがって走破するだけなら宇出津駅から往復すれば簡単であるが、前回の走行時には雨で楽しめなかったところも多く、同行のF島は初の能登半島と言うこともあり輪島から海岸を走り、さらに柳田村の温泉付き国民宿舎に泊まる計画にした。 17年の歳月は千枚田も含めそれぞれの場所が綺麗になっているのに驚く。また前回は雨のためショートカットしてしまった禄剛崎灯台に行くことで心残りも解消できる。時間はゆとりがあるので燈台近くの喫茶店でアイスコーヒーの一時を楽しむ。 恋路海岸や軍艦島(見附島)などは華々しい観光地になろうとしているようで伊豆の恋人岬同様、女の子受けを狙ったオブジェが増えており苦笑する。その恋路海岸を後に鵜飼川沿いに内陸に入りしばらく進めば今夜の宿として予約している国民宿舎だ。 |
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4日目 | 1997年4月28日 | |||||||
走行区間 | 柳田村やなぎだ荘〜上平村五箇山YH(輪行2回含む) | |||||||
輪行区間 | 能登電鉄宇出津駅→JR和倉温泉駅、JR氷見駅→JR城端駅→菅沼BS | |||||||
走行距離 | 60km | |||||||
走破市町村 | 4(能登島,鳥屋,鹿西,鹿島) | |||||||
累計数 | 2,945 | |||||||
能登島に渡るルートのうち中能登農道橋の開通はこの2年後なので、この時点では北陸編の2年後に開通した能登島大橋しか無かったのである。従ってのと鉄道の起点になる和倉温泉まで輪行することになるのだが、宇出津から和倉温泉直通の普通列車は7:07の次は9:10となってしまうので朝食を6時までに終えて駅まで急ぐことになる。 自転車を組み立てて橋を渡りまずは能登島町走破。橋を渡り返し現在は合併で中能登町に再編された3町を通過すれば石川県走破完了となる。小雨の降り始めた荒山峠を越えて氷見に降り、氷見駅で輪行準備をして列車待ちの時間に駅前で石川県制覇の祝い酒を行う。 氷見線と城端線に乗りたかったという微妙に鉄道好きの気持ちで城端まで行くとより雨が強くなっている。駅前のバスに輪行袋の持ち込み可能か交渉すると、お客が混んでいないから良いですよ、という事になりYHの有る菅沼のバス停まで輪行を続ける。だからこの日は60kmしか走らなかった。 YHは元庄屋さんの大きな合掌造りの建物である。同宿の人達も面白く、久々の楽しいYHの夜になった。 |
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5日目 | 1997年4月29日 | |||||||
走行区間 | 上平村五箇山YH〜自宅 | |||||||
輪行区間 | JR富山駅→JR潟町駅、北越急行くびき駅→JR巌根駅 | |||||||
走行距離 | 84km | |||||||
走破市町村 | 3(利賀,山田,吉川) | |||||||
累計数 | 2,948 | |||||||
YHに女性サイクリストが居て能登方面に進むと言うことなので庄川町の小牧ダムサイトまで3人で走る。当初は彼女だけがマウンテンバイクなので遅れるかと思ったがなかなか早く快適な走りを楽しめた。 ダムの駐車場で記念写真を撮って彼女と別れ、対岸の細い急坂を登り牛岳トンネルを通過すれば山田村に入り富山県走破完了となる。今日の制覇祝いは日の高い内からの山田温泉入浴と麦酒である。 湯上がりは富山駅まで流して北陸本線の輪行に入る。このまま帰るのではなく新潟県の西部に唯一残した吉川町に入るため一度潟町駅で降りて、僅か5kmの走行を行う。吉川町を尊重する方法として県立吉川高校醸造科の酒購入なども考えていたがそれより1ヶ月前に開業した北越急行に途中から乗る、という事を優先する。 くびき駅まで走りローカル線の割に立派な駅舎に驚く。ここで電車に乗って前半戦の終了になる。こんな慌ただしい旅に付き合ってもらったF島を越後湯沢駅前で慰労して新幹線で帰宅した。 |
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6日目 | 1997年5月3日 | |||||||
走行区間 | 自宅〜夜行快速・越後 | |||||||
7日目 | 1997年5月4日 | |||||||
走行区間 | 津川駅→下郷町民宿大和屋 | |||||||
輪行区間 | JR巌根駅→JR津川駅 | |||||||
走行距離 | 121km | |||||||
走破市町村 | 3(鹿瀬,上川,昭和) | |||||||
累計数 | 2,951 | |||||||
水木金土(4/30〜5/3)と仕事が入ってしまい、信州編のようなGWの途中中断の入る旅になってしまった。後半はF島の都合が合わないので単独行だ。 出発は憲法記念日である土曜の夜になり今回も夜行列車での移動を行う。車内はかなり混んでいる。新津駅で長い接続待ちの後、磐越西線の津川駅に降りる。 北陸編で49号線を走ったために津川の両側に自治体が残ってしまっているものを走る。まず鹿瀬村に入り、直ぐに折り返して上川村に入れば新潟県走破完了となり北陸4県の完走を終える。 継いで福島に孤立して残る2箇所の自治体を走り抜けて太平洋を目指す軌道を考える。間に何の楽しみもないのではモチベーションが上がらないので江戸の宿場町を今に残す大内宿の民宿泊を考え、西会津野沢の公衆電話のタウンページで探し電話する。かなり混んでいるようだが1人部屋を確保できたので後は会津の新緑の中をのんびり走るだけとなる。昭和村を抜け舟鼻峠を越えて下郷町側に降り、中山峠を越えて大内宿に至ると、ここまで殆ど人の気配が無い地帯だったのに打って変わって大勢の観光客が居りGWで有ったことを自覚する。午後4時過ぎからわらぶき屋根の民宿に自転車を置き、のんびり村社などを訪ね歩き、穏やかに山里の晩春を楽しむのであった。 |
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8日目 | 1997年5月5日 | |||||||
走行区間 | 下郷町民宿大和屋〜四ツ倉駅:巌根駅〜自宅 | |||||||
輪行区間 | JR四ツ倉駅→JR巌根駅 | |||||||
走行距離 | 160km | |||||||
走破市町村 | 1(古殿) | |||||||
累計数 | 2,952 | |||||||
朝食を食べ、湯野上から118号線を西に進み羽鳥ダムを抜け鳳坂峠を越えて鏡石に降りる。玉川村に抜け、さらに118号線で石川まで走り、そこから御斉所街道で古殿町を通過すれば福島県走破完了となる。 黙々と走り、常磐線の植田駅に走り出るが、北海編と袋田編の間が繋がっていないのが気がかりだったのでここから輪行せず、小名浜から塩屋崎を回って四ツ倉駅まで走って特急ひたちに乗車して帰る。 これで本州の中央部の府県は全て走破完了となり、全てが北日本と西日本への遠征を行わなければ先に進まない状況になる。それはまとまった休みがなければ走れないことになり、そのため走行の間隔が空いてくる。次の月山編まで1年空くのは山登りをしているためだけではない。(次は月山編) |
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